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桜の舞う頃に・・・2024 【短編小説】

創作短編(4032字)。お読みいただける全ての読者様に幸あれ。

 ヘッドライトが一つだけ灯る病室。窓の向こうに東京タワーのライトアップ。りんごの皮が剥ける音。ペティーナイフを器用に操る少女。今日も穏やかな夜だ。

「ハイ、今日は王林だよ」

「ありがとう……」

「そしてー!」

 そう言いながら、人魚の顔が描かれた紙袋に手を突っ込む少女。

「今日のスタバはー!? ジャジャーン! ほうじ茶ラテ、ホット、シロップ少なめ、オールミルク、熱めでしたー!」

 僕は再び感謝の言葉を伝え、スリーブ付きの白いカップを受け取り、猫舌故に念入りに息を吹きかけ、ゆっくりと口に含んだ。

「どう?」

「美味しい。香ばしい香りと、優しい感じの甘さが好き」

 僕が感想を伝えると、少女は安堵の表情を浮かべた。

「ところで……」。ついに僕は恐る恐る聞いてみた。「この文字は店員さんが書いたの?」

『きえゆくしろ』――スリーブには油性マジックでそう書かれていた。

 ***

 僕には数日前までの記憶が無い。何らかの心的外傷が原因ではないかと医者は言っていたが、何も思い出せない。だから今こうして検査入院している。

「すみません。この病室に青西信夫君って居ますか?」

 2月5日の夜、横たわる僕に見ず知らずの少女が訪ねてきた。

「部屋を間違えていませんか? 今この病室には僕しか入院していませんよ」

「あれ? おっかしいなー。ま、いっか。りんご多めに買っちゃったから、1個あげるよ」

 少女はそう言いながらベッド横の椅子に座り、僕の目の前で突然りんごの皮を剥き始めた。そして、院内にあるスターバックスで購入していた2杯のホットコーヒーのうち1杯を僕にくれた。

「じゃあ隣の部屋探してみるね!」

「ドア横に表札があるから、ちゃんとチェックして下さいね」

「あ、そうだ、言い忘れた。私の名前は“青西ろあ”だよ!」

「……な、中村雄介です」

「じゃあまたねっ!」

 コーヒーのスリーブに『したたるあお』の文字を見つけたのは、少女が見えなくなって5秒後の事だった。

「こんばんは、中村君!」

 翌日も少女は来た。弟のお見舞いのついでに、せっかくだからと。この日もりんごとスタバのコーヒーをくれた。スリーブには『しめつけるいと』と書かれていた。『きえゆくしろ』はその翌日にくれた3個目だった。

「うーん、店員さんが書いたんじゃない?」

「3日連続だよ。メッセージ書いてくれるほど店員さんと仲良しなの?」

「まあねー」

 その後も少女は毎日、スタバのホットドリンクを差し入れしに来てくれた。スリーブには毎日違う文字が書かれており、4日目から順に『びにーるはうす』『ありがとうのあか』『よんじゅうのままのきみ』『すぽっとらいと』『ときがとまる』『いつわりのといき』と続き、入院10日目となる2月14日を迎えた。

「さあ問題です。今日のスタバは何でしょー?」

「バレンタインデーだし、やっぱりホットチョコレート?」

「惜しい! ホットココアにホワイトモカシロップを追加したやつでしたー」

 ホットココア単体では甘さが控えめなのだが、ホワイトモカシロップを追加することで僕みたいな中学生でも飲みやすくなるのだと言う。いつも明るくて優しくて気遣いもあって、何より可愛い。もう何日も前から少女を異性として意識し始めていた。スリーブに書かれてある『よっつのまる』は、今日はどうでも良かった。

「あ、あの……」

 会ったら言おうと決めていた、小声で繰り返し練習していた台詞を――。

「明日退院するんです。学校同じみたいですし、また会いませんか?」

 少女は毎日、僕と同じ学校の制服を着ていた。返事はイエスだった。

 ***

 2日後、僕は学校の保健室で安静に過ごしていた。入院前の記憶が戻るまで、授業や人付き合い等の刺激は避けねばならなかった。

「こーんにーちはー!」

 少女は約束通り保健室に来てくれた。僕が入院中に転校してきたのだと言う。道理で同じ2年生なのに知らなかったわけだ。

「ごめん。まだ記憶が戻らないんだ」

「そんなのゆっくりで良いよ。過去より今、今より未来! 私たちで新しい思い出作ろうよ!」

 僕等は二人きりで、放課後や土日に何度も遊んだ。映画にカラオケ、スイーツ巡り、動物園に水族館、プラネタリウムにも行った。依然として記憶は失われたままだが、何となく入院前の何倍も楽しい人生を送れているはずだと強く感じていた。

 ***

「青西さんのことを、もっとたくさん知りたいです。もし良ければ……今以上の関係になってもらえますか?」

 2月28日の夜。川沿いの公園で、僕は少女に想いを、あえて敬体で伝えた。

「……ごめんなさい中村君。ずっと黙っていたことがあります」

 水面に映る月を見ながら、少女も敬体で答えた。悲しそうな顔が、何よりも印象的だった。


 ******


 絹のように細く滑らかなグレーの毛。エメラルドグリーンに光る2つの目。フワフワのラグの上でロシアンブルーとじゃれ合う。それは中村雄介にとって至福のひと時だった。

「もう。ベロアったら、あたしより中村君のほうに懐くんだから」

 2杯のホットココアを載せたトレイを両手に、西岡結衣が部屋に入ってきた。

「西岡さん、今日はありがとう。ベロアちゃんにとても癒されたよ」

 大満足の雄介。結衣が「中村君も猫飼えば良いのに」と提案するも、「父親が猫アレルギー」なのだそう。

「そっかぁ……あ、あの……あ、明日もベロア触りに来て良いんだよ?」

「マジで? ありがとう、凄く嬉しい!」

 翌日の放課後も、雄介は結衣の家におじゃました。その翌日も、更に翌日も、ベロアを愛で続けた。一方、結衣は雄介に好意を寄せながらも、想いを直接伝えられずにいた。彼の好奇心はいつもベロアに向いており、自分なんて眼中に無いと悟っていたからだ。

「あれ? 西岡さん、私服?」

 2月3日。雄介がベロア目当てで結衣の家を訪ねるようになってから2週間が過ぎた。これまで制服姿のまま雄介と接していた結衣は、初めて私服に着替えた姿を見せた。オフショルのボーダーニットに緑のフレアミニスカート、極めつけは黒のニーハイソックス。

「ど、どうかな……?」

 結衣は顔を赤らめ、思い切って雄介に感想を聞いてみた。

「どうって、ベロアちゃんは今日も可愛いよ」

「そうじゃなくて、あたし……の、服……」

「どうって言われても……」。困惑する雄介は「そういうの妹で見慣れているから」と続けた。

「もう……何で気付かないのよ。あたし、あなたのこと好きなの!」

 言ってしまった。断られると分かっているのに、どうして想いを伝えてしまったのだろう。後悔の念が押し寄せる結衣。

「……あ、あのさ」

 30秒の沈黙の末、雄介はゆっくりと口を開いた。

「B型にトラウマがあるから付き合えない。ごめん……」

 それは想定外の理由だった。確かに雄介は無類の猫好きで、ベロアとじゃれ合いたくて結衣の家に毎日行っていた。当初はそうだったが、次第に結衣のことも気にはなっていた。しかし、彼女の母親にこっそり血液型を訊ね、B型と知ってしまった。
 一説には、B型は誰にでも優しいと言われている。過去に雄介と仲良く接してくれた数名の女子はいずれもB型で、例外なく彼氏がいた。文章にまとめると浅く感じるが、雄介が何度も心に負った傷の深さは計り知れない。そして、結衣もB型である以上、雄介の中で付き合う選択肢は最初から無かったのだ。


 ******


「実は私、猫なんです」

 少女は猫に姿を変え、そう言った。彼女の名前は青西ろあ。ろを『露』、あを『亜』に変換し、並べ替えると『露西亜青』。とどのつまり、

「ロシアンブルー!」

 西岡結衣の飼い猫・ベロアが、少女に化けていたのだ。僕は同時に西岡の事も思い出した。というか、この時点で記憶はほとんど戻っていた。ある重大な出来事を除いて。

「中村君は結衣ちゃんの告白を断りました。その翌日、彼女は学校を休みました。どうしてだと思いますか?」

 猫という本来の姿に戻っても尚、言葉を発し続けるベロア。そこに突っ込んでいる余裕は無かった。もう少しで思い出しそうなのだ。

「先生は理由を教えてくれなくて、ただ『しばらくお休みします』って……」

「彼女はその日からずっと、白血病で入院しています」

 それを聞いて一気に鳥肌が立った。そうだ、その日の夜、西岡は僕に電話をくれたんだ。

『ねえねえ聞いて。あたし、B型じゃなくなるんだよ! やったね!』

 とても嬉しそうな西岡の声を聞いて、僕は人生で初めて悔し涙を流した。あの時、なんて酷いことを言ってしまったのだろう。ショックのあまり、何も言わず終話ボタンを押してしまい、そのまま寝込んだ。目を覚ますと前日までの記憶を失っていた。

 全てを思い出すと、スリーブに書かれていた文字の謎はすぐに解けた。『ビニールハウス』は無菌室、『スポットライト』は集中治療室、『時が止まる』は全身麻酔、『偽りの吐息』は人口呼吸器、『4つの○』は車椅子、青は点滴、白は白血球、赤は血液、そして40は体温。全て西岡の入院生活の経過報告を意味していた。書き込んだのはもちろんベロア……というか青西ろあ。僕の記憶が戻って欲しい、でも過度な刺激は与えたくない、だからわざと暗号化して書いてくれていたのだ。

「結衣ちゃんはB型の血液を全て抜き取られ、今はO型として生きています。元々前兆はあったから、貴方のせいで病気になったわけではありません。私が言いたいのは、過去よりも今、今よりも未来です。さあ、どうしますか?」

 幼少期から僕は理不尽なことで両親に怒られ、不良にいじめられ、女子にも裏切られ、人に傷つけられてばかりの人生だった。だから気付かなかった。自分でも知らぬ間に誰かを傷つけてしまっていたことを。でも、今から行動に移せばまだ間に合うかもしれない。記憶を失った僕のように過去を全部無かったことには出来ないけど、もっと楽しい未来で塗りつぶすことくらいなら――。

 ***

「本当にごめんなさい」

「大丈夫、気にしていないよ。ところでO型のあたしは好き?」

 3月9日、川沿いの公園に一本しか無い、満開のソメイヨシノの下で。

(Fin.)

最後までお読みいただきありがとうございました。



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