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かげりとあかり(後編) 【陽キャになれる島・第二話】

◎連続小説(第二話:6384字)

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 4人グループ。談笑する3人。私は無口。ひいては上の空。いじめは無かったが、別に楽しいわけでも無かった。自分の主張を隠し、共感し合うことで協調性を保つ学校という空間は、私には合わなかった。

 中学最後の夏休み。祖母の実家へは一人で夜行バスに乗って行かねばならなかった。アフター5の満員電車に揺られ、新宿駅の南口を出るとそこも人でいっぱいで、重たいスーツケースを引き摺り歩くだけで精一杯で。

「にじいろの雨降り注げば 空は高鳴る」

 その時耳に入った歌声が、フェンダーのアコギの音色が、アルペジオの器用な指使いが、Tシャツとデニムパンツに真っ白なスニーカーというシンプルな服装が、だからこそ差し色で引き立つ真っ赤なキャップが、つばで影になっても微かに見えるまぶたのアイシャドウのラメが、瑞々しいティントリップの潤いが……バスタ新宿の真っ白な光をバックに歌う彼女の何もかもが輝いて見えた。カバーなのに、他者の歌詞でありメロディーなのに、夢に向かって真っ直ぐ突き進む、そんな強い想いがパフォーマンスだけでもひしひしと伝わってくる。

 自分の夢が、なりたい姿が、理想のスタンスが、鮮明に具体化される瞬間だった。周囲に流されず、自我を失わず、心からの想いを歌声で届ける、そんな歌手になりたい。あわよくば彼女と並んで歌いたい。バスタ新宿のネオンサインが西新宿の高層ビル群の織り成す夜景よりも輝いて見えた夜、右から左へ左から右へ流れるサラリーマンたちの汗臭さを感じながら、不快指数78の熱帯夜に負けじと情熱を燃やし決意を固めた15の夏。


 ***


「西山影里かげりが、Vamos!バモスを卒業することになりました」

 事務所に緊急招集された4人に、マネージャーはそう告げた。3年間活動を共にしたメンバーの、特に明里あかりの反応を見る暇さえもなく、同じ頃私は別室で田中丸たなかまるさんの説明を聞き、企画書に目を通し、契約書にサインと捺印をしていた。

「カフェでも話したけど、出演条件はただ一つ。現状の全ての環境を捨てる覚悟のある者だ」

 それを話す時に限り、田中丸さんの表情は強張っていた。ここで言う“環境”とは、家族・友人・恋人から住居・学校・職場まで、とにかく全てだ。3ヶ月にも及ぶ長期ロケになる予定の無人島企画。その間、家族や友人と離れ離れになることはもちろん、アイドルという職業さえも辞さねばならない。活動休止ではなく“卒業”。無人島から脱出してもVamos!に復帰することは許されない。

「3ヶ月の無人島生活を通して君は陽キャに生まれ変わり、第二の人生を歩み始める。そこまでを含めて密着させて欲しいんだ」

 それを無理強いな要求と思う人も居るだろうが、私は違った。Vamos!を辞めること自体に躊躇は無く、マネージャーを始めとするスタッフ陣も誰一人引き止めようとしない。私の本当の夢はアイドルではなく歌手で、皆もそれを察しているからだろう。あるいは、陰キャ故に不人気で足を引っ張っている私なんて必要とされていないのかもしれない。

 とはいえ、心残りが全く無いと言えば嘘になる。

「影里ー! 今、メンバーで話し合ったんだけどさ」

 打ち合わせの途中にもかかわらず、ノックもせず入室した明里は「来月の単独ライブ、4曲だけセンターで歌ってよ!」と続けた。

「え……私がセンター?」

「ずっと立ちたかったんでしょ? センターポジションの自主練もしているし」

「気付いていたの?」

「だって冬でもミニスカで現場入りしているんだもん」

 確かに私がずっと望み続けたポジションではある。しかし、センターに立つということは、メンバーで唯一ミニスカを履き、中のスパッツを見せないように踊る『見えそうで見えないアイドル』を体現せねばならない。どれだけ自主練を重ねても成し得なかった至難の業。懸念はそれだけではない。踊り慣れた定番曲ですらフォーメーションの変更を覚え直すことになるし、ソロ歌唱パートも格段に増える。何より常に笑顔でパフォーマンスしないと悪目立ちしてしまう。

「ごめん……やっぱり私には無」

「ちなみに拒否権は無いから。リーダーからのめ・い・れ・い!」

 かくして私は、明里の計らいによりセンターの座を獲得し、最後の舞台はVamos!初の単独ライブとなるZeppに決まった。ライブタイトルに急遽『~西山影里卒業公演~』が付加された。

 それまでの1ヶ月間、ダンス練も自主練も時間を倍に増やした。全面鏡張りのレンタルスタジオで踊りながらミニスカの動きを常にチェック。スパッツを3分丈から0分丈に変えるだけでも『見えそうで見えない』の成功率は上がった。しかし、

「もっと笑顔! 音も外しているよ!」

 マネージャーの怒号が毎日のように飛び交う。それも無理は無い。センターを務めるのは20曲中4曲だけだが、終盤の盛り上がる定番曲のみで構成される超重要パートでもある。加えて、そのパートのMCは進行役も全うせねばならず、水を飲む暇さえも無い。これがセンターの重圧。本番まで3週間、2週間、1週間……カレンダーの×印が増えれば増えるほど不安に押しつぶされそうになる日々。

「卒業ライブの日、朝からカメラを回しても良いかな?」

 本番3日前、田中丸さんからの電話だった。無人島へ旅立つ直前の“最後の一日”に密着したいのだという。「事務所の許可は取ってある。あとは君次第だ」と続けるので、まあ良いかと思い承諾した。

「ちなみに当日はどんなスケジュールになる予定?」

「11時からカラオケで2時間自主練、13時半Zepp集合、14時半ゲネプロ(通しリハ)、休憩と着替えを挟んで18時本番、20時半特典会、たぶん打ち上げもあります」

「なるほど……尺的にはもう一つくらいイベントが欲しいところだね。例えば、最後に会って話したい人は居るかな?」


 ***


 ヤマハの初心者向けアコギ、F600。25,000円でも当時高校1年の私には大金で、貯金箱を破壊した。流石にフェンダーは買えなかった。1年にも及ぶ練習を経て歌舞伎町タワーの広場に向かった。アコギをアンプに繋ぎ、マイクスタンドの他にスマホ用のスタンドも設置。スマホから流れる音源をもとに弾き語りライブを行った。中3の夏休み、バスタ新宿の前で歌っていた女性の背中を追いかけるように。30分の間に600人は通り過ぎたと思うが、立ち止まって聴いてくれる人は皆無だった。

 1回目で既に心が折れそうになったが、その後も毎週水曜の夜にストリートライブを行った。当初はオリジナル曲とカバー曲を織り交ぜていたが、10回目あたりからは有名なカバー曲に絞った。それでも通行人の足を止めることは難しく、今度はデニムパンツをやめてミニスカに、Tシャツをやめてオフショルに、メイクをナチュラルから地雷に変えた。迷走している自覚はあった。原因は分かっている。歌は少しずつ上手くなってきたものの、ギターは素人レベルから一向に脱出できない。楽器を演奏しない歌手もごまんと居るが、私の夢はあの人とデュエットすること。あの人と肩を並べられるレベルに到達することが目標なのだ。

「西山影里さん……ですよね?」

 高3になったばかりのある日、ストリートライブを終えた直後の私に同級生が声をかけて来た。

「もしかして……東村ひがしむら明里さん?」

「歌めっちゃ上手いですね! 30分ずっと見入ってしまいました」

 こうして弾き語りを続けて早一年。私の歌を初めて褒めてくれた人が明里だった。そのまま二人でタワー内のスタバへ。学校では会話を交わしたことすら無かったのに、明里も歌手を目指していることが分かってからは意気投合した。高校生活3年目にして初めて出来た友達。

「これから始まるあなたの物語 ずっと長く道は続くよ」

 二人きりでカラオケにも良く行った。私は毎回、あの人も歌っていた絢香の『にじいろ』を熱唱した。5回目あたりから明里も一緒に歌ってくれるようになった。

「ところで、影里はどうして歌手になりたいの?」

 一時間も経つとお互いの喉はカラカラになり、休憩タイム。烏龍茶を三口含んだ明里はそう聞いてきた。

「去年の夏、バスタの前で弾き語りをしている女の人がとても輝いて見えて、彼女のようになりたいって思ったのがきっかけかな」

「名前は何て言うの?」

角川春奈かどかわ はるなさん。でも、今はどこで何をしているのか分からない……」

 その名前で検索しても公式サイトどころかSNSの一つもヒットしない。Wikipediaもファンサイトも皆無。その場で衝動買いした自主制作のCDには確かにその名前が記載されていたのに。新宿にも何度も足を運んだが、彼女の歌う姿を再び拝むことは無かった。

「歌手になって売れれば、いつか会えると思うよ!」

 明里はいつだって励ましてくれた。一緒に歌うことで気を紛らすことが出来た。

「うん。私、絶対に歌手になる」

「私も絶対なる!」

「約束!」

 お互い夢を叶えると約束したあの日のカラオケを、今でも忘れていない。しかし、音楽プロダクションのオーディションを受けては落ちる日々が二人とも続いた。親や学校の先生には就活もするよう強く言われたが、角川さんの背中しか見えていなかった私はリクナビも学内の求人掲示板も無視し続けた。

「私、アイドルになるんだ!」

 明里から衝撃の一言を聞いたのは、出会って半年が過ぎた頃だった。バスタ前でのストリートライブ中、Vamos!の運営スタッフにスカウトされたのだという。歌手になる夢は? あの日の約束は? アイドルになりたいなんて話は一度も聞いたことが無い。私は当初、彼女に幻滅したが、それから半年も経たぬ内に全く同じ出来事が我が身に降りかかることとなった。

「歌手を目指しているならVamos!に入ってみなよ。アイドルとして売れれば、プロダクションは必ず歌の上手い君に目を付ける」

 高校の卒業式も終わり、未だにプロダクションの箸にも棒にも掛からず焦っていた私に、唯一声をかけてくれた人がVamos!の運営だった。明里加入後から半年の間だけでも二人が脱退、急ピッチで新メンバーを探していた。アイドルはあくまでも歌手になる為の、行く行くは角川さんと共演する為の踏み台。そう自分に言い聞かせ、Vamos!の追加メンバーオーディションを受けてしまった18の春。


 ***


 春一番の朝だった。緊張の面持ちでカラオケ店に向かう私に、BIOSバイオス TVの撮影スタッフが同行。強風で前髪はあっさり崩れ、ミニスカが捲れる度に「きゃあ」と叫びつつ両手で押さえる。

「今のは使わないで下さいね」

「大丈夫。そこは映ってもいませんから」

 3万円の家庭用デジカムだが、操る男性スタッフはその道10年のベテランで、余計なものを映さない技術は秀逸だった。地上波のテレビ局から飛ばされてきたのだろうか。

「あ、やっと来た。おっはよー!」

 カラオケ店に到着し、あらかじめ予約していた部屋に入るや否や明里の元気な挨拶が響き渡った。

「じゃあ、すみませんが一旦退室をお願いします」

 私がそう告げると、スタッフは慣れた手つきで三脚とカメラを2台設置し、天井にも1台取り付け、早々に部屋を出た。室内には私と明里の二人だけ。

「……今日は、来てくれてありがとう」

 10秒の沈黙の後、私から口を開いた。

「直前に誘ってくるからびっくりしたよー」

「ごめん……最後にやり残したことは無いかってプロデューサーに言われて、どうしても明里と1対1で話がしたくて」

「私を選んでくれてありがとう! 田中丸さんの番組に出られるのはとても嬉しいよ!」

 明里は私の前で怒ったことは一度も無い。裏を返せば胸中に潜む本当の思いや感情が読めないということでもある。

「実は……明里に謝らなければならないことがあります」

「どうしたのよ、急に敬語になって」

「あ、あの、最初に言っておくけど、今から言うことは、テレビ的な誇張表現も含まれているから、多少盛ってでも分かりやすく話してって言われているから、そこだけは誤解しないで欲しい」

「大丈夫だって。何でも言いなよ」

 私は明里を傷つけるかもしれない。4年続いた関係に終止符を打つかもしれない。そのリスクを負ってでも、彼女には今日中に伝えたいことがあった。明日からしばらく会えなくなるのだから。

「ずっと……あなたを憎んでいました。明里がアイドルになるって言った、夢をあっさり捨てたあの日から。結局私も明里と同じグループで活動することになっちゃったけど、私は歌手になる夢を諦めたことは一度も無かったし、メンバーや運営にもそれを言い続けた。でも明里は、今の環境が、Vamos!で居ることが楽しそうに見えて、本当に歌手になる夢を諦めちゃったのかなって。そんな人間が明るいってだけでみんなに好かれて、陽キャってだけで上手く生きられて、いつもセンターだし、ちゃっかりリーダーにもなっちゃうし。私はいつも暗くて、どんなに頑張っても怒られてばかりで……気付いたら憎しみに変わっていました。本当にごめんなさい」

 言ってしまった。心の内に仕舞い込んでいた本音。明里の表情さえも見るのが怖くなり、途中からずっと俯いていた私は、そのまま話を続ける。言いたかったことはまだある。

「でも、私はずっと明里に助けられてきた。自主練終わりで最後に現場入りする私に真っ先に気付いて挨拶してくれるし、MCでは私にも振ってくれるし、最近も泥酔した私を介抱してくれたし、今日のライブだって大事なパートのセンターを譲ってくれた。だから、ごめんなさいの他に、もう一つだけ言わせて欲しい……4年間、私に優しくしてくれて、本当にありがとうございます」

「……私もありがとう。影里の本音が聞けて良かった。お返しに、私からも一つ言わせて」

 後でオンエアを観て分かったことだが、明里は終始笑顔で私の話を頷きながら聞いてくれていた。そしてこう続けた。

「私ね、夢を諦めてから人生が楽しくなったんだよ。陽キャなのは元からだけど、輪をかけて明るくなれた。レッスンとかライブとかレコーディングとか、あとTikTokやYouTubeも撮ったりして、Vamos!の活動に追われる日々で、今日を明日をやり過ごすことしか考えてこなかった。5年後や10年後にどうなりたいかとか、未来のことを考えるのはやめた。でも、今が楽しいならそれで良いじゃんって思えるようになったんだ。そう思うだけで気持ちが楽になって、何もかもが上手くいくし、辛いことも乗り越えられるようになった気がする」

「うん。明里は前よりも強くなった」

「でも、それはあくまで私の話であって、夢を諦めない影里をずっと尊敬していたし、今もしている。そりゃ、陽キャが何かと得をする世の中かもしれないけど、影里みたいに陰ですっごい努力している真面目な人こそ報われて欲しいと思う。だから頑張って。私の分も夢を叶えてよ!」

「ンフフ。ありがとう。頑張る」

「やっと笑った。影里も笑顔になれるじゃん」

 その後は時間の許す限り、二人で歌いまくった。歌うことが純粋に楽しかった高校時代を思い出す。明里の満面の笑顔を見ていると、彼女の本当の夢は歌手になることではなく、いつまでも私と一緒に歌い続けることだったのかなって少し思ったり。

 あっという間に2時間が過ぎ、内線電話が鳴った。最後に歌ったのはもちろん絢香の『にじいろ』。

「あなたが笑えば誰かも笑うこと 乗り越えれば強くなること
 ひとつひとつがあなたになる 道は続くよ」


 ***


 え、ライブ本番はどうだったって? それについては特段語ることは無い。だって何のハプニングも無く順調に終わったのだから。

「影里ちゃん、お疲れーっす」

「お疲れ様です田中丸さん」

「いよいよ明日、無人島に向かってもらう。最初は一人だけど、3日後に一人増える予定だから、楽しみにしていてね」

「へぇー。どんな人ですか?」

「その名も“ヤングケアラーくらみ”だ」

(つづく)



連続小説『陽キャになれる島』あらすじ

 地下アイドル、ヤングケアラー、アラフォー童貞……悩める陰キャたちにインターネット放送局の田中丸雅之たなかまる まさゆきプロデューサーが声をかけ、無人島企画の出演をオファー。その島に行けば誰でも陽キャになれるが、代償として家族・友人・恋人から住居・学校・職場まで現状の全ての環境を捨てねばならないとしたら、陰キャたちは最後に誰と向き合い、何を伝えるのか。それぞれの“陰キャ最後の日”の物語。

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