「仕事」が大嫌いなんだなぁと思った
今日は珍しく仕事モードで過ごしたので少しでも創作に還元したく思います。もう、久しぶりにこんな嫌な感情になっているので。久しぶりに自分大嫌いになってます。
悩んでいたけれども、恋愛脳でいられているのは元気な証拠ではあるんでしょうね。
明日癒やしの会合があって本当に良かったです……。
とはいえ、嫌なイベント直前だった昨夜もイベント終了後の今日の夕方も、大事な人に助けてもらったんですけど……。
*1今日の記事は久しぶりに弱っています(苦笑)
ちょっとというかかなり文章ぐじぐじしているかもしれません。苦手な方は適宜読み飛ばすなり読まないなりして下さい。
滅茶苦茶弱っちくて嫌になります。どうするんだこれからも生きていくのに。
*2補足として、不快に思った社会人の方がいらしたら申し訳ありません。
今回言うところの「仕事」=「勉強以外でやらなきゃいけないこと」のように思って下さればと思います。
こんなに目次が多いのは初めてです。
本日のご挨拶
こんばんは、雪猫なえです。
もうどうしようもなく憂鬱ではありましたが、相方のお陰で結構楽になりました。人を頼ってこんなに回復したのは珍しいです。結局回復しないことも多いので。(だからあんまり頼らないっていうのもある)
noteの投稿継続期間、わかりやすいようになったんですね。適度なプレッシャーとモチベーションに繋がるので雪猫は助かります。
今日も昨日も、よく頑張りました。そして相方にはめちゃめちゃ感謝です。
本当はもう寝てしまいたいのですが、こいつ(仕事・嫌なこと)のせいで連投記録が止められるなんて癪なので書き殴っています。
幸いとりあえずの峠は越えましたし、楽しみなイベントもできたのでもう少し立てそうです。
生きるのって、苦しい。
なんてこんな若者が一時上手くいかないだけで言ったら怒られますかね。でもしんどいはしんどいです。
自分の生き方、整理整頓
自分の生き方、とかそんな壮大なものではないのでしょうか。でも、まぁそんな感じです。
ここ最近どこに身を置けば雪猫は楽に生きていけるのかを考えています。やっぱり人間向き不向きもありますし好き嫌いもあるので、自分にとって丁度良い場所を探している次第であります。
ここ数ヶ月で色んなことが自分の中で変化していて、びっくりしています。結構色々変わってしまったので、ここにきて人生について再出発しなきゃいけないなんて大変面倒くさい奴だとも思うのですが、今までちゃんと考えずレールに乗ろうとしていたツケなんですかね……そんな適当に考えてきたわけでもないんですけどね……。上手くいかないものですね。
再出発したら、今どう立っていればいいのか、何をすればいいのか当然ぶれてくるわけで。もう全部放棄してしまいたくもなりました。できないけれど。
嫌いなものは嫌いだし、向かない領域はとことん向かない
嫌いなものはどう足掻いても嫌いなんだな、と思いました。
嫌いまでいかなくても、興味ないものはとことん興味ないんだなって思いました。自分は今までそういうものとちゃんと向き合ってこなかったから、今になって面倒臭い絡まり方をしているのかもしれないとそう思いました。
嫌いについては後述、でしょうか。
できる奴が嫌なんじゃない場合もある
以前もどこかの記事で書きましたし、自分の中の持論としても、「できる人間を見ることは辛い」だとか「そういう人を見ると嫉妬から嫌悪感が出る」とか「その人と自分を比較して居心地が悪いから嫌悪する」とか言った気がしますが、そうじゃない場合もあったみたいです。
今やっている企画のメンバーの中にも、「できる奴」がいます。でもその人に対して嫌悪感や嫉妬があって居心地が悪いのかというとそうではないと断言できます。これはそういう感情じゃない。
シンプルに落ち込んでいる自分がいてびっくりしまいした。
こいつは何にこんなに落ち込んでいるんだろうと思いました。
綺麗事かもしれないし、偽善者かもしれないけれど、「仕事ができない=人に迷惑をかける自分」を許せないのかもしれない。
自分の時間の使い方
「時間は有限」とはよく言ったもので、「自分の時間」って貴重ですよね。いつの歳も貴重だと感じます。
じゃあいざ何に使うかということは永遠のテーマかもしれません。
仕事をする時間も「自分の時間」であることは間違いないです。それは学生の「勉強」なんかも、「受験勉強の時間」なんかもそうかもしれません。
でも雪猫、受験生のときに明確に思っていましたね、「勉強が憎い」って。抽象名詞に対して「憎い」って、変な奴ですよねー。しかも勉強するためにその受験をするのに最たる対象に向かって「憎たらしい」とは何事でしょうね(苦笑)
でも紛れもない感情でした。こんなに自分の感情をハッキリ形容することが下手くそな雪猫でもはっきり思った感情だったんです。
「自分の時間を浸食しやがって」という気持ちで溢れかえっていました。
そういう癖に自由時間はやりたいことばかりやっているのかと言われるとそんなこと全くないんですけどね。いかんせん体力と集中力がなくて駄目ですね。(おい若いの)
……超余談ですが、煙草の匂いがするので外か隣の部屋か知りませんが吸ってるんでしょうね。(喫煙者であることは知っています)
自分の時間の守り方
雪猫は、せかせかすることが苦手です。それは、事前準備が上手いとも言えるけれど(いや誰も言ってないから)、その場で片付けることが苦手であるということです。はい、致命的ですよね。
腰を落ち着けて取り組みたいっていう逃げ腰・完璧主義が引き起こす悲劇的習性です。
結局、その場でちゃちゃっとやった方が早く終わるのに、後に回して結果的に自分の時間削っているんですよね。
自分の時間に固執してるのか雑に消費しているのかわっかんないですよね。
占いは思考停止かもしれないけれども
「占い」についてはいつか別途書きたいとも思っているのですが、まさかメンタルが落ちているこのタイミングちょろっと書くことになるとは思っても見ませんでした。しかも「仕事」の記事で(笑)
占いって、どう考えても信じてる側が弱いですよね、討論において(苦笑)討論にすらならないと思います。最強の切り札「偶然」で全部片付きますしね。
で、「思考停止するな」みたいな言葉を雪猫はどこかで聞いたので思ったんですよね、「占いも一種の思考停止と揶揄されるんだろう」と。
でも、同時に思ったんですよ、占いに頼っている身としては、「気休めだろうが生きる活力になるならいいだろうがよ」と。(口悪い)
(あ、先に言ったようにいつか別途書きますが、盲目的信者ではないですよ……多分)(本人に自覚ない物事なんてごまんとありますからねぇ……)
人に迷惑をかけない限りは、自己防衛は目一杯やって然るべきですよきっと。
あの、そろそろ眠いんですけど書き終わらないんですけれども。(自己責任)
自分世界を脱する居心地の悪さ
いつメンの元に返りたくなる心境ってわかります?
雪猫は、ちょっといつもと違うメンバーで行動すると必ず起こるんですよ。心細い心境というか、まぁ簡単に言えば見知らぬ土地に迷い込んだ感覚でしょうね。
家に一刻も早く帰りたくなりますし、気心知れた友人ズに連絡を取りたくなります。できないときは、テレビに頼ります。
でも「知っている友人」と言っても、もちろん誰でもいいわけではないですからね。
頭じゃわかっていること
至らないのは当然です。だって経験もクソもないですし、大それた何をやっている人の方が若者では少数なはずですし。(そう思いたいんですけどなぜか私の周りは凄い人が多くてしんどい時しんどいです)
後述しましたが、頭の中の理屈と感情が随伴してくれるかというと、必ずしもそうではないんですよね……不器用なことに。(いやむしろ一周回って器用なのかもしません)
頭じゃわかっていても、感情が伴ってこないことと、実体験のトラウマによって完全にはその理屈を信じ切れないことが相まって、すっきり解消までに至らないのですよね……。
例えば「他人は思っているほど自分を見ていない」っていう理屈。自分で周りの人を気にしなかった経験もあるし、その理屈の存在もわかっているんですよ。
でも、実際見られていた経験もあるわけで、でもって「怖いな」って感情事態は無条件で出てくるもんで。だから、頭でわかってるだけじゃあ困るんですよね……。
だってどうでもいいもん
「○○をしたいんですよね!」
そう言って何か活動をしている人を心の底から尊敬します。なんでそんなことを思えるの、というかなんで私は思えないんでしょう、とか不毛なことを思います。
社会の問題意識をちっちゃい頃から植えられている身としては、「こういう問題がある」ということは当然のように直結できるけど、そこに深さなんてなくて、「1+1=2」程度の「知識」でしかないんですよね。
「地球温暖化が進んでいるので二酸化炭素の排出量を減らさなければいけない」という式は当然のように立てられるけれども、二酸化炭素がどのくらい影響を及ぼしているのかとかどこから最も排出されているのかとか政策としてはどういうものがあるのかとか現状どのような取組みがなされていてどれほど成果を上げているのかとか新たな問題点とか本当そういう諸々は、まるで知らない。これが「世の中を知らない」ことなんだろうとつくづく嫌になるけれども別に興味はない、という悪循環です。
社会をこうしたいとか、誰かをこうしたいとか、これをできるようにしたいとか、そういう「やりたいこと」はどこでも大歓迎されるし仕事に直結する可能性が高いので人生得ですね、と嫌味ったらしく思ってしまいます。
あ、もう書きながら泣きそうになってます。弱いというか脆いというか、「駄目な奴ですねって言うことすらも思考停止で駄目なんでしょう?」ってまた病む悪循環です。でも向き合う気力ないんだもん、したくないんだもん。まったく雪猫はどうしてこうなんだ。
大っ嫌いって思った
大嫌いだと思いました、仕事を。
昔からそうなんですけどね。学校の炊事遠足の買い出しとか、グループでの話し合いとか、割と嫌いでした。不毛だなって、無駄だなってそう思っていました。(本当に無駄かどうかはさておいて)
本当に自分勝手であることを承知で言うのですが、「自分の時間が自分の中の『有意義』以外に割かれること」が人一倍嫌いな気がします。本当に嫌な奴ですこの猫は。(いや猫に謝れレベル)
その嫌悪感は、思うに、本当に推測に過ぎない上に同じ状況かそれ以上の人でもこんな風にならない人もいるのは一応わかっているのですが、現段階では幼い頃から忙しかったことによる弊害だと分析しています。この弊害は結構何個もあって、
・勉強していないと不安になる(ただし勉強が好きなわけではない)
・無為な時間を過ごしていると自己嫌悪に陥る
・何か「有益」なことをしないと「駄目だ」と思ってしまう
・自分の自由時間が侵されることに酷い嫌悪感を感じる(どれだけ自由な時間が確保できている状況だとしても)
……以上は弊害なのかな、要するに、幼少の頃に植え付けられた脅迫観念のようなものだと思っています。
なので、「仕事」に時間を割いているだけで、それが些細な業務だとしても「その状況」がもはや大嫌いなんですよね。
みんなそうですよね、勝手ですよね。頭ではわかっているつもりなんですけど……。
大っ嫌いって思ったその2
大嫌いだと思いました、自分自身を。結構久しぶりに思いました。
昔は、当然のように自分のことなんて大嫌いでした。でも、ここ最近は「少なくとも前よりは好き」だと断言できていたんですよ。
かなり久しぶりにこんなに嫌いだと思いました、自分のこと。
たまに思うことはあります。自分って気持ち悪いなって。そう、雪猫は結構「気持ち悪い」という感情を抱くんですよ。「嫌い」よりも「気持ち悪い」っていう貶し方の方が多いかもしれません。どこから湧くんでしょうねこれは。潔癖なところがあるんでしょうか。(非物理的な意味で)
「仕事=怖い」のイメージ
小説で、身近な人で、クラスで、部活で、ネット記事で、家で、「できない奴」を叩く声を沢山聞きました。
「あの人が一緒だったらこの計画も楽なのにねぇ」
「○○先生だったら良かったのになぁ」
「あの人が一緒かー……あーあ、今回は苦労しそうだ」
「あいつのこういうところ本当に意味わっかんないよなー。もっとこうしろよってな」
「これくらいわかるだろ、本当に気の利かないやつよな」
山ほど聞きました、別に対象者は悪者だけじゃなかったです。一生懸命やってても、誠意がそこにあっても、「あぁ……」って呆れられるような哀れまれるような落胆されるようなそんな目を向ける人はいっぱいいまいした。
で、雪猫はずっとそういうのが怖かったんです。だから、その対象にならないように「できる人」になろうと思っていた気がします。
人から後ろ指を指されるのは、「使えない奴・要らない奴・足かせ」だと鬱陶しがられるのは、怖いんです。なんででしょうね、根っこを知りたいです。なんでこんなに「有益でないこと」が怖いのか、どこにその原因があるんでしょうね。トラウマを探せって感じです。
個人的に、トラウマはハッキリしていた方がいいです。何が原因でその癖が生じているのかわかった方がいいです。対処方法を考えられるので。
でも、どうしてその感情が引き起こりやすいのか、その思考になるのか、恐怖を感じるのか、その原因がわからないと、対処方法を暗中模索するはめになるんですよね。大変効率が悪いです。
おかしいな、高校生が終わったら、別に苦悩することはないだろうと思っていたんですけど。人間って本当に弱い生き物ですよね。(「人間」で括るな)
で前置きが長くなりましたが、「仕事」っていのはその面が色濃くて、だから多分私は「仕事」っていう類いが嫌いなんです。
責任とか競争とか効率とか、もう目が回りそうです。
仕事に限らないと抗議の声が上がりそうですよね。でも、こういうのがギラギラしてて、優しさが通用しない感じが嫌いです。だって優しさって弱いですよね。+α要因というか、「あったら尚良い」ものであって「なくてはならないもの」ではないですよねきっと。そういう世界感が、嫌い。
「嫌い」と認めること
ちょっと今日思いました。
私はもっと自分の中の「嫌い」を認めるべきで、発見するべきで、区別するべきだと。自分の中の「嫌」の境界がわからなくなっている、そんな気がしました。「好き」を断言できなかったりするものの裏を返せば「嫌い」がわかってないんでしょうね。
「嫌い」なんですよ、今やっていることとか、上司(先輩)とか、もしかしたらメンバーも。でも、「メンバーのみんなが本当に頼もしくて」とか「優しくて」とか「ありがたい」とかそういうので全部包みがち、雪猫は。それをもっと自覚するべきだと思いました。
そういうので包んで善い人になろうとしてるから、自分の首を絞めているんでしょうね。昔からの癖みたいなものですし、褒められたもんじゃないのかもしれません。
私が恵まれているのは、そういう面を「雪猫は優しい」と言ってくれる友人ばかりなところでしょうね。それを「優しさ」だと呼んでくれる人がいて初めて優しさって作用するものでもあるので。
心がついてこな過ぎる
日々要らんこともぐるぐるぐるぐる考えているせいと言いますかお陰と言いますか、理屈を考えることは不得意ではないはずなんですよ。それにどれだけ気分が荒らしでも頭の中は猛スピードで働いて、落ち着くためのロジックを築き上げようと奮闘するんです。
でも、頭でどれだけ逃げ道を確保したところで、心が鈍足なんですよね。ここ最近で痛感しました、雪猫は、自分で思っている以上に感情で生きているみたいです。心の年齢が幼いみたいです。
だから、思考に感情がついてこられないようで、いっつも頭と心がちぐはぐ状態、みたいな感じです(苦笑)なんてこったい。(ボケる元気はあるようです)
ではではさようなら
長文読んで頂きありがとうございます。
眠いです限界です。明日はアイス買って食べます。(?)
それでは今日はこの辺で。また。
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