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鬼平犯科帳から学ぶ!現代にも通じるリーダーシップ論

今回は、わたしの大好きな、鬼平犯科帳からの学びを紹介します。

鬼平犯科帳は、池波正太郎氏による時代小説です。1961年から1964年にかけて、雑誌「オール讀物」に連載されました。

鬼平こと長谷川平蔵は、江戸時代後期の旗本で、火付盗賊改方長官を務めた人物です。
1787年(天明7年)、火付盗賊改方長官に就任します。
当時の江戸は、天明の大飢饉の影響で、盗賊が横行していました。
平蔵は、密偵を活用して盗賊の情報を収集し、容赦なく取り締まりました。その手腕は「鬼平」と恐れられ、江戸の治安を大きく改善しました。

平蔵は、捕物だけでなく、犯罪者の更生にも力を入れました。
捕らえた盗賊を厳罰に処すだけでなく、改心を促すために、話を聞いたり、仕事を与えたりしました。
その結果、多くの盗賊が改心して、社会復帰を果たしました。

平蔵の功績は、江戸の治安を改善したことだけでなく、犯罪者の更生に力を入れたことにも見られます。
その姿は、現代にも通じる価値を持つと言えるでしょう。

鬼平犯科帳は、全200話からなる大長編です。
各話は、平蔵とその部下たちが盗賊たちと戦う姿を描いています。
盗賊たちの犯行の手口や、平蔵の推理と捕物術は、多くの読者を魅了しています。

鬼平犯科帳の魅力は、大きく分けて2つあります。

1つ目は、平蔵とその部下や密偵たちの活躍です。平蔵は、優れた剣術の腕前と、鋭い洞察力で、多くの盗賊を捕まえました。また、平蔵の部下・密偵たちも、それぞれに個性があり、活躍しています。

2つ目は、盗賊たちの犯行の手口です。鬼平犯科帳に登場する盗賊たちは、それぞれに独特の犯行手口を持っています。
その手口は、巧妙で、読者の興味を惹きつけます。

鬼平犯科帳は、江戸時代の社会や文化を垣間見ることができる作品でもあります。
盗賊たちの犯行や、平蔵の捕物術を通じて、江戸時代の治安や、人々の生活を学ぶことができます。

今回は、その鬼平に登場してくる平蔵の部下である同心・木村忠吾と盗賊・川越の旦那こと、墓火の秀五郎、平蔵にまつわるお話です。

さてさて、どんな話が繰り広げられるのでしょうか?

「鬼平犯科帳(2)」 池波正太郎 文春文庫
「谷中・いろは茶屋」

同心・兎忠こと木村忠吾は平蔵の指名で谷中を見回り、職務中にもかかわらず、いろは茶屋の菱屋に通い、娼家のお松に出会います。
一度きりのつもりが、そこのお松に惹かれ、通い続けて一ヶ月が過ぎました。
まあ、今でいえば、仕事さぼって風俗に足繁く通っている冴えない部下でしょうか。
まあ、そんな人いないかもしれませんが…

そんな折、忠吾は、お松の常連客である『川越の旦那』と知り合います。
武州・川越で絹屋を営んでいること以外、名前も明かそうとしない旦那は、お金に困っているふたりのためにと十両を差し出してくれた。

寛政のころの1両は、現在の価値で約4万円から5万円程度と推定されています。
つまり、40~50万円ものお金をあげたのです。
太っ腹!

この川越の旦那はなんと、盗賊「墓火の秀五郎」という凶盗だったのです。

お松を面倒みている「川越の旦那」は、お松にこういったという。

「人間という生きものは、悪いことをしながら善いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている……」

人間の複雑な2面性について語ったのです。

そんな折、
「忠吾。このところ御用繁多で作るべき書類もたまっておる。しばらくは、
わしの手もとではたらいてくれい」
平蔵が傍へ引きつけてしまったので、もう外出が自由にならなくなりました。

上司はもうすでに、部下の行動はお見通しです。
さすが、平蔵!

それでも忠吾は、お松に会いたくて会いたくてついに無断で役宅を抜け出します。
そしていろは茶屋に向かうその時、怪しい影を見てしまいます。
いくらぱっとしない忠吾でも、そこは同心です。
お役目は忘れることなく大活躍をしました。

褒美を取らそうという平蔵に平身低頭して固辞し、

「あの夜、わたくしは、天王寺のいろは茶屋へ妓と忍び合うため、
無断にて長屋をぬけ出しましてたので・・・・・」

すると平蔵が、
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
と微笑むのでした。

なんとも素敵な上司。
風俗通いのさえない部下を、1度も叱責するどころか、盗賊捕縛に貢献したことで褒美まで与えようとしたのです。
まさに、「褒めて育てる」
ですね。
人間の2面性を熟知している平蔵だからこそできたと言えるでしょう。

こんな上司の元で働きたいものです。​


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