わからないはわからないまま受け入れる、クラムボンとクラムボン(原田郁子)「銀河」のこと
秋が深まるとなぜか宮沢賢治の「やまなし」が読みたくなる。
誰も知らない山深い清流の底、二疋の子蟹が会話している。その春編と冬編二つの青い幻燈の話。クラムボンが登場するのは春編だけど…。
青い水の底、赤い子蟹、光、「かぷかぷ」映像的で音が響く、楽しい描写と時間が続くかと思いきや、しばらくすると…。
何が起きたのか?サスペンスか?ミステリーか?と期待していると…。
「クラムボンはわらったよ。」あっさり最初に戻る。意味がわからない。
「クラムボン」という生き物がわらったり、死んだり、殺されたり、また、わらったり、そもそも生命体なのか?無生物なのか?架空の生き物なのか?幻影なのか?なんなのかわけがわからない。
そのシュールな展開がいい。現実とか、リアリティとか、ほっといて不条理な世界は不条理なまま、わからないはわからないまま受け入れる。
宮沢賢治の童話の中のわからないけど、見えないけどいる、その雰囲気や空気感が好きだ。
「となりのトトロ」も「トトロ」が見えない前半の自然の生きた雰囲気や神秘的な空気感が好きだ。わからないモノをわからないまま感じる。
「目に見えないわからない様々なモノが、存在している世界がわかる」
それでいい。
その点、この集英社文庫「銀河鉄道の夜」の「やまなし」のクラムボンの意味不明をそのまま楽しむ注釈がいい。
わけがわからないけど、わからないままで魅了されるバンドといえばスピッツ。スピッツも大好きでいつか書きたいと思っているが、今回はそのままバンド名がクラムボンの「シカゴ」も良くわからないけど楽しい。
さすがにクラムボンと名付けるバンドだけあって、宮沢賢治の童話の登場人物?生き物?恋愛感情?のようなわからないが、楽しい、面白いを楽曲で表現したような曲。
宮沢賢治の世界に近いと思う原田郁子の曲「銀河」も好きだ。
こちらの作曲はあの忌野清志郎。下の動画は、短いバージョンで「教会」~「銀河」だけど、夕暮れでシルエットだけのこの空間と時間と原田郁子の演奏が素晴らしい。
こちらは十三分あるロングバージョン、コーラス&ブールスハープ&アコーステックギターで晩年の忌野清志郎が参加している。
歌声が切なく、深く、一人で聞いていると泣いてしまう曲。
やはり今もどこかでクラムボンと言う見えない生き物が「わらって」「死んで」「殺されて」「わらって」いる気がする。それでも自分にできること、与えられた命を精一杯「わからない」中で「楽しみながら生きる」しかできないと思う。
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