妄想と偶然と音、旅
日々たくさんの偶然があるのですが、皆気づかなかったり素通りしたりしていることがある。
気づいた時には嬉しくなって、誰かに伝えたい気持ちを、物語にしたり、四角い作品に落とし込むのだろう。
「偶然こそが最良の助監督」と「顔たちところどころ」という映画で映画監督のアニエスヴェルダが言っていて、偶然ってすごいなぁと思ったのです。
この映画素敵だったので気になる方は観てみてくださいね。
自宅待機で偶然という奇跡体験が減っているので、ちょっと奇跡のスパイス不足なんです。なので音楽と妄想のお出かけをしてみようかな。と思いました。
例えば、失恋した後たまたま聴いた曲が、「アーティストさん、もしかして、自分のことみてましたか?監視してましたか?」と思うくらい、心境をなぞってくれて、更に解放してくれる事って、誰しもあるんではないか?と思っているのです。
その偶然という奇跡を、妄想小説とともに再現してみようかなぁと思いました。
この人何言ってんだ?と思いながらでも良いので、良かったら一緒にお付き合いくだされば嬉しいです。旅は道連れ。世は情け。
文と、絵と、音楽があったら妄想はどんどん立体になる物語です。
レトロカーへ乗って解きほぐす旅
夏が終わる頃、私たちはお金のことを考えず、レトロな小型の車を購入した。はじめて乗った時は行く先も考えずに荷物は持たずに旅に出た。簡単に言うと飛び乗ったのだ。しばらくして、ラジオから流れてきた曲が、すんなり生ぬるい風に溶け込んできた。遠くに来たのに、置いてきた荷物からは離れられないようだ。今までいろんなことに雁字搦めだった、自分を受け入れゆっくり解きほぐし、この景色に流していこうと決めた。
南国のおんぼろバイクで飛ばす旅
南にある場所で、あえてぼろぼろのバイクを借りて街をゆっくり走った。こんな風に伸び伸びできるのもこの場所ならでわである。思わずはしゃいでしまうが、誰も咎めない自由な国。何も決めずに気になるお店があったら「いいね。素敵だね。」といいあえる友達が居るからどこに行っても楽しさは乗算されていった。お店に入ってこんな曲が聴こえてきて、僕たちの旅はずっと続いていくような気がした。
森林のなかで読書
あの季節の事は忘れない。私たちは、小さな赤い屋根の山小屋でしばらく暮らした。さほど田舎に憧れもなく、都会で育った私は、最初はわかりやすく戸惑ってしまう。この自由で不自由なのっそりとした時間を扱うことに慣れていないのだ。そのことに気づきだして、意を決して、15時には必ずハンモックを木に結びつけ、必ず読書をすることにしたのだ。これがとても心地がいい。やっと、この木漏れ日に居場所を見つけた。その時、一緒に暮らしている人が、キッチンで料理をしながら何度もリピートして聴いていた曲が、春風とともにこちらまでそよいできたことを忘れない。
飲み会のあとの深夜のらーめん屋
バイト終わりに皆で飲み会をした。君が急に「ラーメンが食べたい」と言いだした。あんなにも焼き鳥やお米まで、食べたあとなのに、自動販売機で迷わず炭水化物パラダイスへ直行する。何故だかそんな行動に、ぐっと惹かれるこの気持ちと店内の曲がマーブル色に溶けて境目がなくなっていた。
仕事終わりのコンビニエンスストアの旅
迷っていた。毎日忙しくしていたから、体のことを考えると梅なのだ。街のネオンが激しくなった頃、閉店時間を忘れた場所で、ゆっくりおにぎりで迷う贅沢を満喫していた。街とのコントラストを最近はめっきり気にしなくなった。一つはあの人が、いつも美味しそうに食べているから好きになったんだっけ。と思い出していたら、曲が流れてきて、ようやく私は選択することができた。
最後コンビニという身近なシチュエーションとなりましたが、感情が合わさり合い、光を注げば、なんでも旅かもな、と思いました。光に気付くとゆっくりと日常が豊かになると思ってます。
※全部フィクションです。