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【エッセイ】 落とし物②


行き交う人。平日の昼間だってのに、人、人、人の波。耳には石のようなイヤホンが詰まっている。視線の先にはスマートフォンの光。一様に頭をさげ、お辞儀しているみたいに歩いている。ぺこりぺこりと、あたしもお辞儀して歩く。スマホ片手にイヤホンをしながら。

自分が「ヘンなの」って思ってることを、自分もしている矛盾にはしらんぷり。都合いいよね、自分って。

耳からは、キューイ、キューイと大自然で歌う鳥の声や、そよそよと揺れる森のささやき、ざらざらざっぷん、と流れ続ける川の音色が聞こえてくる。大都会で生きるあたしの細やかな抵抗ってやつ。ヒーリングミュージック。

「飯田橋に着いたら、B1出口を目指して・・・」

大自然の中に現れる都会を、あたしは颯爽と通り抜けていく。アスファルト。人工物。ネイチャーとは真逆な世界を、コツコツと足音を鳴らしながら進んでいく。頭の中では、目的地までの地図が出来上がっていた。

駅に着くと、世界の見え方が変わった。すれ違う人、同じ方向を向く人、みんなが「遺失物センター」の住民に見える。落とし物を取りに行く人、落とし物を見つけて帰ってくる人、その二色に人間が分類されてしまう。あたしは、黄色い方だね。

横断歩道、歩道橋、川、交番。頭の中の世界と、見えてる世界のすり合わせ。きょろきょろと眼と頭を振る。自分の現在位置を確かめているみたい。地図の上に、あたしという矢印が光りだす。あたしが歩くと矢印も動く。よしよし、わかってきた。少しずつ歩幅を広げていく。ぐんぐんと歩を進めていった。

「なんか、郵便局みたい」

「遺失物センター」と書かれた看板を通り抜け、室内に入ると、そこにはこじんまりとした空間が広がっていた。横長のベンチが数脚、受付用発券機が中央に置かれ、窓口は五つほど。人も少ない。地元の郵便局と印象が同じだった。もっと大きな場所だと思っていた。市役所みたいに人がガヤガヤといて、スタッフも大勢いるもんだと思っていた。だからヘンな感じ。それでも、受付の向こう側には警察の制服を着たスタッフがいるんだから。

窓口では外国人が必死の形相でなにかを訴えている。ここで聞こえる音といえば、彼の英語だけだった。蛍光灯のせいだろうか、空気が重い。しっとりと湿っているようで、待っている人々も暗く見えてしまう。

「ここ、落とし物した人たちが集まるんだよね・・・?」

胸の中で小さく呟いた。すると、ベンチに座るロン毛の男性があたしをギョロっと睨みつけてきた。

「え、なに? あたし、声に出てた?」

すぐさま視線を逸らし、なるべく彼から遠い位置に座る。鼓動が早くなるのを誤魔化すように、すぐにリュックに手を突っ込んで本を取り出した。ドクン、ドクン、ドクン。

ここは落とし物センター。悪い人が来るところじゃない。みんな、落とし物を取りに来てるだけ。うっかり屋さんの集まるところ。怖いところじゃない。怖いところじゃない。怖いところじゃない。

本を開いているのに、一文字も頭に入ってこなかった。

「104番の方」

受付番号104番はあたしのことだ。あたしは、ここで104番になった。ガタンと音を立てながら、声のする方へと急いで向かう。数字の書かれた紙は、深くしわがつき、ほんのり濡れていた。あたしはうつむきながら、その番号と家に届いた通知書を無言で目の前の男性に差し出した。

「少々お待ちください」

言葉を交わすこともなく、そう言われたことに驚いた。顔を上げると、目の前の男性の姿に、さらに驚いた。制服の上からでもわかるガッチリとした体型。そして、その髪型。パンチパーマ!

ここは怖いところじゃない、ここは怖いところじゃない!

さらにうつむく角度が鋭くなった。「あたしゃ、ガラケーか」って、自分で突っ込みたくなるくらい、体が折れ曲がっていたと思う。視界に入ってきたベンチにどかっと腰を下ろす。またリュックに手を突っ込み、本を取り出した。横に座っていたOLらしき女性は奇妙な鼻歌を歌っていた。

「104番の方」

104番はあたしだ。今、座ったばかりなのに、もう呼ばれたよ。大急ぎでリュックに本を戻し立ち上がる。横から「あんたより、あたしの方が待ってるんだけど?」と言われているような痛い視線を浴びた。

「こちらですね、1月13日ごろ、渋谷駅の方に届けられました」

パンチパーマは目の横にしわを浮かべながら、あたしが落としたワクチン証書の紙を取り出した。ただの紙っぺら一枚なのに、丁寧にビニールで包まれていた。捨てられてもおかしくないはずなのに。誰かが拾い、届けてくれて、今、パンチマーマのゴツゴツした手から、あたしのところに戻ってきた。

小さな感動がじんわりと身体にしみてくる。チラッと顔を上げると、パンチマーマは瞳を三日月形に曲げていた。その澄んだ黒の奥に、優しさと強さを見た気がした。声もやわらかく、とても怖い人には見えなかった。

「はっ、そうですか。すみません、ありがとうございます」

あたしはひったくるようにビニールをリュックに詰め込み、遺失物センターを後にした。

たぶん、あたしの視界は曇ってる。
横に座ったOL女性も、ギョロリとあたしを見てきたロン毛男も、受付で英語を喋っていた外国人も、パンチマーマの制服警官も。みんな、あたしの曇った世界の住民の一人でしかない。

スカイブルーに染まった空気を吸い込む。車が走り、ビルに囲まれ、大勢の人とすれ違っても、空気は美味しく、世界は綺麗だった。

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