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【エッセイ】 苦手な言葉。


子どもの頃から、「勝てば官軍」という言葉が苦手だった。
初めてこの言葉を聞いたのは、中学校の社会の時間だったと思う。社会科の先生は、妙に俗っぽい人だった。

初めての授業の時、先生は「オレ、右手の薬指が麻痺してっから、字が汚ねぇんだけどよぉ、わりぃな」としゃがれた声で叫んだ。教師とは思えないほど言葉づかいが荒く、骨格もガッシリとしているせいか威圧感もあり、全体的にガサガサしていた印象だった。スポーツマンだったのか、それとも職人かなにかだったのか・・・。あたしの頭の中には、いくつもの疑問が浮かんだ。

髪には白いものが混じり、肌には年長者特有のシミが浮かんでいる。目尻や額には深いシワが刻まれており、誰が見ても、いわゆるオジサンの先生だったが、その先生らしからぬ雰囲気のせいか、不思議と生徒たちには人気だった。しかし、まるで友達のように自分の意見をバシバシと言葉にするこの先生に対して、あたしは身体の芯が反発しているのを感じていた。

先生の言葉、一つ一つが、あまりにも痛すぎたのだ。

先生は、子どもには見えていない、現実的な発言を多くした。
最初にあたしの胸に突き刺さった現実は、サンタクロースの話だった。思い出すだけでも悲しいから、書くのはやめるが、中学一年生の冬から、あたしはクリスマスが楽しみではなくなった。

他にも、宇宙飛行士になる夢、サッカー選手になる夢、スチュワーデスになる夢、漫画家になる夢。生徒が抱く夢について、「じゃあ、そのために何をしてるんだ?」「なにをするべきなんだ?」「現実を見ろ」「社会は甘くない」と、とにかく先生は安易に夢を抱かせなかった。

そして「勝てば官軍」だ。

世の中は、全て勝者の都合のいいように作られているらしい。どれだけ悪いことをしていたとしても「勝てば官軍」だから、許されてしまう。それが、この世界のコトワリなんだとか。社会の授業の時に彼は言った。

「どれだけ人を蹴落としても、『勝てば官軍』つって、偉人として教科書にのれんだから。お前ら、どんな手ぇ使ってでも、勝てよ!」

あたしには理解ができなかった。それは負け惜しみでもあったんだと思う。その頃から、あたしは「勝った」経験がなかったし、勉強も運動も常に真ん中。平凡という言葉の枠から出たことのない自分にとって、「勝つ」ことの意味が見出せなかったのだ。それを認めてしまうと、自分を否定してしまうような気がしてならなかった。

いま思うと、先生はとても愛情深い人だったんだと思う。あたしたちを子ども扱いせず、真剣に「現実と理想との距離」について話してくれていた。
そして、あたしたちの未来に期待してくれていた。

先生の言葉の意味を理解するのは、それから何年も先の話になってしまうんだけど、今だに理解できないのが、この「勝てば官軍」という言葉だ。大人になり、社会生活を送る中でもよく耳にした言葉でもある。

この言葉を聞くたびに、あたしは先生を思い出してしまう。
先生、確かに世の中は「勝てば官軍」の社会みたいです。社会もそれを許容しているように見えます。力の強いものが勝者である。勝てば生き残れる。これは人間だけでなく、自然の摂理なのかも知れません。

でも、あたし、この言葉に納得いかないんです。

力の強いものは強者であるけど、だからといって「強者=勝者」という方程式が頭の中で成立しないんです。強者と弱者がいるだけだと思ってしまうし、あたしみたいに弱者でも生き残ってるヤツもいる。

勝敗って、誰が決めているんでしょうか。

たぶん、その社会のルールによるんでしょうね。サッカーのルールや、野球のルールみたいに、人間社会におけるルールがある。きっと、あたしは、そんな人間社会のルールを理解できていないんだと思います。でも、人間社会のルールって、なんなんでしょうね。・・・こんなことを考えているから、いつまでも勝てないんだと思います。

勝つことって、なんなんですかねえ。
本当に苦手な言葉です。

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