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【エッセイ】 主役。


静かな場所で本を読んでいると、ヒソヒソ話などの微かな会話が、やけに大きく耳に飛び込んでくる。聞きたくない、聞きたくない、集中しろ、集中しろ、と思うほど、会話は正確にウチの鼓膜を振動させる。

「あたし、寝てる時に、夢を夢と自覚できるんだよね。だから、夢をコントロールできるの!」

どうでもいい。本当にどうでもいい会話だ。興味も湧かない。なのに、耳にフタができないジレンマ。ヘンな話だね。

目はまぶたを閉じてしまえば、世界を遮断できるし、鼻も息を止めてることができる。口を結べば言葉は出てこないし、食べ物だって入ってこない。なのに、耳だけは、塞ぐことができない構造になっている。おかしい、絶対におかしい!

「聞かなくていいことなんて、ない」という理由があるのかも知れないが、でも夢をコントロールする話は、聞かなくていいでしょう。ウチは本が読みたいのだから! その場が静かであればあるほど、明瞭に言葉が届いてくる。

反対に、これがフードコートみたいな雑音だらけの環境だったら、同じ会話をしていても耳に入ってこないんだよね。言葉たちが混ざってBGMになってくれる。だから意外と読書に集中できる。カフェとかもそう。ワイワイガヤガヤは、心地いい。

しかし、静かな場所では言葉が響く。
声の大きさは関係ない。
言葉を発するだけで、その人が主役になってしまう。

ウチは本を読みながら、「この人は主役になりたいのかな?」とまで思ってしまった。もう本への集中はゼロになっていた。開いたページの文字たちは意味を失い絵となった。読めない言語を眺める感覚だ。

「でも、夢が自覚できてくると、今度は夢と現実の境目が分からなくなってきちゃうんだよね」

「主役」になるには、静かな環境にいけばいいのかも知れない。人が少ない場所や、誰も声をあげない場所で、小さく囁けばいい。それだけで、その人は主役になれる。これって、商品を売ることとか、文章を書くことにも通じる話かも知れない。

反対に人が多いところに行けば、その人の声はかき消され、音として背景と同化してしまう。この世界での主役は、声が大きいことなのかも知れない。それも、ただ大きいだけではダメで、世界を掌握するほどの大きさと強さが必要になる。ショッピングモールなどで、親が「◯◯ちゃん!」と子どもの名前を叫んでいるのに近いのかもしれない。その瞬間、誰もが「◯◯ちゃん」を探してしまうもんね。

あとは演出になってくるのかな。自然と主役になれなかったら、手を加えなければならない。化粧をしたり、照明を灯したり、周りの人に協力してもらって、引き立ててもらう必要がある。ウェディングなんて、まさにそれだもん。大勢の中で、華やかなドレスを着ていたり、豪華な席に座れば、それだけで主役になれる。まさに演出力だ。

「色々調べたんだけど、『精神が崩れてしまう可能性があるから危険!』って記事を見つけて、それ以来、夢のコントロールやめたんだけど、あのままいってたら、あたしヤバかったなって!」

耳に入ってくるのは、どうでもいい会話だったけど、もしかしたら声の主は、その場の「主役」になりたかったのかも知れない。そう思った途端、話の内容も、どこか演出ががかっている気がしてならなかった。演出は誰かにお願いするだけでなく、自分の力で演出することもできる。

ウチは、ポケットからそっとイヤフォンを取り出し、耳の奥へと押し込んだ。フタをしたはずなのに、耳からはクラシックコンサートの音が聴こえてきた。

人間の声が消え、音楽が世界の背景になると、開いたページの文字たちが、急に意味を持ち出したような気がした。


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