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【エッセイ】 家と風呂。


学生時代から、自分の家に誰かを呼ぶことが苦手だった。それは仲が良いとか悪いとか、友達が多いとか少ないとかの問題ではなく、もっと純度の高い苦手で、きっとウチにとって、家という場所は、ココロの置き場所でもあったんだと思う。だから、家族の誰かが友人を連れてきた時は、毎回ドギマギしてしまっていた。

家の外に出る時は、コートを着るみたいにココロにも外套をまとう。だからニッコリ笑って挨拶ができたり、イヤなことがあったとしても感情を押し殺すことができた。でも、それが家の中だと上手くできないんだよね。

だからといって、感情をムキダシにするわけではない。サラケダスわけでもない。わざわざ自分からアクションを起こすわけではなくて、一緒にお風呂に入る時のような感覚が近いのかもしれない。ウチは、まる裸。すっぽんぽん。自分のペースで湯船に浸かるし、いくら初対面だからって、そんなにずっとは隠してられないよ。

だから、本当だったらオモテナシをしなくちゃいけないはずなのに、人が来ると挨拶もソコソコで漫画の続きを読み出しちゃったり、まるで避けるようにトイレや寝室に移動してしまう。

友人を我が家に招待したこともある。でも、こんなウチだから、ムリが祟った。なにをしたらいいのか分からず、まるで監視するみたいに、キッチンから友人を凝視してた。自分のことなんて一つもできない。

それこそお風呂場で例えるなら、身体も流さないし、湯船にも浸らないで、ずっと友人を見守っているような感じ。湯加減はいかが? 身体流し足りないところはない? リラックスできてる? なんてことばかり気になってしまう。

当然、友人が帰った後はグッタリしてしまう。洗い物が山のように積み上がっているのに、チョコレートを何個も口の中に放り込み、歯を痛くしながらもチャプチャプと甘さに身を任せる。真っ黒になった口をホットミルクで洗い流し、いつもは聞かないJ-POPをかける。甘さを塩分で中和させようとするみたいに、極端な生活をすることで、バランスを取ろうとするのかもしれない。

ウチにとっての「家」は、どんな場所なんなのだろうか。ただの帰る場所ではない気がする。それだけでは説明が足りない。ココロの在処。心の壁。ATフィールド。それもまた違う感じがする。

ハズカシサがあるのかもしれない。お風呂に入った時に、自分の身体をジロジロ見られているかのような恥ずかしさ。それも男女混浴のお風呂で。でも、服もない、タオルもない。どうすることもできない。そんな感覚なのかもしれないな。今日はなんだから、お風呂の例えが多くなった。

もし、ウチの家にくるときは、銭湯にいくつもりで来てね!

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