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「普通」じゃない子どもと言われて

現在6歳の息子は、3歳半検診のときに発達障害の疑いと言われた。病院嫌いの息子を機嫌良く連れて行くために、「積み木とかおもちゃがあって楽しいよ」と向かった検査会場。息子はそれはそれは楽しく遊び倒してしまう。無理やり座らされた歯科検診はかろうじてクリアしたが、それ以外の検査は椅子に座っていられず受けることもできなかった。
保健師の先生に「いつもこんな感じですか?」と声をかけられて、世間話をするつもりで、「はい〜もう困った子で〜」なんて答えていたら、話の終わりに黙って一枚の紙を渡された。

「お子様の発達にお困りの保護者へ」。
丸っこく優しい文字で書かれているのに、心は急に重力を感じ、一瞬で冷たくなっていった。その用紙を見てはじめて、「あ、そういう話だったの?」と気づく。「違うんです、世間話で同調していただけで」と言うのも変だよね。えっと・・と考えてはみたけれど、何を言っても“障害を認められないアレな親”になりそうで言葉が出てこない。
正直、ひとりっこだし、よその子供のことはほとんど知らないし、あえて比較することもなかったので、特に「お困り」ではなかったのだが、たくさんの子どもを見てきた保健師からは「お困り」に見えたのだろう。そういえば保育園ではまったくしゃべらないと先生に言われたことを思い出す。
深刻に思われたくなくてヘラヘラしていたのに、用紙を見たら涙が溢れた。

改めて発達検査を進められると、自分自身がきょうだい児だったこともあり、「やはり」と「またか」と「なんで」がぐるぐるとめぐり、素直にすぐ申し込むことができずにいた。兄やわたし達きょうだいが受けたあの視線を、あの心無い言葉を、あの無条件に見下される態度を、また受けることになるのだろうか。せっかく家族から離れ、障害から離れた世界にきたと思ったのに。夫の前で泣いたり落ち込んだりしながら2ヶ月ほどぐるぐると考えて、なんとか踏ん切りをつけて検査予約をした。予約がいっぱいで発達検査を受けられたのは1年後、4歳8ヶ月のときだった。

先に結果を言うと、息子はすべての項目で平均点をとり、凹凸もなかった。検査の間、初めて息子が椅子に1時間以上座っているのを見て、それだけで涙が出た。診断をした先生が言うに「“あのとき”がピークだったんでしょうね」ということで、3歳半検診から1年経った息子は社会性を身につけ、「保育園で怒られないための工夫」を私に教えてくれるまでに成長した。年少の頃、保育園に行くとしゃべらなかったのはただ恥ずかしかっただけと説明してくれた。

3歳半検診から泣いたり落ち込んだりしたあの1年はなんだったのか。まじでなんの意味もなかったじゃん!と言いたいところだが、我が家に限ってはそうではなかった。再診のその日までは、息子は発達障害なのだろうなと思いながらの子育てだったので、夫婦でいろいろな記事や本を読み、知識を蓄えようとした。そして、わたしと夫共通でひとつの答えに達していた。
「発達障害はママ(わたし)も、じゃない?」
結果として、息子は発達障害でなかったので、わたしの発達障害の可能性の方が浮き彫りになった。
そして次はわたしが検査を受けることになる。

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