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わたしの場合

<最終学歴・職歴>

2007.3 4年制大学 外国語学部 卒業
2007.4 鉄道株式会社入社 庶務経理、契約、役員秘書等担当
2012.6 鉄道株式会社鉄道会社退社
2012.7 フリーランスヨガインストラクターとして活動(2015.8まで)
2015.1 育児用品会社入社 企画広報担当
2023.6 育児用品会社退社
2023.7 私鉄系スーパーマーケット入社 営業企画部EC担当(パート)

<就活時代>

まず、就活の頃を思い返すと、私の企業選びの基準No.1は「Uターン就職できるか」でした。
就活で何をすべきかをよくわかっておらず、企業ブースで話を聞いて、なんかよさそう、と思ったらエントリー。
働くイメージがまったくないまま就活していました。大学を卒業したら働かないといけないから、就活していた感じです。
結果、かなりの数の企業に落ちました。ESさえ引っかからない企業が大半。人生初の挫折でした。
そんな中、本当に就職したかった第一志望の企業には奇跡的に受かりました。地域限定職に応募したので、転勤の心配もなく、地元で働ける。面接で「やりたい仕事があるか」と聞かれて、「自分に何ができるかわからないので、与えていただいた仕事はなんでも一生懸命取り組みます。」と答えたことを覚えています。後になって思ったことですが、この企業は個より全体を重んじる社風だったので、自分を押し出してくる人より、協調できそうなタイプが求められていたのかもしれません。


<職歴1 鉄道会社にて庶務・経理・契約・役員秘書>


入社1年目~2年目に庶務・経理を経験。業務量が多い担務でしたが、要領をつかんで効率よく作業するのが得意だったので、2年目からは、かなりサクサク仕事してました。
3年目からさらに業務量の多い契約の担当になりました。この担務、現場に出張に行くことが多かったんですよ。駅などで業者交えて打ち合わせしたり、管理者と話をしたりするのがとても楽しかった。契約担当2年目はもっと大きい仕事を任されるぞ、と言われていて、楽しみにしていたのに、なんと1年で異動になってしまいました。
異動した先は役員の秘書担当でした。私にとってはとても不本意な異動でした。秘書といえども、大事な仕事は上司がやってくれちゃうので、私の仕事はスケジュール管理と届いた郵便物の管理と来客対応くらい。やることがなくて、ヒマを持て余す日が続きました。ヒマな時って、人はロクなことを考えません。嫌なところばかりが目に付くようになって、どんどん仕事から、会社から気持ちが離れていきました。

そんな時、私の心の拠りどころとなったのが、趣味で始めたヨガでした。あっという間にのめり込んで、気が付いたらインストラクターになるから会社を辞める、という決断にまで至っていました。これも今思うとですけど、本当にヨガインストラクターになりたかったわけではなくて、現状から逃げるための理由にしたんですよね。ただ辞めるっていうんじゃ格好がつかないから、次の仕事としてヨガインストラクターになりますっていう。たぶん、トップダウンの社風も私の性格には合っていなかったので、辞めたこと自体は正解だったように思います。


<職歴2 フリーランスヨガインストラクター兼カフェアルバイト>


鉄道会社を辞めた私は、ヨガのインストラクターになるべくTTC(Teacher Training Course)に通いました。

ヨガインストラクターの資格を取ったからと言って、すぐに仕事になるわけではないので、近所の公民館の部屋を借りて知り合いを集めてヨガ教室を開くところから始めました。
思い切ってオーディションを受けたら大手のオーディションに奇跡的に合格。インストラクター契約をしていただきました。でも私はこのチャンスをうまく活かしきれなかったな~と思います。

元々、前職を辞めた時点で、ヨガインストラクターとしてのチャレンジ期間は3年と決めていました。その期間で身につかなかったら、また「普通の」仕事を探すつもりでいたので、ヨガインストラクターから気持ちが離れつつもあり、逃げるように次の仕事を探し始めました。

さて、次の仕事はどうしよう、と思っていたところに運命的な出会いがあり、以前から気になっていた企業に入社を果たします。


<職歴3 育児用品製造販売会社にて企画・広報>


2社目として私が入社した企業は、女性社長が起業した育児用品の製造・販売の会社でした。正社員で採用していただくことになったので、ヨガの仕事は徐々に減らし、最終的にはゼロにしました。

ここでは企画・広報の担当をしていました。会社の仕事の他に、社長が立ち上げた子育て支援関係のNPOの事務局もしていました。

メルマガを書いたり、撮影したり、商品企画したり、カタログ企画したり、講座企画したり、何をやっても楽しかったですねぇ。社長がある程度裁量をあたえてくださったので、自分で考えて行動して、ができる環境でした。自分で企画やアイデアを動かして形にして行ける環境は、私に向いていたのだと思います。私の仕事力をぐっと伸ばしてくれた職場でした。

そんな私も、どういう訳か結婚して、子どもが生まれました。第一子の育休から復帰した時、会社の経営が危うくなり、会社の再起を託して、事務所移転の話が出始めました。その後、第二子を妊娠。結局事務所移転が決まり、第二子育休明けにそのまま退職させていただくことにしました。

好きな仕事だったので、とても残念でしたけど。


<職歴4 スーパーマーケットにてEC担当パート>

私が仕事をしていないと子どもが保育園退園になってしまうので、次の仕事をできるだけ早く探したいと思っていました。

正社員かつ時短で雇ってもらうのは難しいだろうと思い、9:00~16:00で働ける事務系のパートを探すことにしました。

自宅のすぐ近くに、スーパーマーケットの本部(本社)が、ちょうどいいタイミングで求人を出していたので応募し、採用していただきました。営業企画部のEC担当として働き始めることになりました。

でも、私はパートで働くとはどういうことなのか、全然わかってなかった。前職の経験があるから、やる気まんまんで働き始めたんですよ。でも、雇った側としては、パートさんはパートさんに頼みたい仕事だけやっていてくれればいいよ、という感じで、仕事の量も内容も物足りない。

9:00~16:00の契約で働き始めたのですが、毎日とてもヒマ。

ヒマな時間が長くなると、やっぱり余計なことばかり考えてしまいます。何も仕事はしていないのに、ヒマ疲れして、家に帰れば家事と育児で自分の時間がまったくない。こんな状況にストレスがたまって、頭がおかしくなりそうだったので、入社して7カ月目に、9:00~12:00勤務に変更して欲しいと上司にお願いしました。

それからは空いた時間を使ってコピーライターの勉強をするようになりました。

この年齢でコピーライター転職は難しいとは思いますが、言葉を使わない仕事はないし、とにかく楽しいので続けてみるつもりです。

今の目標は、長男が小学校に上がるまでに、言葉のスキルを使って仕事がある程度できるようになること。午後在宅で仕事ができたらいいなと思っています。


<スキルや学歴や年齢関係なく(18歳くらいに戻ったつもりで)、これからやってみたい仕事>

コピーライターの仕事、クリエイティブ系の仕事をやってみたいです。人と相談しながら、ひとつのモノ・コトを作り上げていく、問題を解決していく仕事がしたいです。


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