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100人中、99人に嫌われる私

高校生のとき、同学年が300人、教室には40人のクラスメイトがいた。
クラスメイトの名前はほとんど覚えていない。
顔がぼんやりと思い出せるくらい。
別に上から目線の発言とかではない。
私は所謂カースト下位だったし、化粧も知らない地味な学生で、嵐に人生を捧げているオタクだった。
だから向こうも私のことなんて、空気のような、或いはそれ以下の存在だったと思う。

というわけで必然的に、私には友達が少なかった。

でも、(主に)集団行動しているグループの女子とは仲良くなりたいとは、思えなかった。
幼い頃、母に捨てられてから「私は誰にも愛されない」というトラウマがあるから、深層心理では仲良くなることがこわかったのかもしれない。
私にとって、人のことを好きになるのはとても難しいことだった。
けれど時々、それは奇跡みたいに、仲良くなりたいとか、好きになりたいとか、そんなことはわざわざ思わなくても好きになれる相手がいる。
そして相手も、不思議なくらい、私を好きになってくれる。

私は周囲が思っているより弱い人間で、絶対に死なないのに、少しでもつらいことがあると、すぐに死にたいとか思ってしまうメンヘラ女子だ。
いま大人になって、仕事柄、人と触れ合う機会は少ないものの、やはり好きになれる人も、好きになってくれる人も少ない。
時に、つらいし、孤独だな、と思う。
勿論、可能ならば、出会った人すべてを好きになりたいし、出会った人すべてに好かれたいと思う。
でも、私にはきっとできないし、万人に好かれるような人間でもない。
だけど、私の人生においては、それでいいのかもしれない――と、近頃は諦めのようにそう思う。
人間が好きだし好かれたい。
そう一言で表しても、私は結局、好きになれない人間のほうが多いし、それは絶対的に比例して、好きになってくれない人間のほうが多いということで。

「あなたは、人に好かれる努力していない」と言われればその通りだ。

答えとして、きっと私は、無条件に私を好きになってくれる人じゃないと、こわくて、
それがたぶん相性というもので、
自然と気があう人間が、100人中に1人で、
いつの世も乙女たちが苦労している「仲良くなる努力」なんてしなくても生まれる関係こそが、
本当に自分に必要だと感じているのだと思う。

だから私は、新しくだれかと出会ったとき、だれかを好きになれたら、だれかに好きになってもらえたら、それが永遠に続きそうになったら、いつもとびきりうれしい。

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