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LINE恐怖症と死にたい世界

Lineがこわい。
とてつもなく、こわい。
既読つけるのもこわいし、なんなら内容を見るのすらこわい。
返事を書くのは、心と体が元気なときしか無理だ。
きっとそれは私が、完璧主義だからなのもあるだろう。(ぜんぜん完璧じゃないのにね)
軽々しく「OK」だけとか、スタンプだけとか送れない。
一行考えるのも、すごく時間がかかる。
だから、億劫になってしまう。
ちゃんとした文章を打たないと、と、感じてしまう。
あと、lineの終わらせかたもわからない。
とにかく幻滅されたくないとか、失礼になりたくないという思いで、返事をしないといういちばん失礼で幻滅される行為を選んでしまう。

でも不幸なことに、四年位前から、編集さんとのやりとりで、lineを使うことも増えてきた。
ただ、自分的にものすごくきつい仕事があって、そのときからlineを見るのが、無理になった。
そのせいで、失った仕事もある。失った人間関係もある。
連絡が大事なのはわかっているけど、どうしても、指がうごかない。
SNSに投稿するのも、最近は死にそうになりながら打っている。
文字を介して自分を発信するのがこわいのだ。(心底、SNSがなかった時代に生まれたかった。)
いつからこうなったのか、わかっている。
ただ、なにがこわいのかは、わからない。
私はこのままだと、ひとりぼっちになってしまうだろう。
でも、どうしたらいいのかわからない。
普段、特別暗いわけでもない。
友達と集まれば笑うし、youtubeでは元気なふりもできる。
私が躁鬱病だなんて、接している人間には、わからないだろう。
でも、まいにち心の中で、だれか助けてほしいと泣きながら思う。思っている。

親しい友達にも、二か月に一回くらいしか返事ができない。
親友に至っては「もう一方的に送るし既読だけつけて」と言われている。
ありがたいと思う。とても。

一週間ほど前、みうらはるまくんが30歳で亡くなって、
「君に届け」世代のわたしは、彼の容姿が好きで、時々、画像を保存する程度の、軽いファンだったけれど、一日中、かなしかった。私に悲しむ権利なんてないけど、かなしかった。
あったこともしゃべったこともない。
何もしらない。
でも、「死んだら、ほんとうにいなくなってしまうんだ」ということが、身にしみて、かなしかった。
その傍で、本当に世界が嫌になったら、「死んでもいいんだ」と、少し思った。
あんなにきらきらしていて、
美しさと才能のかたまりで、
底辺の私からしたら、
すべてがうまくいっているように見える彼でも、死にたい世界だったんだ、ここは。
不謹慎なのはわかっているけど、そう感じて、もっと世界が嫌になった。
だって生きていても、悲しすぎるばかりで、
うれしいことなんて何もないもの。
あるのは、1秒ごとに老けていく自分と、取り戻せない感情がなくなっていく日々だけ。

自分が書いた小説の酷評を見つけたり、
私以外はみんなしあわせそうで、
何もかもがうまくいっているように見えたり、
それだけで、
死にたくなる世界で
がんばって息をしている。
もう誰の言葉も響かない。でも私を好きでいてくれる人がいてくれるから、生きてる。

あのね、今日も私を見てくれてありがとう。

猫が生きていてくれて、ありがとう。

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