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お祭りとスーパーボール

この土地に引越してきて、早くも1年と少し。
去年は夫も私も息子も、それぞれ部署異動、新しい仕事、幼稚園と、それぞれが新しい環境に慣れるのに必死で、あっという間に4つの季節が通り過ぎていった。
季節が通り過ぎたことにすら気付かないくらいだったかもしれない。
そんな生活の中でも、私たちはよく行くモールや駅への抜け道を見つけて活用し、自転車でしか行けないような、脇道の先にある小さなパン屋さんなんかにも足を運べるようになってきた。

隣近所のママ友たちやその子どもたちと家族ぐるみで遊ぶことも増え、年配の方々とも気軽に挨拶を交わし、地域ネコがシマシマの背中を触らせてくれるようにもなった。
引越してきた当時の「あの家の人たちはどんなかしら」というヨソモノ感は徐々に薄れ(…てきているといいなという願望も入り混じりつつ)、小さなコミュニティの一員になり始めた安心感のようなものを感じている。

そんなある日、ママ友のひとりが、明日地域のお祭りがあるよ!と連絡をくれた。
そういえば去年なんとなくママ友たちからお祭りの話を聞いたような気がする。
「お祭り」という懐かしい響きに夫も喜び、次の日3人で行ってみることにした。

涼しい風が吹きはじめた夕方17時頃。
どうやら抽選会をしているらしい、高揚した司会の声の響きを頼りに坂を登っていくと、あちこちから人が集まってきている。

お祭りの会場は、息子が数年後通う予定の小学校。
到着してみると、学校まで2kmか3km歩いて通っていたという夫はその距離の近さに驚き、生徒数1,000人超規模の小学校出身の私は、1学年2クラスしかないというその学校のコンパクトな見た目に驚いた。

周りに高い建物がないその校庭に立つと、オレンジ色のフィルターがかかったような青空には、薄く掃いたようなすじ雲が幾層も重なり、その真ん中を横切るように飛行機雲が堂々と線を描いていて、こんなに広い空を見たのは久しぶりだった。
そして校庭いっぱいに人が集まり、人々をぐるりと囲むように屋台やキッチンカーが立ち並び、ついつい引き寄せられてしまうような、おいしい匂いをそれぞれに漂わせている。
初めて行く地域のお祭りのその様子は、なんだかぐっとくるものがあった。

息子とはぐれないように気をつけながら、夫はフランクフルトと焼きそば、私はイカ焼きとラムネ、息子はメロン味のかき氷をそれぞれ手に入れて、校庭に設けられた会議机とパイプ椅子の席を椅子取りゲームのごとく確保した。
夫が買った焼きそばの4分の3は息子のお腹に入り、私のイカ焼きはやけにしょっぱかった。
息子が初めて自分で「メロンのかき氷ください」とお金を渡して買ったかき氷は、息子が大事に抱えてゆっくり食べるうちにすっかり溶け、それでも満足気な息子のべろを見事な緑色に染めていた。

次は何を食べるか飲むか、ご近所のみんなはどこかと話していたら、息子がトイレに行きたいと言い出し、夫が息子を抱っこして校庭を小走りに抜けていった。

校庭の前方に設けられた舞台では、地元のお囃子会の演奏が始まり、空気はより一層お祭り色を増していく。

パイプ椅子にひとり残された私の頭上には、「ぽつん」の擬音が浮かんでいたに違いない。
右隣の家族は、抽選会でディズニーのチケットを当てた子どもが戻ってきて大盛り上がり。左のおばさんたちはビール片手に旦那さんのグチを言い合い、後ろの方ではその学校を卒業した生徒が当時の担任の先生を見つけ、ぎこちない敬語で嬉しそうに中学での近況を話している。

花火が咲いたようにあちこちで突如として勃発するプチ同窓会。
日に焼けた男子小学生たちは財布を覗き込んであと何が買えるかと額を寄せ合い、おしゃれをした女子たちは互いの浴衣や髪型を褒め合う。
ひとりでなんだか嬉しそうに佇むおじいさん。
呼び込みで声を枯らす大学生。
よちよち歩きの赤ちゃんの光るサンダル。

みんなここが「地元」で、長くいる人たちなんだろう。
彼らを見ていると、ここでの生活に慣れてきたとは言え、自分がまだまだ異質な存在に思え、頭の上の頼りない「ぽつん」が、どんどん太字になっていくように思えた。

いつの間にか日は沈み、明るさを残していたマジックアワーの最後の数分になったところで、夫と子どもがトイレから戻ってきた。

お囃子の演奏はいつしか盆踊りの音楽に変わり、舞台の前に焚かれた大きな丸い照明の周りには、盆踊りの輪ができている。
ふたりと合流できたので一緒に観に行ってみると、「踊ってきなよ」と夫が言う。
ほんの一瞬、私一人で輪に入るのはなんだか恥ずかしいような気がしたけれど、ま、お祭りだもんね!と開き直り、振付もわからない「青葉音頭」の輪に飛び込んだ。

私にとって馴染みのある盆踊りは、地元さいたまの「浦和おどり」だ。
母に浴衣を着せてもらい、実家の近所の神社で開かれるお祭りに、ご近所家族たちと連れ立って出かけていった。
サイリウムのブレスレットを友達とお揃いで買ってもらい、小さな櫓の下、大人たちの見様見真似で「浦和おどり」を踊る。

毎年このお祭りで、私と兄が1回50円ですくった金魚たちは、大きい順にA、B、C、D、E、F、G、Hという名前をつけて飼っていた。
とくに大きかったAやBは、3年だったか5年だったか、そのくらい長生きしたが、最後に入ってきた一番小さなH、彼が持っていた何かしらの病気によって、我が家の水槽はあっけなく全滅してしまった。
金魚は神社の隣の公園の、アジサイの下に埋めにいく頃には、サイリウムのブレスレットにはもう喜ばないくらい私は大きくなっていて、神社のお祭りにも行かなくなっていた。

「青葉音頭」を踊りながらそんなことを思い出していると、「よろしいでしょうか」と声がして、80歳かくらいだろうか、娘と思しき女性に付き添われながら、笑顔の老女が私の前に入って踊りだした。
エビ色のTシャツを着たその背中はまさしくエビのように曲がっていたけれど、その手の動きは、この土地で何十年も「青葉音頭」を踊り続けてきたことを伺わせる、洗練された美しい手つきだった。

彼女の後ろで振付をなぞり、時々間違えながら、輪の外で息子を肩車して私の動画を撮っている夫の方を振り返った。
息子はいまいち気が乗らなかったようで、早々に輪から離れていたのだった。

盆踊りが終わりふたりの元へ戻ると、今度は息子が楽しむ番だと、スーパーボールすくいに連れて行く。
ピカピカ光るおもちゃは、昼間のうちに売り切れてしまったらしく、この間幼稚園のお祭りで買った光る棒を持ってくればよかったねと話した。

夫が手伝いながらスーパーボールをすくってみたけれど、4歳の息子には少しむずかしかったようで、あっという間にポイに穴があき、残念賞で好きなボールを1つもらえた。
息子は中くらいの黄色いスーパーボールを手の中に握りしめて、私たちはまだまだ続くお祭りの空気を背に、暗くなった通学路を帰った。

私の生まれ育った地元は浦和で、夫の地元は糸島で、息子が生まれたのは福島だった。
私たちは、まだまだこの土地では新参者でしかない。
これから先、息子は成長して、今日見かけた小学生たちのような、大学生たちのような、大人たちのようになっていくんだろう。
私たちはきっと、自分が育った場所よりもずっと長くこの土地に住んで、いつしかここが私たちの「地元」になっていくんだろう。

そう思った時ふと、谷川俊太郎さんの「ここ」という詩を思い出した。



「ここ」 谷川俊太郎

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく



私たちにとってこの土地は「どこか」だったけれど、この土地がやがて「ここ」になっていく。
ある場所を離れ、別の場所に長く住む、そこで根を張って生きていく。
そのときに、そういう不思議な逆転現象が起きるのだ。

家に帰ると、スーパーボールをあちこち投げまくる息子にさっそく雷を落とした。
この雷を落とさなくてもよくなった頃には、「ここがどこかになって」いるといい。

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