木村覚(美学者、(お)笑い研究、BONUSディレクター)

大学研究者。美学、(お)笑い研究。ダンス研究。2000年頃から舞台芸術の批評活動を開始…

木村覚(美学者、(お)笑い研究、BONUSディレクター)

大学研究者。美学、(お)笑い研究。ダンス研究。2000年頃から舞台芸術の批評活動を開始、2014年には「ダンスを作るためのプラットフォーム」BONUSというプロジェクトを進める。http://www.bonus.dance  2020年7月『笑いの哲学』(講談社選書メチエ)刊行。

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『笑いの哲学』ができるまで(1)最初に考えていたタイトルは「笑えない世界」でした

こんにちは、初めまして、木村覚(きむら・さとる)です。関東圏の女子大学で十数年、教員として働いています。先日『笑いの哲学』という本を書きました。笑いを考察した本です。多くの人に、この本に興味を持ってもらい、またできることなら手にとってもらいたいと思っております。そこで、noteにて『笑いの哲学』ができるまでの顛末や『笑いの哲学』で書きたかったこと、書き逃したこと、できたら今後こんなこと考えてみたいといったあれこれをお話ししたいと思っております。 本書の構想は、だいたい3年ほ

    • 【自著再考】 「愚かであることの可能性」(初期Chim↑Pom論)を2020年にもう一度、考えた

      Chim↑Pomとの最初の出会い私がChim↑Pom(チンポム)作品に出会ってから、13年くらいになります。桜井圭介さんがオーガナイザーを務めた「吾妻橋ダンスクロッシング」に彼らが参加して、アサヒアートスクエアというアサヒビールが所有しているリッチでバブルな会場のトイレへの通路で、ひっそりとといえばひっそりと、黄色いネズミの剥製(『スーパー☆ラット』)を展示していて、たまたまトイレの帰りに卯城竜太さんに呼び止められて、作品の説明を聞いたのが、私の最初のChim↑Pom体験でし

      • 『笑いの哲学』ができるまで(10)やり残したこと

        あえて、自著の批判を申します。(しかし、それを上回るだけの良さもあると思っています。と、あれこれ申す前にフォローさせていただきます。) 私の新刊『笑いの哲学』(講談社選書メチエ、2020年)最大の限界は、それが「笑いの哲学」だというところにあります。つまり、笑いをあくまでも西洋「哲学」の知見の範囲内で論じたということが、この本の一つのセールスポイントではあるけれども同時に限界であり、弱点だと私は思っています。 「哲学」は西洋の知の財産です。そして、それはもちろん私のような

        • 人間が人間として豊かになってゆく笑いの諸段階 本書の構成について 『笑いの哲学』ができるまで(9)

          『笑いの哲学』(木村覚著、講談社選書メチエ、2020年刊行)が出版されました。多くの方に本書に興味を持ってもらいたく、10回ほどのシリーズで本書が「できるまで」をエッセイにしています。今回は、9回目。本書の構成について、私が意図したことをお話ししたいと思います。 本書は三章立てです。 第一章は「優越の笑い」を、 第二章は「不一致の笑い」を、 第三章は「ユーモアの笑い」を、 取り上げています。 私は、この構成を人間が人間として豊かな存在になってゆく段階として考えています

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        『笑いの哲学』ができるまで(1)最初に考えていたタイトルは「笑えない世界」でした

          以前は理解されなかった「優越の笑い」がいまはとてもリアルになってしまった 『笑いの哲学』ができるまで(8)

          10年くらい前から大学の講義で「滑稽さ」をめぐる講義をしてきました。『笑いの哲学』(木村覚著、講談社選書メチエ、2020年刊)の中では、第一章にて「優越の笑い」を取り上げています。これについては、他人の不格好さを見てしまった人が、「私はこんなヘマはしない」と他人と自分とを比較して、自分は立派だと「突然の得意」を心に抱き、笑ってしまうというトマス・ホッブズの理論をベースに話をしていくのですが、講義を始めたころ、この説に対する反発がとても大きかったことを思い出します。反発する学生

          以前は理解されなかった「優越の笑い」がいまはとてもリアルになってしまった 『笑いの哲学』ができるまで(8)

          『笑いの哲学』ができるまで(7)「ナイツそっくりのネタをつくってくれ」と出した課題に学生たちはこう答えた

          私は関東圏のいくつかの大学で「滑稽なものの美学」という科目タイトルの講義を10年ほどしてきました。『笑いの哲学』(木村覚著、講談社選書メチエ、2020年刊)は、ここで話したことをまとめたというところがあります。 このシリーズの2回目に書いた(↑)のは、そうした大学での講義で出会ったある学生のエピソードでした。 ところで、本書の第二章では「不一致の笑い」を論じていますが、その中でナイツのネタの分析を丁寧にしております。これは、よく講義の中でも、取り上げ分析してきたところでし

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          『笑いの哲学』ができるまで(6)苦労した日本のユーモリスト探し

          『笑いの哲学』という本が出ました。笑いを考察した本です。「哲学」と付いているので、とっつきにくい真面目な本と思われるかもしれませんが、スギちゃんやオードリー春日俊明のことなど、お笑い芸人のこともたくさん書いています。第三章のスギちゃんや春日を取り上げているところで論じているのは、彼らはユーモリスト(ユーモアを社会に振りまく人)なのかどうか、という問いでした。 第三章「ユーモアの笑い」の大きな議題は、日本社会に果たしてユーモリストは存在しているのか?ということでした。そもそも

          『笑いの哲学』ができるまで(6)苦労した日本のユーモリスト探し

          『笑いの哲学』ができるまで(5)「松本人志」をどう書くか

          『笑いの哲学』(木村覚著、講談社選書メチエ、2020年刊)は三章立てで、 第一章は「優越の笑い」 第二章は「不一致の笑い」 第三章は「ユーモアの笑い」 となっています。 それぞれを考察するのにふさわしい哲学者(ホッブズ、カント、ドゥルーズなど)を取り上げ、それぞれの笑いを掘り下げているのですが、その一方で、コント55号からハリウッドザコシショウまで、日本のお笑い芸人のネタを示しながらその面白さを分析しているところも、本書の特徴です。「厳しい批判は勘弁してください!」と念じ

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          『笑いの哲学』ができるまで(4)イラストレーター進士遥さんに表紙を依頼したときのこと

          さて、原稿がほぼ完成すると、今度は表紙をどうしようかということが編集者Hさんとの話題になりました。なんとなくなのですが、講談社選書メチエの表紙に関する印象というのは、どれもクリーム色のカバーで、堅実だが、斬新さはない(すいません、メチエ編集担当のみなさん)、というところがありました。折角の新刊なので、ぜひ、後悔しないものにしたいとHさんに甘えて、以前お仕事を依頼したことのあるイラストレーターの進士遥さんにお願いするアイディアを提案しました。 私の専門は美学、またダンス研究で

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          『笑いの哲学』ができるまで(3) 編集者Hさんと初めてお会いして打ち合わせしたときのこと

          木村覚『笑いの哲学』が刊行されました。このエッセイは、より多くの方に本書に関心を持ってもらいたく、10回くらい連続のものとして本書完成までの顛末を書き進めていくものの3回目です。 「『笑いの哲学』ができるまで(1)」で書いたように、2019年の秋に一旦中断していた原稿執筆がアメリカでの「充電」によって再開し、黙々と、平日には毎晩3-4時間を費やして、土日は一日中、改稿を続けていきました。今年の1月ごろに、それは、7割くらいの出来のものになってきていました。さて、どうしようか

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          『笑いの哲学』ができるまで(2)冷蔵庫にテレビのリモコンを入れてしまった学生の話

          『笑いの哲学』というタイトルの本が出版されました。私、木村覚(きむら・さとる)の新刊です。より多くの方に興味を持ってもらい、より多くの方に手にとってもらいたいという一念で、本書ができるまでの顛末を10回くらいの連続エッセイで紹介していきます。 本書の第一章に、ちょっと面白いエピソードを取り上げています。ある学生が、寝ぼけ眼で、冷蔵庫にテレビのリモコンを仕舞ってしまった、という逸話です。 これは、実際に私が聞いた、嘘みたいな本当のお話です。 数年前、ある国立大学に非常勤講

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