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『笑いの哲学』ができるまで(5)「松本人志」をどう書くか

『笑いの哲学』(木村覚著、講談社選書メチエ、2020年刊)は三章立てで、

第一章は「優越の笑い」
第二章は「不一致の笑い」
第三章は「ユーモアの笑い」

となっています。
それぞれを考察するのにふさわしい哲学者(ホッブズ、カント、ドゥルーズなど)を取り上げ、それぞれの笑いを掘り下げているのですが、その一方で、コント55号からハリウッドザコシショウまで、日本のお笑い芸人のネタを示しながらその面白さを分析しているところも、本書の特徴です。「厳しい批判は勘弁してください!」と念じつつも、筆者としてはお笑い芸人ファンの人にも手に取ってもらいたいと思っております。

すべての章に登場する唯一のお笑い芸人は、ダウンタウンの松本人志です。多くの人が、松本人志を今の日本のお笑い界の頂点だと考えているでしょうし、『IPPONグランプリ』の大会チェアマン、Amazonプライムの『ドキュメンタル』の支配人振りなど、実質としても、お笑い界を支える存在であることは間違いないと思います。

さて、ではこの松本人志が繰り出す「(お)笑い」をどう扱えば良いのでしょうか。この点はとても悩みました。先に挙げたような超然とした立ち位置もあるし、でも実際には漫才師でありコント芸人であるし、そればかりではなく映画監督という一面もあるわけです。この多岐にわたる活動を、どう捉えれば、彼を論じることになるのでしょうか?

そこで彼の本を読んでみることにしました。「週刊朝日」の連載をまとめた『遺書』が私が大学生の時に大ベストセラーになったのを思い出しました。またその続編にあたる『松本』、その後、1999年にはロッキング・オン社から『松本坊主』が出ました。そのほかにも、島田紳助とのテレビ番組が背景にある共著『哲学』(2002年)、高須光聖とのラジオを基にした共著『放送室』(2003年)などがあります。松本はそれなりに膨大な言葉を残してきた人であるわけです。(また、相方の浜田雅功にも1997年の著作『がんさく』が出ています。これもとても役に立ちました)まずは、そうした松本の言葉を読み漁りました。

すると、松本人志の、ある一貫した笑いに向けた考えがはっきりと見えてきたのです。それは、本書をお読みいただいて、確認してくだされば、と思うのですが、一言で言えば、「切ない」「悲しい」笑いへの志向です。

上記のDVD(HITOSI MATUMOTO VISUALBUM)などを見てあらためて確認してみると、とくに彼が渾身のコントを作り続けていた1990年代後半の作品群は、その多くが「切ない」「悲しい」笑いだったのです。私の調べが足りないからかもしれませんが、数多あるだろう松本人志を扱った批評・論考でこの点に焦点を絞って深く考察したものを私は知りません(あったら、すいません、読みます)。この点に絞って書いてみよう、そう思ってまとめたのが、第三章の「ユーモアの笑い」に収められた、松本人志をめぐる部分になります。

それ以外にも、第二章では、松本の「想像力」の笑いの難解さを、浜田がどのように大衆にもウケるネタにしていったかなど、本書では松本人志ないしダウンタウンについての考察が散りばめられています。


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