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<連載小説>昨日のような、明日を生きよう<10>

チチと呼ばれて

「チチ、だっこ」
「また? ちょっとは歩きなよ」
 そういいながらも抱っこする僕は甘いんだろうか。ニコニコと笑顔を見せる綾は僕の首に手を回しながらほっぺたをつねったりしている。
「ちょ、痛いよ」
「チチのほっぺ、いたーい」
 そう言って笑った。午後も遅くなり、髭が伸びてきたらしい。昼過ぎから綾の退屈地団駄が始まり、見かねて公園に遊びに来たのだった。
 まだ二歳の綾は、滑り台を上るのを怖がる。で、下りるのは平気。平均台も手をつなぎながらでないと進めない。まだまだ友達を誘って遊ぶ、というのは難しいらしく「遊んで来たら?」と勧めても首を横に振って嫌がった。
「満足した?」
「うんっ」
 日が暮れ始め、ようやく綾は帰ると言い出した。宮子が恋しくなったのか急ぎ足で歩いていたが、さすがに疲れたらしくすぐに抱っこと言ってきたのだった。
 抱き上げて歩き出して程なくして、綾は眠ってしまった。僕も腕が痛くなってきた。いくら軽いといっても十キロはあるのだ。そんなに長く抱いてるのは難しい。
 途中で腕組みを変えたり、壁にもたれかかったりして、ようやく家に着いたときにはヘトヘトになってしまった。
「ただいま~」
 奥から宮子が顔を見せる。
「おかえり~、大変だったでしょ。あらら、寝ちゃってる。こっち貸して」
 歩いてきて綾を受け取ってくれる。助かった。腕が一気に軽くなる。
 肩をグルグル回してほぐす。どっと疲れが出てきた。
 居間に入ると宮子は綾を寝かせて自分も椅子に座っていた。
「ありがとう。眠った子供はなんでこんなに重いんだろうね」
「信頼されてる証拠じゃない」
「そうだと良いけど。やっぱり普段はハハ、ハハ、だからな~」
「産んだものの特権よ、それは」
 そんなことを言う。グッと力こぶを作るとニカッと笑うのだった。
 僕も椅子に腰かけて、宮子のお腹を見る。臨月を迎えた体は、重心が前にかかっていてとても辛そうに見える。少しでも体を休めて欲しいと思っているが、「じっとしておくのも良くないの」といって家事は率先してやってくれる。
 そういえば今まで言っていなかったが、宮子は専業主婦だ。パートタイマーとして書店で働いているが、今は出産前なのでお休みしている。
 綾が生まれたのは少し寒いころ、十一月だった。二人目はこのままいけば来月、五月には産まれる。予定通り、からは少し遅れたが、効率的な家族計画だと言える。本人は「お酒飲めなくなっちゃうね」などと冗談を言っていたが、実際、綾が乳離れしたのは一歳になった翌年の春くらいだったから、お酒が飲める期間は半年も無かったわけだ。
 というわけで僕もお酒を飲む回数を減らしてみたりしている。元々外でのお酒の付き合いは少ない方なので、それほど苦とは思わない。
「綾と何してたの?」
「滑り台と平均台。砂遊びは途中で大きい子たちが来ちゃったから綾、逃げちゃって」
「このくらいの子から見たら、小学生でも巨人よね」
 確かにそうだ。大人なんてビルみたいに見えるんだろうな。
 綾の視線を想像してクスリと笑みが漏れる。
「そう言われてみればそうだね。綾が怖がるわけだ」
 噂の主は、今はいびきをかきながら眠っていた。
 その寝顔を見ていると、段々と僕も眠たくなってきてしまった。
「ふふ、寝ちゃってても良いよ。ごはんの仕込みは終わってるから、時間まで休んでいれば? 明日は仕事でしょ」
 宮子の声にうなずき、腕を枕にして横になる。
 穏やかな空間、綾の寝息、宮子が本のページをめくる音。
 それらを子守唄に、僕は意識を手放したのだった。

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