見出し画像

矛盾を恐れないで。

「どれくらい編集者をやってるんですか?」

著者との打ち合わせのとき、高確率でこの質問を投げかけられる。そういうとき、ちょっと返答に困る。

「ええと、本格的に編集者をやっているのは1年にも満たないくらいです……」

そう答えると、これまたけっこうな確率で、たいそう驚かれる。
まあ当然といえば当然。「編集長」という仰々しい肩書をもらっている人間が、編集経験がほぼゼロの状態のペーペーだというのだから。
自分が逆の立場でも驚く。

(やっぱり未熟者だという不安はあるだろうな……)

そんなことを常にうっすらと感じながら、それでも頼りなさを見せるわけにはいかない、という覚悟で臨む。まったく未開の道を手探りで。

そもそも私は2年前、コロナの騒ぎが少し落ち着き出したくらいの社会の混迷期に、編集者としてではなくブックデザイナーとして転職先を探していたのだった。だから今でも本業は、本の誌面や装丁を作る人。

それも未経験からスクールに1年間だけ通って無理やりこじ開けた道だった。当時の自分は、背水の陣という言葉を常に自分に言い聞かせながら、不安で押しつぶされそうになる気持ちを無理やり鼓舞しているような状態だった。

そのまた前の仕事は、IT企業でシステム開発のマネージャーをしていた。とても風通しの良い、面白い人がたくさんいる組織だったけど、作っているものと自分自身の特性が合わなすぎるような気がした。

ふりかえってみれば、とんでもない紆余曲折。少し心配になるくらいのキャリアの脈絡のなさ。

出版社の編集者としての仕事は、就活生の頃に夢見ていたキャリアNo.1だったけれど、正攻法で勝ち取るには要領が悪すぎて、気づいたときにはエントリーさえしていない状況で就活シーズンが終わっていた(そもそも、皆が血眼になって限られた採用のパイを奪い合う「就活」という戦争状態にびびり散らかしていた)。

だから、自分には編集という仕事への情熱も縁もないのだと勝手に諦めていた。この道は、自分に対しては閉ざされたのだと。

だけど蓋を開ければ、自分はいま編集の仕事をしている。しかも、曲がりなりにも「次世代の教科書」というシリーズの編集長として、舵取りを任されている。

もちろん前途洋々とは言えない。やること成すこと始めてばかりで、うまく行かずに困惑することのほうが多い。

それでも、この道を選んで良かったとは思っている。

小さい頃から本が好きで、学校の授業の合間はクラスメイトと話すことより本を読むことを選ぶような人間だった。今でも、電車に乗る時は文庫本を開くのが習慣になっている。10代のときほど文章に没頭できなくなってきたけど。

だから、どんな形であれ本を作る仕事に関われたのが嬉しい。

価値ある学びや著者の人生をかけた思いを一つの本にして届ける。
その面白さは、ほかの何にも代えがたいものがある。

人生どう転ぶかわからない、とはよく言ったもので、自分が将来何をやっているかなど究極見通すことはできないという持論に至っている。

10代の自分は、将来システム開発の仕事をするなんて思ってもいなかったし、その先でデザイナー兼編集者なんて二足の草鞋を履くことになるなど思ってもいなかった(たぶんその頃は国語の教師か大学教授になりたかった)。

20代前半の自分は、自分がもう一度編集者の門を叩くなんて思ってもいなかった。

そして自分はいま30代手前だけれど、この先どういうキャリアを歩むことになるかは、やっぱり分からないのだと思う。

その時々で下した決断というのは、あとになってみないとその真価がわからない。当時は失敗だと思った道が、巡り巡って成功に繋がっていることもある。そもそも、成功の定義自体が自分の中で変わることもある。

人は、変わっていく生き物だ。というより、生き物すべてが否応なく変わっていく運命にあるのだと思う。だから、過去の自分と今の自分との矛盾を過度に恐れる必要はない。

矛盾を含めて、今自分に必要な変化なのだ。

だから、進路やキャリアで悩んでいる人は、自分が下した決断を信じて「とりあえず」進んでみればいいと思う。

それがどんなにぎこちなく、的外れに見える一歩でも、脈絡がないように見える決断でも、きっといつかクイズの答え合わせのように、点と点がつながる日が来る。

本好きの少年が、巡り巡って本づくりに携わることができているように。

(「次世代の教科書」編集長 松田)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?