『君たちはどう生きるか』における鈴木敏夫プロデューサーの仕事
2024年1月8日、宮﨑駿監督作品『君たちはどう生きるか』がゴールデン・グローブ賞アニメーション映画賞を受賞した。
2023年7月14日に公開された同作は、「宣伝をしない」という前代未聞の宣伝によって世間を騒がせた。公開から半年後に勝ち取った栄誉は、どんなキャッチコピーよりも世界中の観客を惹きつけることだろう。
このあまりにも見事な筋書きを描いたのは、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーだ。『君たちはどう生きるか』において、鈴木プロデューサーが果たした役割とは何か。数多くの媒体で語られた発言を振り返り、その功績を明らかにしたい。
1.企画の決定と制作の決断
2013年9月6日、宮﨑監督の引退記者会見が行われた。一度は現場を退いた監督が、どのように返り咲き、そこに鈴木プロデューサーがどのように関与していたのかを振り返る。
同年7月20日に公開された『風立ちぬ』の制作中から、宮﨑監督は引退を口にするようになり、鈴木も覚悟を決めていた。『風立ちぬ』は120億円を超える興行収入を叩き出し、ゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞にもノミネートされた。
アニメーション映画賞でのノミネートとならなかったのは、賞の審査時期に全米公開されていなければならないという、当時の選考基準を満たせなかったためだ。この『風立ちぬ』がきっかけとなって、製作国で上映されていればアニメーション映画賞の選考対象となるように、ゴールデン・グローブ賞のルールは改正された。
2014年8月3日、ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に鈴木が出演。番組内で株主総会の場面が放送され、鈴木の口から制作部門の解体が宣言された。
引退した宮﨑監督は、2014年「クルミわり人形とネズミの王さま展 ~メルヘンのたからもの~」、2015年「幽霊塔へようこそ展 ー通俗文化の王道ー」と、ジブリ美術館の企画展示に携わった後、2015年6月からジブリ美術館10本目となる短編作品、『毛虫のボロ』の制作を開始する。ジブリ美術館で上映される短編作品は月毎に入れ替わるため、丸一年で一巡するように12本の短編を作るという目標があった。
『毛虫のボロ』の制作過程は2016年11月13日にNHKで放送された、『終わらない人 宮﨑駿』に詳しい。そしてこの放送内で、宮﨑監督は「長編企画覚書」を鈴木に提出。突如として引退撤回の意思を表明する。
2016年7月1日付けで書かれた長編企画覚書を目の前にして、鈴木は困惑の様相を見せている。「手描き」に回帰するという新たな長編作品に対して、必要なスタッフを集めることができるのか、見通しが立たないようだった。
『君たちはどう生きるか』の企画が動き出した最中、宮﨑監督は新たな企画案、『アーヤと魔女』を持ち出す。どちらの企画をやるべきか問われた鈴木は、迷わず『君たちはどう生きるか』を選択する。後に『アーヤと魔女』は、宮崎吾朗監督によって制作されることとなった。
書籍『THE ART OF 君たちはどう生きるか』によれば、2016年9月23日から、宮﨑監督は絵コンテを描き始めたようだ。同年12月末の金曜日(おそらく12月23日)、鈴木は宮﨑監督から冒頭20分の絵コンテを受け取る。日曜日の夜に目を通した絵コンテは、確かに面白かった。しかし、宮﨑監督の年齢、制作に必要な年数を考えると、このクオリティを維持したまま完成させられるのか、不安がつきまとった。翌月曜日、断るつもりで宮﨑監督のアトリエに出向いたが、気が付けば「やりますか」と口にしていた。
2.作画監督「本田雄」の引き抜き
『君たちはどう生きるか』の制作を決断した鈴木は、スタッフの獲得に動き出す。数日後の12月30日には、『毛虫のボロ』で作画監督を務めていた「本田雄」を、吉祥寺の喫茶店に呼び出した。仲間内から「師匠」と呼ばれる本田は、宮﨑監督からもその実力を認められていた。「若い宮﨑作品」を作ろうとしていた鈴木にとっても、本田は必要不可欠な存在だった。事前に宮﨑監督からも直接の参加要請を受けていた本田であったが、簡単には承諾できない理由があった。
本田は長年、庵野秀明監督作品『エヴァンゲリオン』の主要スタッフを務めてきた。当時制作が予定されていた『シン・エヴァンゲリオン』にも、当然参加することになっていた。
庵野監督とは『風の谷のナウシカ』からの旧知の仲であったが、引き抜きが簡単に承諾されるはずもなく、最終的には本田の意思に委ねられた。「仕事というのは2つしかない。やりたい仕事か、やらなきゃいけない仕事か」と鈴木は口説いた。紆余曲折の末、本田は作画監督として『君たちはどう生きるか』に参加するととなった。
3.前代未聞の制作方針と宣伝方針
2017年7月に発行された冊子『図書』。そこに鈴木の決意が綴られている。
”新しい試みはふたつある。第一に、これまでやって来た製作委員会方式を解消する。第二に、大宣伝もやめる。”
『君たちはどう生きるか』を、「すごい映画」にしたかったと鈴木は語る。そのために時間と費用を惜しみなく投下することを決めていた。いつ完成するかもわからない作品に関係者を巻き込まないよう、単独出資での制作を決めた。
締切も設けず、どこまでも作り込むことを可能にする環境を、鈴木は用意した。集った熟練のスタッフたちは、長い時間をかけ、惜しみなく力を発揮した。
”これまでやってきたことは繰り返したくない。最後にいつもと違うことをやりたい。それが引退を撤回してもう一度つくる本当の気持ちだったんです。”
2022年12月13日、スタジオジブリ公式Twitterアカウントから、『君たちはどう生きるか』の公開日とポスタービジュアルが公開された。7月14日に公開されるまで、それが最初で最後の情報開示となった。鳥らしきビジュアルとタイトルだけ記されたポスター。キャッチコピーもなく、作品内容を読み取ることは不可能だった。
予告編も公開されず、パンフレットも後日発売。徹底された宣伝方針は、多くの人に初めての映画体験をもたらした。
4.忘れられないための施作
「ジブリが忘れられないための施作」
「鈴木敏夫とジブリ展 東京展」の開会セレモニーで鈴木が口にした言葉だ。
『君たちはどう生きるか』の制作期間が伸びるほど、劇場でスタジオジブリ作品を目にする機会は遠のいていく。その間を埋めるよう、全国各地を「ジブリ展」が巡回していった。2019年4月から、「言葉の魔法展」を発展的に継承した「鈴木敏夫とジブリ展」がスタート。2021年4月からは「アニメージュとジブリ展」、2022年7月から「ジブリパークとジブリ展」、2023年6月 からは「金曜ロードショーとジブリ展」が始まり、現在も全国を巡回し続けている。
極め付けは2022年11月1日に開演した「ジブリパーク」だろう。スタジオジブリの歴史を振り返るあらゆる機会が創出されたことは、広義の意味で宣伝効果をもたらしたはずだ。
5.米津玄師の登用
『君たちはどう生きるか』の主題歌である『地球儀』は、世代を超えて作品を届ける一つのきっかけとなった。2018年7月15日、鈴木が長年続けているラジオ番組「ジブリ汗まみれ」に米津玄師が出演する。
生粋のジブリファンであり、「ジブリ汗まみれ」のリスナーでもあった米津玄師に、鈴木は主題歌を依頼することを直感的に判断した。映画公開まで4年以上の月日をかけて『地球儀』を作り上げた米津玄師は、その間にさらなる人気と知名度を獲得していた。
『君たちはどう生きるか』が公開されてからしばらくは、米津玄師が映画の広告塔の役割を担っていた。7月26日には写真集付きのCD『地球儀』が発売。同日にYoutubeで公開された『地球儀』のミュージックビデオは、今日まで2000万回以上再生されている。7月28日には青サギ役を務めた菅田将暉との対談「僕たちはどう生きるか」がYoutubeで配信。8月10日にはスタジオジブリがアニメーションを手がけたライブ動画が配信され、公開1ヶ月後となる8月14日には「地球儀ラジオ」がYoutubeで配信された。
歌い手と語り部になった米津玄師は、普通の宣伝だけでは手の届かない層まで映画の存在を知らしめることとなった。
6.海外への展開
『The Boy and the Heron』。『君たちはどう生きるか』は、海外では『少年とサギ』というタイトルに名を変えている。あまりにも哲学的過ぎると判断した鈴木は、万国の万人にも伝わるようなタイトルを命名した。
2023年7月27日、『君たちはどう生きるか』がトロント国際映画祭のオープニング上映に決定した。邦画としても、アニメーション作品としても、初となる偉業だ。この出来事が、海外展開への大きな足掛かりとなった。
北米では「GKIDS」、フランスでは「ワイルド・バンチ」と、鈴木はそれぞれの国の配給元に宣伝を委ねた。ポスターや予告映像を制作は、その国を理解している人間がやるべきだと全幅の信頼を置いた。北米でもフランスでも、これまでのジブリ作品をはるかに凌ぐ動員を集めている。
7.知られざる仕事たち
鈴木敏夫プロデューサーはメディアへの露出も多く、その仕事を知る機会も多い。しかし、その全てが公表されているわけではない。
9月21日には、株式譲渡による日本テレビの子会社化が発表されたが、それを事前に知るものはスタジオジブリ内でも3名だけだったという。鈴木は作品の制作と並行して、人知れず困難を乗り越え、知られざる仕事たちによってスタジオを支え続けてきた。
決して全てが表に出ることはないが、目には見えない価値ある仕事の数々が、プロデューサーとしての鈴木の真骨頂なのだろう。
『君たちはどう生きるか』は無事に完成し、世界中の興行で好成績を上げている。それを導いた鈴木プロデューサーの仕事に対し、あらためて敬意を表したい。
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