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集い、対話することでアンラーンする

日常生活では、特定の人々との交流に限定されてしまいがちです。家族、友人、同僚...いつも話す人との繋がりは確かに安心感をもたらしてくれますし、支えとなります。しかし、時には、自分の世界がこれら限られたグループによって狭められているなと感じる瞬間もあります。そんな時、異なるバックグラウンドを持つ人々との対話が、まるで新しい世界の扉を開くかのような感覚をもたらすことがあります。

今日は、異なる視点を持つ人々との対話がいかに好奇心を刺激し、知的な探求心を広げるかについて考えてみます。新しい人々との出会いが、ただの会話以上の価値をもたらすことができるはずなんです。

対話の重要性

普段の生活では、共感できる人、共感を示してくれる人との会話が多くなりがちかと思います。自分のことをわかってくれるという安心感を感じられることは、日常生活の中で対話が持つ大きな意味だと思います。しかし、新たなアイデアや価値観を生み出すには、異なる背景を持つ人々と交わす会話がとても大切になると思います。

先日、専門分野の異なる先生方と対話する機会がありました。自分が全く知らない分野のお話を聞いたときに、「あぁ世の中にはこんな困難があるのか」「こんな社会への貢献の仕方があるのか!」などと自分の手に届く範囲の人たちと話しているだけでは、気づかなかった視点を発見し、思考の幅を広げるきっかけとなりました。

交流の範囲を広げて対話することでアンラーンできる

話したことのない人や参加したことのないコミュニティに飛び込むことは、恥ずかしいやめんどくさい、時間がないなどの理由で敬遠されがちかもしれません。しかし、異なるバックグラウンドを持つ人々との対話によって新しい視点に触れることは、自分だけでは気づかなかった視点に触れられるだけでなく、自分の思考のクセに気づくきっかけにもなります。つまり交流の範囲を広げて、異なるバックグラウンドの人と集い、対話することは自身のアンラーニングに繋がるんです。

孫泰蔵さんの『冒険の書 AI時代のアンラーニング」にも学びの場は「アンラーニングするために集まるコミュニティ」であるべきと書かれていますね。

これまでの教育機関は「学ぶために通うところ」でしたが、僕はそれを真逆の意味に変えたいのです。正直なところ、ラーニングは一人でもどこででもできます。しかい、アンラーニングは自分だけではなかなかうまくいきません。アンラーンしようとしている人と交わる中で、対話を通じて初めてできるものです。ですから、わざわざ集まる意味は、アンラーニングのため以外にないと思うのです。

『冒険の書 AI時代のアンラーニング』

ラーニングするために集まるのではなく、アンラーンするために集まる。集まって対話することの価値というのが変わってきているのかもしれません。

異なる人々との対話を促進する方法

異なる視点を持つ人々と出会うには、新しい場に足を踏み入れる勇気が必要です。

僕は幸いにも、いろんな人と出会う機会をもらえることがたくさんあります。誘いを断らず、飛び込んで見ることで自分が行動しただけでは出会えなかった人々との交流をすることができます。飛び込むこと大事です。

もう一つ有効な手段は、自分でイベントを企画してしまうことです。
セミナーやワークショップを開催することで、参加する方々との交流から自分の中にはないものを得られるチャンスとなります。

今日も企画した大学でのワークショップに参加してくださった参加者の方との交流から、新しい価値観に出会うことができましたし、何より元気をもらえました。

40歳の壁を感じているのならば、普段の心地よい関係性の中だけで過ごすこと(コンフォートゾーン)から、一歩踏み出して異なるバックグラウンドを持った人々と集い対話すること、それによってアンラーンしていく。これがとっても大切なんだなと思いました。

これで今日の考える終わります。


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