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「遅い思考」に歩調を合わせるということ

『ニュースの未来』

ニュースってなんで必要なんだろう?という思いを感じていたことから読み始めた本。「良いニュース」を定義する中で、必要なニュースについて触れられていたところで当初の疑問に対する答えが書いてありました。

人間にとって、自分で調べるコストというのは、案外と高いものです。そこを先回りして調べ、ニュースとして報じることに価値はあるのです。

これで完全に納得したわけではないのですが、次のニュースの書き手の本質について書かれた部分と合わせると分かるような気がしてきました。

僕はニュースの書き手というのは本質的に軽薄であり、不謹慎であることからは逃げられないと思います。

その根源にあるのは、結局のところ「知りたい」という好奇心ではないかと思うのです。より正確に言えば、単なる「好奇心」ではない、「思慮深い好奇心」です。他人の不幸に土足で踏み込むことをよしとせず、相手が語ってもいいと思えるまでの関係を構築し、「知りたい」を伝えること。これがベースにあると仕事を重ねて気づいたのです。

ニュースの当事者ではない記者が第三者という立場からニュースに関わ記者の動機について書かれている部分です。ニュース自体だけを見ていると、悲惨なものや残酷な事件の報道に僕は疑問を持っていたわけですが、受動的に情報を受け取る人たちの存在とともに、”記者”という個人の動機に注目してみると、なるほどニュースを報じることの意味を感じ取ることができるようになりました。


僕はニュースの必要性について知りたいという動機で読み始めましたが、この本では「必要なニュース」ではなく、「良いニュース」について考え、ニュースの未来にとって大切なことは何か?を考えていくことが主題になっていると思います。

ニュースに関わる記者ではない僕が一番自分と交差するであろう考え方を得られたのは、「良いニュース」の一つの条件として、「思考」の必要性を論じていた中の文章に触れた時です。

どうして彼らはこう考えるのか、どうしてこういう結果になったのかと書き手が思考を深める過程、立場を超えて共有している思いを丁寧に描くことで、多くの人に開かれたニュースになっていくと僕は考えたのです。
書き手が思考を深めていくと、発信されるニュースも自ずと「思考」を深めるものになっていく

「良いニュース」には思考がある。書き手の思考があり、その過程を経て発信されたニュースは読まれるものとなり、さらに読み手の思考を深めるものにもなっていく。

これは僕が授業や発信をしていく上でも大事な考え方だなと思いました。受け手が知りたいことだけを知るための手っ取り早く結論に達することのできる情報を伝えることだけを重視するのではなく、発信側の思考を深めてその過程も丁寧に伝えることで、受け手側の思考も深めることにつなげていく。まさに大学の教育、研究についての社会への発信をしていく中で必要とされることなんじゃないかと思いました。


感情や直感を刺激する「速い思考」を促すニュースとの対岸にいる「遅い思考」とも歩調を合わせられるニュースは、二項対立構造による分断も乗り越えられる力があるというのも頼もしく興味深いです。

一つの声を主張するニュースはいかに根拠に基づき、科学的に正しい内容だったとしても、対立する側には届かずに、内輪の結束を固める効果をもたらして終わります。逆に言えば、対立する側はよくわからない存在となり、分断は深まっていくのです。
「遅さ」も大切にした「思考」には、分断を乗り越える力があるのです。

ネットやSNSから情報を得ようとするときに起こる「フィルターバブル」からも守ってくれるものにもなるのだと思います。

分断を乗り越えることに僕が貢献するのは難しいかもしれませんが、「遅い思考」に歩調を合わせられるような教育・発信を大切にしていきたいなと思うのです。


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