言葉を学ぶって、つまり、こういうことなのかも
母国語は、その人がまず最初に外界と関わるための道具になります。
他者との対話とは、同時に、自分自身との対話でもあります。
文法上正しい言葉であっても、中身がなければ対話にはなりません。
言葉とは概念だから、その意味するものを理解して初めて、伝わるものとして使いこなすことができるのです。
母国語は脳内対話ツールです。
そして、その言葉を共有する一群の人々(つまり同国人)と分かち合う文化そのものでもあります。
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なのですが……
今、日本語はどれだけ学ばれているのでしょうか。
言葉の表面的な形を身につけるのが小学生ぐらいまで。
そこからやっと文化の部分を深めていくことになります。
でも、はたしてどれだけそれを学んでいるのでしょう?
その機会・教育はちゃんと滞りなく与えられているのでしょうか。
そういう意識で母国語と向き合うことを教えられているのでしょうか。
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言葉を、コミュニケーションのための道具としてではなく、概念や文化として捉えるなら、母国語との付き合いは、一生続く学びですよね。
noteを書くことは、そのためにも大いに役に立ちそうです。
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