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フィードバックのおかげで”自分”がわかった

前にこんな記事を書いたんです。
大掃除シーズンには、同じようなことで頭を痛めている人がきっと大勢いらっしゃることだろうと思います。
おかたづけ好きな日本人ですから(笑)

で、この時、noteのお仲間さんが二人、コメントをくださいました。
それを読んだ時に「あ~そうか!」と気づきが起きたんです。

それは、頂いたコメントに、というよりも、その刺激によって自分を振り返ったことで引き出されたものでした。

記事に書いたのは、デスク回りを占拠しているメモの山をどう整理すればいいのだろうかという困った話。

それに対して、しちゃうおじさん(略してしちゃおじ)さんが、ご自分の経験談を交えてこんな丁寧なアドバイスをくださいました。

片付け(整理整頓)の最難関が、書籍全般を含めた文字情報ですので、この悩みは大変共感できます(※人によっては思い出品が最難関らしい)。

「しちゃおじ」も以前は、小さなダンボール1箱分くらいのメモ書きを溜めてしまったことがあって、部屋を片付けてもそれだけはずっと残ってしまっていたのですが、あるとき一念発起して、他の何よりも優先して大量のメモ書きを片付けてみたところ、結論としては「既に用が済んでいた」か「今となってはまったくもって不要」なメモ書きが99%でした。

これはあくまで個人的な考えですが、アナログなメモ書きをデジタルなメモ書きにしたとしても、引き出しの手前にあったメモを引き出しの奥に押し込むようなもので、物理的な片付け(整理整頓)にはなるのかも知れませんが、思考の片付け(整理整頓)にはなりません(※表層ではメモの存在をすっかりと忘れてしまうのですが、深層では思考のノイズとしていつまでも残ってしまいます)。

もっと言ってしまうと、日常の生活空間から(アナログ・デジタルを問わず)書籍等を含めたテキスト情報を撤去すればするほど、不思議と思考がクリアになってきます。

このことを経験を通して強く実感してからというのも、「しちゃおじ」の生活空間にて、書籍やメモ書きなどのテキスト情報が溜まってしまうようなことが一切なくなりました。

書籍やアイデアメモなどを片付けられない理由は、やはり「せっかくの情報を失ってしまうのではないか?(もったいない)」といった不安なのですが、本当に必要な情報は自分の中にきちんと残ってますし、別の形でもいくらでも得られますよ🐤

段ボール箱1杯って、負けました (;'∀')
(いや、問題はそこじゃない!)

潜在意識や、情報の扱い方について、経験談も交えながら、論理的に語ってくださいました。
これだけの内容の濃いコメントを書くのには、それなりの時間と労力が必要なんですよ。ただただありがたく、頭が下がりますm(_ _)m

で、確かにおっしゃることはその通りだと、思ったんです。
でも、わたしの中では何かが引っかかっていました。

そのすぐ後に、おじぞう/スギオカカズキさんから、こんな一言が。

半年前の投稿、覚えています 😊
メモ問題は、きみこさんの永遠のテーマなのかもしれませんね。

夏ごろにも同じようなことをつぶやいていたのを記憶されていたそうで、ちょっと照れました (^^ゞ

「メモ問題」この言葉を目にしたときです。
「あれ!?」と思ったんです。

いったいいつから、わたしにとって「メモ」が問題になってしまったんだろう?

メモはずっと、わたしの宝の山だったはずなんです。
だからなんでも思いつくと書き留めるクセが身についています。

なのに、宝の山がゴミの山に変わった?
いやいや、これはおかしい……
 

この3年ほどずっと、kindleでファンタジー小説を出しているのですが、そのストーリーの元になっているのは長年にわたって書き溜めてあったメモです。

今でもはっきりと記憶していますけど、ストーリーの卵というか芽が生まれたのは30年以上も前のこと。
通勤の電車の中で、思いついたことをせっせとメモ帳に書き留めては、きれいなクッキーの缶にしまって、ずっと大事に育てていました。

途中15年ほどは、そのままただ持ち続けていただけです。
でも、ある時急に、作品に呼ばれたかのように、止まっていたストーリーが頭の中で動き出し、組み立てなおされて、文章になっていきました。
今それにさらに手を入れて、kindle書籍として世に送り出しています。

これまでの30数年の間に、6回引越しをしていますが、もしその時に、もうこれを書くことはないだろうからという理由で、あのクッキー缶を捨ててしまっていたら……!?

わたしのライフワークである長編大河ファンタジー小説『ランティア伝説』が今のようにkindle書籍と言う形になって世に出ることは絶対にありませんでした。

結果的に作品にするほど育たなかったメモ書きのノート(物語の種)はいくつもあります。
捨ててしまうモノも、もちろんあります。
でも、これは捨てちゃいけないなと思うモノは、たとえ形になりそうにないと思ったとしても、捨てずに取っておくことにしています。

そのおかげで『ランティア伝説』はこの世から消滅せずに済み、今現在、誰かの心を愉しませています。

わたしにとって「メモ」と呼ばれる走り書きには、そのぐらい潜在的な価値があるのです。

そのことを思い出して、振り返ってみたら、以前はメモの置き場所や対処で困るようなことは起きていませんでした。
なのに、なぜ今は違うのか?

問題はそこです。
何が違ってしまったのか?

長くなっちゃったので、続きはこちらで。

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日々を満たされて生きるために、誰にでもできるささやかな幸せ習慣。

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