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天国にお金と体は持っていけないならこの世に何を残すのか

こんにちは!
日頃から頭に浮かんだことをポエムみたいにしてインスタグラムのストーリーに載せることをしているのですが先日このような言葉が浮かんできました。

『天国にはお金と体は持っていけないよ。
だから不安を埋めるためにお金を稼ぐことはやめて
その与えられた美しい体を使って
美味しいものをたくさん食べて
色んなところへ足を運んで色んな経験をして
大切な人を抱きしめてその温もりをたくさん感じよう
そして経験してきたことを多くの人に伝えていこう。』

この言葉は父のことを考えている時に浮かんできたものです。
父は現在66歳。定年退職し、リノベーションの会社を細々と経営しています。そんな父を幼い頃から側で見ていた私は
「大人っていつも忙しそうで大変だな。」と思っていました。

毎日朝から夜遅くまで働いて、週に1回しかないお休みの日も半日働いて。
そんな生活を40年ほど続けていた父。仕事柄長距離の移動も多かった為、今でも腰痛に悩まされています。

子供を3人育てていく為に
家を建てるために
車を買うために
母の治療費を稼ぐ為に...と。
常に周囲を優先して「〜の為に」と自分に鞭を打って仕事に行っていた父。

そんな父がやっと定年して年金生活になる。
私はこれから父が心おきなく自分の人生を楽しめるようになるんだなと心から安心していました。そして定年退職してしばらくした父にこれからの人生の楽しみとやらを聞いてみることにしたのです。

「これからどんなことをするのが楽しみ?」

すると父からは意外な答えが返ってきました。


「孫に誕生日やクリスマスのプレゼントも買ってあげないといけないし、お年玉だってあげないといけないし、その他にも色々とお金はかかってくるし年金だけじゃ足りないから働かなきゃ。」でした。

元々仕事が好きな父なので仕事をする方が若く、元気でいられるしそれはそれで良いのかな、なんて思っていたのですが父はどうやら【〜しなきゃ】という呪縛のようなものに退職後も縛られていたのでした。

それを聞いた私はとても悲しく、そして切ない気持ちになりました。母を亡くしたからこそ、残された父には思いっきり自分の人生を楽しんで欲しかったのです。

天国に行った母にどんな人生を送って欲しかったかなと考えると、やっぱり自分がやりたいことをやり切って欲しかった。と思うのです。
母と過ごした誕生日の思い出もクリスマスの思い出も、もちろん心に残っていますが、それは何かをプレゼントされた思い出ではなく、一緒に過ごした思い出が色濃く私の中で残っているのです。

大人になった今だったら誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもいらないから、その代わりに一緒にどこかに行ったり、習い事を一緒にしたり、色々な思い出を共有したかったと思うのです。

形に残るものより心に残るものの方が色濃くて、いつでも思い出せて胸が温かくなれるから。


当たり前に過ぎて行く毎日に慣れ過ぎて私たちはいずれこの体を脱いで魂だけになることを忘れてしまいがちです。

元々の壮大な魂からこの小さな体に降りてきて【不自由な生活を通して何かを達成する】という幸福を得られるこの人生。この頂いた体をお金を稼ぐだけに酷使していいものなのだろうか。
’’お金を稼がないといけない’’このマインドだけの生活ではとても勿体無い。忙しい毎日に追われていた私はいつしかそんなことを思うようになったのでした。

登山は山頂に登るまでに険しい道があるからこそ
山頂に到達した際に感動し、喜びを感じられるものです

天国に行ったら体があることによっての制限がある生活や、不自由な生活は出来なくなります。繰り返しになりますが天国には【お金と体】は持っていけないんです。

「そんなこと言っても
お金を稼がないと生活出来ない。」

という声が聞こえてきそうですが、もちろんそうです。お金はこの世界で生きていく上ではとても大切です。でも将来が不安だからという理由でお金を貯める為に人生のほとんどの時間を使うのは違うと思うのです。


真の幸せとは何なのだろう?

真の幸せや、幸福とは何なのだろう?

私は日本で1日中仕事尽くしの毎日を送る中でいつもこの疑問を抱いていました。仕事には情熱があり、楽しい毎日を送っていました。
けれどいつしか’’プロフェッショナルな自分’’を演じることによって周囲から認められることが社会人としての鏡みたいに思えて、自分と向き合う時間や自分を優先する時間を取ることに対して罪悪感みたいなものが芽生えていたのです。もっと、もっと頑張らなきゃと。

仕事で実績を上げることや周りからの賞賛、
大きな家に住むことや良い車に乗ること。

でも私の中で少しずつ、自分ががむしゃらに追っていたこの幸せに対して何かモヤっとするものが生まれてきたんです。
『これが幸せですよ』という作り上げられた世間の指標のような感じがして。いつしかそれが幸せだと勘違いしていたような感じです。

というのも私、大きな家より小さな家が好きだったんです。
一軒家になって1人1人の部屋があるより、小さいアパートで寝るまで皆とテレビを見たり、くだらない話しをする方が好きでした。

家族で行ったキャンプ、今でも鮮明に覚えていて。
海水浴も、釣りも、田植えも、カブトムシ取りも全部大好きで。
豪華な食事を食べにいくのもそれはそれで良かったのですが海辺で貝を取ってお味噌汁にした時の美味しさには勝らなくて。

仕事を辞めて海外にきて、時間の流れがゆっくりになって、自分と向き合う時間が増えたからこそ日本にいた時の自分が追っていた幸せの形って私にとっては違っていたんだなと改めて気づいてきたのです。

物欲って一度手にしてしまえば収まりますが、
一時するとまた不足の欲求が襲ってくるものですよね。


かなり周り道をしましたが、結局何が言いたかったのかというと、父には孫に誕生日プレゼントやクリスマスプレゼント、お年玉をあげたりするより、父との思い出をたくさん後世に残して欲しいと思うのです。そして父自身も66年間自分勝手になれなかった分、もっと自分を優先して、自分を大事にして生きて欲しいのです。

そして私自身も父の年代になった時に同じことを子供にして、たくさん【私】を語ってもらおうと思うのです笑。

あの人すっごく自由だったよね〜、でも人一倍人生楽しんでいたよね。そしてなんか生きていく上で大事なことを教えて貰った、私もあんな人生送ってみたいな。的な感じで。

自分勝手に自由に楽しく生きて、でもその生き様や体験してきたことが誰かの憧れになったり、目指す場所になったり、人生の知識になるって最高だと思うんです

天国にお金と体は持っていけないなら、人生の大半の時間を不安を埋めるためにお金を追うのではなくて、持っていけない体でたくさんの場所に行って、たくさんの体験をして、その人にしか語れない生き様をこの世に残していく。その考えが頭の片隅にあったらきっと「〜だから〜しなきゃ」というエネルギーではなくて、楽しいことをするためにお金を稼ぐエネルギーになってもっと軽く楽しく生きていけるような気がするのです。





今回も最後まで読んで頂きありがとうございます🕊️✨









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