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宇宙船の話

マンスリーマンションの契約をしたのは2015年が明けてすぐのことだった。様々なことで心を溶かしていた私は、這うようにして実家を出て一人暮らしを始めた。名ばかりのそれはおよそ一人暮らしと呼べるような代物ではなかったけど、藁をもすがる思いだった。

宇宙船の話をしよう。

私は幼い頃、自分は宇宙の片隅で星と星がぶつかり誕生した宇宙人だと思っていた。地球で過ごすのは短い期間だけ、きっと本当に私がいるべき場所があるんだと、日がな迎えの宇宙船を待っていた。繁華街からは電車を乗り継ぎ約1時間。生活するには足る自由と便利さを兼ね備えた箱庭のような街だった。家族4人で暮らす県営住宅。階段に座りこんで空を見上げていた。

宇宙船は来なかったから、今度はいつ死ねばいいのかとずっと頭を抱えるようになった。だって私は地球に不要じゃないかと本気で考えていた。16歳。世界で一番大好きな恋人は、私が死んだら悲しむと思う。自分が死ぬ前に彼には幸せになってほしいと別れを告げた。

自尊心の低さの原因は明白だったが、割愛する。今となれば生きているのでなんの問題でもない。私は私のままで息をして、幾度となく別れた恋人たちの幸せを願っている。

2015年。20代も半ばを越えていた。心を溶かしたと前述したが、粉砕、くだけた、割れた、はがれた、物理的に形状を保てなくなったというもの言いが近いかもしれない。マンスリーマンションの立地や広さや利便性になんのこだわりもなかった。ひとりで寝食を過ごせる場所なら、どこでもよかった。唯一状況を知る知人と親友にだけ引越しを告げた。知人は金銭的にも援助してくれて、親友は引っ越しも手伝ってくれた。

不動産屋の契約担当は中国出身の年下の女性社員だった。流暢な日本語で、日本に恋人がいるから、と来日理由を教えてくれた。有無を聞かれ、私も大切な人がいると嘘をついた。私が死ねば悲しむ人をそばには置いておけないと誓ってから、私はひとりでいる。

居住にあたっての注意を話しながら彼女の運転する社用車で新居へ向かった。最後に一つだけお願いなんですけど、と彼女が言った。

「死なないでください」

全員に言うんですよ、と笑っていた。
そのあとのことがとても面倒なんですよ、と。

死なないですよ

反応が遅れること0コンマ数秒、笑って答えた。
あはは、死にませんよ、やだなあ、

新居の住所は親友にしか教えなかった。あっけなくはじまった一人暮らしはなんの問題もないように日々が進んでいった。

毎日、見ず知らずの他人に言われた「死なないでください」の意味をずっと考えていた。死ぬに決まってるだろ、なんのために一人になったと思ってるんだと苛立つほどだった。生きていてあなたが面倒みてくれるんですか、と問い詰めたいほどには気が狂っていた。

幼少期からもっていた潔癖具合はひどくなり、消臭剤を撒き散らすせいで部屋はいつも薬品臭く湿っていた。前述の通りこだわりもなくダンボールをそのまま家具がわりにして着の身着のままで引っ越したその部屋に愛着なんて一寸もなかったが、とりあえず日々家事と仕事をこなすだけで時間は過ぎていくので助かっていた。しんどくなるほどは物事を深く考えない、考えずとも割と暮らすことができる、というライフハックはこの時に覚えた。

面倒見の良い親友は、度々訪ねてきてくれた。タッパーに詰めた惣菜や、ウケ狙いのぬいぐるみ、暖かいと噂の毛布、クッション、いろんなものと一緒にいつも明るく笑顔で私の様子をみにきてくれた。部屋がジメジメするんだよねと呟くと、ファブリーズかけすきだよ、と指摘してくれたのは彼女だ。矢継ぎ早に続いた。ちゃんとご飯たべて、無理しないでよ、お父さんとお母さんは大丈夫?話はできてるの、ねえ

「死なないでよかった」

ふいに彼女が言った。
気丈な親友が、泣いていた。

あなたが死なないでよかった、生きててよかったと泣いていた。

いつだって誰だって人生というのは難しく、自分の悩みが異端だとは思わない。みんな耐えている、なのに耐えられない私が悪いから死ねばいいんだと思っていた。いつだって異物は私で、私がいなくなることがまわりまわって世界平和につながると信じてやまなかった。

宇宙船を諦めきれてはいなかった。

手放しで自分のために泣いてくれる親友がいることを、このとき心底幸せだと思った。別れた恋人も、こんな風に私を思っていてくれたことを思い出した。私は、1人ではない、そう気づいて、私もわんわん泣いた。

あの頃の部屋とは違う天井を見ながら、不意に、見ず知らずの他人と、親友に言われた「死なないで」の言葉を思い出す。

歪な破片を拾い集めてできる限り元に戻して、私は今日も生きている。

宇宙船が来たら、乗るのを迷うほどには、生きている。

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