人を動かす方法と環境問題

人間はすべて利己的である…………たとえば「医者になって人を救いたい」と言う者でさえ、"医者として"人を救いたいという欲に邁進しているだけである。単に人を救いたいだけならより有力な政治家になった方が効率がよいのだ。

人間を動かしたければ、利己心に作用させなければならない。一つはメリットに食いつかせるという方法で、もう一つはデメリットに怯えさせるという方法で、だ。
欲を煽ることと、欲を成り立たせている自己の保存に迫ることだ。

SDGsに関する若者の会議を見ていて……実に……頭のいい人たちの会話がされていると思った。気候変動に対し、生物学や報道などさまざまな分野からの視点を考慮していたり、具体的な対策の方法に迫っていたり、総じて有意義な討論をしていたと思う。

しかし、それは道程の話であってきっかけにはなり得ないと思う。環境問題に取り組ませるためには、飴と鞭が必要なのであって、専門的で具体的な話は、その飴をどこに置きその鞭でどこに向かわせるかという話だ。

環境問題は結局のところ人間だけの問題だ。動物はいついかなるときも無力であり、議論の場に立てない。人間はそうではないから必死になる。しかし地球は意思をもたずただ公転するのみ。

人間の問題となれば、人間について知らねばなるまい。事物の根底に潜るとなれば哲学者が、そして人間について研究するとなれば心理学者が、環境問題について取り込むのは悪い話ではないのでは。

環境問題について取り組む前に、環境問題ついて取り組まれないという問題があって、そこには「それをやってどんな得があるの?自分が生きてる間はそんなに困らないんじゃない?」という無意識の思想が尻尾を出している。これこそ人間の唯一の原動力を担う利己心である。もどかしいことに、利己心がなければ人間はなにもしないのだ。

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