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平和について

我々は我々を1人、2人と数え、数えられる。
数に種族名をつけることで、人間とそれ以外を分けているのだ。
そして名前をつけることで、その人間とそれ以外の人間を分けている。個人という概念が発生し、それぞれの人間にそれぞれの人生と考え方があることを示している。

しかし、戦争となれば、国体の存亡に関する危機となれば、軍隊は我々を招集して部隊を編成する。肉体はいずれ銃弾と爆発によって殺されるだろうが、精神はその時点で殺されているのだ。
なぜなら、戦場で我々は田中何某でも、佐藤何某でもない。1人、2人でもない。
我々はどのような人生を歩み、どのような考え方を持っていても、ただの歩兵である。そして歩兵の群れであり、歩兵部隊が1個とか2個とかなどと物のように数えられる。
最期までその命を燃やそうと、帳簿の上の生存者数の欄が1236とかから1235になるだけなのだ。
思想も人生も尊厳も人生もなにもかもを失う。

軍隊は民間人もいる穴倉に火焔を放射し、慰安と称して女を犯し、敵兵を柱で吊るす。それらはある意味で望まれている行為だから止まらなかった。
国民が望んでいるのは自分たちの命を守ってくれる組織であり、そのメンバーにとって人間性は必要ないどころか同族殺しを躊躇わせるため破棄されるべきなのだ。
だが、国民の真意としては心身の保護を望んでいるのだ。思想や文化が踏み躙られようと、生きていればそれだけでいい、国土を全て占領されようと肉体が存在していればいい。そんなことは誰も思わない。だからこそ代理で誰かを戦わせるのだが、その結果として誰かの心身を損なわせるというのは、人類史上最高最悪の皮肉だった。

私は戦争もそうだが…………まず軍隊という概念そのものが悍ましくて堪らない。
リアリストは軍隊を無くせないと言うし、バカなリアリストは軍隊を無くそうなんて意見はバカだと言う。
しかし、軍隊が存在しない世界は人類の悲願であるはずだし、それを目指すことはなによりも現実的で合理的な考えであると私は思う。

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