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売れない芸人から学ぶ創作論

虹の黄昏は18年間売れていない。
M-1(漫才の大会)では3回戦止まり。
尖った芸風からテレビへの出演も乏しく、付いた異名は地下の帝王。
だが、彼らがパーソナリティを務めるラジオのある回でとてもいいことを言っていた。

「俺らのやってることは今はオナニーだけど、いずれセックスにしたいよね」

これは漫才に対するリスナーからの質問の中で出てきた言葉だ。一見すると意味不明な下ネタだが、真摯に向き合って解釈することでその深さが分かる。

オナニーとはつまり自分のために自分だけで自分を悦ばせる自己満足であり、生産性はない。
セックスとはつまり自分と相手のために自分と相手を悦ばせられる"相互満足"であり、そのため互いにとって生産性がある行為である。

「俺らのやってることは今は自己満足だけど、いずれお互いに満足したいよね」

これが下品な言い回しに隠れた彼らの本意である。
なぜ彼らは売れていない。それは大勢に好まれていないからだ。なぜ大勢に好まれていない。それは大勢を満足させられないからだ。
虹の黄昏がやっていることは自己満足だからだ。

逆に言えば、売れたければ大勢を満足させればいい。
だが、自己満足を捨ててもいけない。相手を満足させるのに終始して仕舞えば、それは相手のオナニーを手伝うだけであって、セックスにはなり得ない。楽しくない。続けられない。
だからまずオナニーから始めるのだ。自分が満足できることを頑張って、技術や感性を磨き知識や体験を積み重ねる。そして、それらを使うことで自分が満足しながらも相手を満足させるような作り方をする。その時にセックスが成立する。
相手を満足させるだけの行為でアーティストは相手に依存するが、セックスではオナニーを改造/応用して相手と一緒に満足できるようにするので、上下関係を作らずに済む。ゆえにネガティブな感情をある程度は抑えられ、そこそこの自由を確保でき、続いていく。
そしてこれらは妄言ではなく

「"今は"オナニーだけど、"いずれ"セックスしたい」

この言い回しがオナニー→セックスの段階を示唆している。

今回の話を要約すると
「あらゆる創作は自己満足から始め、いずれお互いの満足に繋げるべし」となる。
この創作論があるゆえに私はどんな作品もバカにしない。そして虹の黄昏を今後も見守っていく。

この文章が誰かの心に響き、津島とあなたのセックスになることを望む。

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