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2022/10/16(日) 感覚と認知と表現の交差点

この日はちょっと狭い稽古場でのいつものクリエーション、という空気。
稽古場のちょっと変な位置にベタベタ養生テープで貼り付けられたカレンダーが設置してあって、絶対にその位置につけたかったんだろうなという意思を感じたりした。

この日はメンバー間での会話も多く、前回稽古の映像を見て振り返ることもあって、3回に1回くらいしか稽古場に顔を出さない私でも今、全体の創作過程のどこにいて、お互いに何を確認しあっているかがよく分かった。
ちょっと趣向を変えてこの日に出てきたそれぞれのセリフたちを書き起こしておこうかと思う。

お互いへの意識と空間への意識を、全部、
認知できるといいなと。 いつも、思ってますけど、
よろしくお願いします。 


触れたとするとこれを刺激にして、
足を曲げてこれる?

実感を優先するのか関係性を優先するのか
見栄えを優先するのか
どちらですか ?


どうしても実感を大切にしたいと思っちゃうからパフォーマーは
でも見る人のことをもうちょっと考えられたらなとは思う

“枯山水”って角田さん(音楽)があの日言ってたから
思い切って中心をずらすとかしていってもいいかもね


帰り際、本当に関係ないかもしれないけれど、と前置きをしつつ、実感より視覚を優先するという脳の特性を活かした幻肢痛のミラー療法の話や、セックスするとき女性は触覚優位/男性は視覚優位って聞きますよね、という話をしてお別れした。

感覚と認知と、表現の交差点はどこにあるんだろうか。
とっても難しいことに挑んでいる気がするが、中屋敷南さんの振付家としての言葉をそのまま書き留めたくなる日だった。


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