見出し画像

山歩きやキャンプは、そんな私の希望の断片かもしれない

 急に暖かくなってきたりして、皆さんは体調お変わりありませんか。私はフライングではないかと思う早さで花粉症が始まっております。いくらなんでも早すぎじゃないですかね。ちょっと前まで寒かったですよね…?雪を見たのは最近ではなかったか。

画像1

 私は週休2日制の会社で働いているので、月に2回でも山に行ければすごいことだと思っています。天候はもちろん、自身のレベル、体調や雑事のスケジュールなどの要素がひしめきあい、口々に自分の都合を主張する中で山行計画を練るのはけっこう大変です。平日に連休がほしい。

 そういうわけで、ここ数ヶ月は月に1回行けるかどうかというペースになっています。日も短くなったし、場所によっては雪や路面凍結の問題もあるので、ある意味夏よりも大変だということを知りました。暑いのは嫌だけど、日が長いことは安心でしたから。

 それに加えていよいよ仕事も大変になってきました。平日はもう心と身体に余裕がなくて「今日の夕飯に何を食べるか」くらいしか楽しみがありません。

 そういうわけで、私はだいたい21時頃におなかを鳴らして帰宅したら、とにかく肉を食べて頑張っています。そのおかげか体調は悪くありません。疲れているだけです。疲れているだけ。。。

 映画やドラマ、小説なんかだと仕事が終わってから遊びに行く場面が必ずといっていいほどあると思うのですが、私にはハードな時間の過ごし方に見えてしまいます。仕事が終わったら早く帰って朝までぐっすり眠りたいよ。。。

 それでもやっぱり休日もただじっとしていると心が回復しないので、多少疲れが残っていてもとりあえず山行計画は立てています。実行出来そうなら実行しています。ソロなので人気の低山に限定していますが、冬はそもそも人が少ないのでちょうどいいかもしれません。山頂付近以外でほとんど誰にも会わないくらいなので。

 そして、そのときの状況によってはやはり叶うかわからないのですが、私自身は今夏の計画の中に日本アルプスを組み込んでいます。北か南か中央か。うーん、全部遠いぞ。 もっとも、そのとき行ける状況にあるかはわかりませんが。。。

 ワクワクする気持ちもありつつ「中止せざるを得なくなったらどうしよう」という不安も抱えています。不安というか、うーん一口には言えない。

 楽しみが大きい分、不安も大きくなる。フリーター時代にこういう不安はなかったけれど、当時は山を歩けるほどの資金がありませんでした。なかなか全てはうまくいかないものです。

旅に出たい、今すぐに

 先日NHKBSで「テントを背負って2」が放送され、前回も録画視聴していた私は迷わず今回も録画視聴しました。テントっていいですよね。実はテント泊にもかなり惹かれておりまして、頭の中はテントとバックパックでいっぱいです。あーどれ買おうか悩む。

 白銀の裏磐梯と大海原を望む西伊豆、どちらも素敵でした。出演されていた方々も本当に楽しそうで、笑顔が自然で、本当にいい番組だと思いました。次回の放送はいつだろうと今から楽しみです。

 同じチャンネルだったと思うのですが「一本の道」という番組も大好きで、再放送を見つけたときは必ず録画しています。両方とも派手じゃないのに不思議なエネルギーが湧き水のように溢れている番組で、ひしゃげていた私の心が潤いを取り戻して立ち上がっていくのがわかります。

 「旅に出たい!」

「ここを歩きたい!」

 ときにはそれが行き過ぎて「もう仕事なんか放り出して旅に出たい!」と椅子から立ち上がってしまうこともあります。どこでもいい。どこでもいいから旅に出たい。とにかく。

 そしてそのあとは決まって「でも仕事がなくなったら山どころか生活自体が立ち行かない…」と椅子に座り直して背中を丸めてしまうのです。現実はだいたいドラマチックに欠けます。どこでもドアがあればいいのにな。

 私の大好きな漫画のひとつに「山と食欲と私」という作品がありまして、そこに日本全国を車中泊しながら周っているという女性が登場します。彼女は良く言って自由奔放、悪く言えば少々計画不足な面があるものの、なんというかある種の眩しさを持った人です。

 私の目に映る彼女が眩しく見えるのは、きっと彼女がしている生活が、私が10代の頃に憧れたあれこれを含んでいるからだと思います。

 世界を自由に旅して、見たいものを自分の目で見て、聴きたい音を自分の耳で聴く。

 考えたいことを自分の頭で考えて、感じたいことを自分の心で感じる。

 誰にも遠慮せず、誰にも頼らず、何処にもとどまらず、漂流しているような放浪しているような、風に吹かれているような生活。

 現在の私がそういった生活を現実的にできるのかと考えると「できない」と答えるしかないです。状況もそうですが、主に私自身の生活環境が原因で、ということですが。落ち込むんだよな。こういうことが。そもそも「何歳まで働けるのか」「死ぬまでお金はもつのか」が不安で、資格取得サイトとかつらつら見てしまうし、しかも見るだけという始末。。。

 そしてこうやってキーボードを叩いている今日も仕事の連絡がきます。仕事があるのはありがたいことです。それはわかってる。わかってるんだけど。。。

画像2

 ブログやYouTubeを見ていると脱サラして(今でも言うのかな?)「好きを仕事に」している人がいる一方、会社員を続けながら山に登ったりキャンプしたりしている人もいます。自然が近くにあるところに移住した人もいるし、反対に都会に出た人もいます。

 サラリーマンを辞めないから山に登れなくなるわけではないし、キャンプに行けなくなるわけでもない。アウトドアと何の関係もない業界で平日働く週末ハイカーだって、自然というフィールドに飛び込んでいける。それはわかってる。わかってるんだけど。

 でも北アルプス5泊6日とか無人島連泊キャンプとかは無理なのでは。。。

 私が住んでいる地域からは日本アルプスや八ヶ岳はけっこう遠くて、移動や行程がうまくいったとしても1泊2日がギリギリ。行きたい山小屋もテント場もあるけれど、そもそも縦走なんて叶うのだろうか。島でキャンプなんて何日の休みが取れたら実行できるのだろう。

 電車やバスの予約が取れたとして、その日の私の体調はどうでしょうか?天候は?状況は?クライアントから急な呼び出しがあったら?無視して山を歩けるでしょうか?焚き火ができるでしょうか?

 物理的にも精神的にも状況的にも遠い。遠すぎて目眩がする。

山歩きやキャンプは、そんな私の希望の断片かもしれない

 スーツも革靴も職場のスマホも手放して旅に出たい。今すぐに。

 誰に呼び止められても立ち止まらず、どんな用件で呼びつけられても振り返らない。電話は折り返さないしメールも返信しない。

 草原で、木陰で、森の中で、石の上で、川のそばで。

 日本のどこにいたって、世界のどこに行ったって私は自由だ…!

でも実際にそんなことをしたら大変だからしない。

 ただただ思い描いているだけ。信号待ちをしている営業車の中で、ワイシャツを干しているベランダで、その向こうにある山々を眺めながら思い描くだけ。

 最近山を歩きながら考えていたのですが。

 私にとっての「山歩き」や「キャンプ」にはそういった「憧れるけれど、きっと実現しないもの・こと」を断片的に体験することで『本当にダメになってしまう』ことを避ける効果があるのかもしれません。

 そういう意味では処世術とも言えるかもしれない。そうやってなんとか生きている、という気がします。山やキャンプを始める前はよく1泊2日で旅行に行っていましたし、考えてみればあれもそうだったのかもしれませんね。電車で、バスで、あるいはバイクで、日常から少しだけ離れたところで生きてみる…

 就職活動を始める前の私が書いたnoteですが、今読んでみても私の奥底にあるものはたぶん同じなのだろうと感じます(誤字脱字は見つけたときに修正してます…)。

 もしも本当に、実際に仕事を辞めて旅に出たとしたら、私はどうするのでしょう。

 私がもっと若かったら「そんなのやってみなくちゃわからない!」と鼻息を荒くして実際に仕事を辞めていたかもしれません。慎重に行くべきところで踏ん張りが効かず、前に出る足を止められずに勢いで進めてしまう…そうだな、そんな気がします。

 それを「かっこいいこと」だと思っているからか。「一度きりの人生なんだ!」と大声を出して人を集めたいからか。あるいは心の底で「本当は自分の人生なんてどうなってもいい」と投げ出しているのか。

 でも今ならそんなことはしない。しないと思う。

明日はまた違う日がくるから

 私が就職活動をしていた頃、私の目に映る世界には希望が見当たりませんでした。まさしく『本当にダメになってしまう』寸前でしたね。いや、いくらかはダメになっていたのかもしれません。たぶん、なっていたのでしょう。

 自己肯定感が摩耗して底をついたちょうどその頃、貯金も底をつきました。

 貯金。

 今思い返すと、その頃の私にとって1番辛かったのは「お金がないこと」でした。

やっぱりお金は大事です。お金がないと生きていけない。

 就職活動はお金がかかるもの。貧困状態から脱しようとすればするほど、行動すればするほど、もともとわずかだった貯金がみるみる減っていく。

 書類選考で落ち、面接で落ち、心がカサカサになっていく自分に、ささやかなご褒美を用意してあげることもできない。お金がないから。カフェに寄ることもできないし山道具はもちろん本も買えない。お金がないから。面接の帰り道なんかに「ちょっと寒いな」と思っても缶コーヒーも買わずに早足で帰りました。

 お金がないから。

 初めて内定をもらったとき「これでしばらく生きられる」と思いました。喜びよりも肩の荷が降りたような、長い間歩いてきたけど一旦座ろうか、みたいな気持ちになりました。あの感覚はたぶん一生忘れないと思います。

 だから今のところ仕事を辞めるつもりはありません。

 …毎日揺らぐけど。布団を被って叫びたくなるけれど。

  ただ、今後様々な状況が変わってきます。今だって変わり始めているのだから、これからもきっと変わっていくでしょう。仕事の形態や雇用の条件も変わるかもしれない。今必要とされていることが今後も必要とされるかわからない。私はそのときどうするのか、どんな選択肢があるのかもわからない。

 わからないけれど、それでもわかる大事なことは、まず今日を生きること。

 今日を生きてみないと明日は来ないし、ひどい目に遭ったこれまでを過去にすることができない。

 今日が嫌な日だったとしても、とにかく今日を終わらせないと明日が来ない。明日くる日は、今日みたいに嫌な日とは限らない。まだ始まってもいない新しい1日だから。

 明日はまた違う日がくるから。

 なんだか劇場版SHIROBAKOみたいになってきましたが、最近山を歩くときに考えているのはこんなことです。静かな山を歩くのは好きです。ちょっと瞑想みたいで。心のノイズが収まって、大事なことが良く聞こえます。

画像3

 まだ「ちょっと寒いな」と思ったら缶コーヒーくらい買って、耳を澄ましてみようかと思います。

 春、何をしましょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?