三重→オーストラリア→フランス→ニューカレドニア→フランスな理由

もともと海外にまったく興味なかったんです

小さい時は恥ずかしがり屋で内気
ずっとお母さんの後ろに隠れているような子。

そんな風に見えない!
昔からバリバリ海外にいきたいと思って
行動してきたんじゃないの?!と(笑)
最近出会った方にも言われました。

そんな私が海外と繋がる
ターニングポイントがいくつかありました。

オーストラリア親子ツアーに当選!


小学校の時、お母さんが懸賞応募にハマっていました。
そしてなんと!!

「親子の2週間オーストラリアツアーが見事に当選!」

お母さんに誘われるまま行ってみることに
そして私は発見してしまった!
世界って広ーいことに!!!!

のんびりしたパースがはじめての海外。
自然が壮大でフレンドリーな人々。
バス運転手のおじちゃんの
笑顔もピュアでとっても素敵だった。
(バスの運転手がハーフパンツってことに
 カルチャーショックをうけるw)

当時たしか12才だった私には英語が理解できず
何を言ってるのか分からなかったけどとにかく楽しかった。
おしゃれなキャンプ場から5つ星まで
いろんなホテルも体験できた。
5つ星ホテルの朝食は外国の香水の匂いが
プンプンしていて
「外国やー!」
って思ったのを覚えている。

そしてあっと言う間に初海外の旅は終わった。
この時の経験がどうしても忘れられず

高校生のときオーストラリアホームステイを2週間体験

はじめて海外に1人で行く
不安&ワクワクでいっぱいだった。
とは言っても
一緒にホームステイする子たちがいて心強かった。
今回はシドニーの近くの田舎で
ビーチがとっても綺麗なかわいい町。

ホストマザーがお別れの時に
ハグをしてくれた。
人生初のハグだった。
気持ちが1つになり楽しかった思い出や
感謝の気持ちやお別れの悲しさで
胸がいっぱいになり涙がポロポロでてきた。

ハグをする文化のない日本で育った私は
人ってこんな風に繋がることができるんだ
っていう発見をした。
本気で帰りたくないって思ったくらい楽しかった!
そして帰ってからの逆ホームシックがすごかったのを覚えているw

進路を変更して短大の英語科へ進学


もともと勉強に興味がなかった私は
さっさと就職したくて商業高校へ。

でも途中からやっぱり
オーストラリアのことが忘れられず
英語科に進学することを決める。
名古屋女子短大を卒業後
やっぱり海外で暮らしてみたくて
オーストラリア姉妹校のウーロンゴン大学へ1年留学

そこでフランス人の前の旦那さんと出会った。
21才の時だった。

もともと短大で中国語とフランス語の第2か国語で
中国語を選択していた私。
まったくフランスに興味なかった。
だけど不思議なことにいろんな国の友達がいる中で
親友は2人ともフランス人おまけに彼氏まで。
なぜかフランス人とご縁があった

それから日本に帰国し日本で就職?!
すると思いきや私は彼氏を追っかけてフランスのリヨンへ。

彼氏がニューカレドニアで就職!


彼氏は必死に就活するもフランスは就職難だった。
私は学校に通って1からフランス語を勉強した。
英語でも会話できたけど深いところが伝わってない気がして
どちらかの母国語でコミュニケーションを
とってみようって思ったのがきっかけ。

1年後彼氏のニューカレドニア就職が決定。
そして私ものちにニューカレドニアへいくことになる。

ニューカレドニアで8年過ごし結婚&離婚。

疲れ果てていた私は
自分のルーツにいったん戻ろうって思って
日本へ帰国。
帰れる場所があるって幸せだなって思った。

ニューカレドニアで出会っていたアーモン。
ワーキングホリデービザで日本に来た。

その後、奇跡的に三重県の田舎で就職試験を受けて
1ヶ月後に正社員の内定が決まる。
日本語を話せて書けるのが功を奏したのかな。
そして商社マンとして日本のサラリーマン生活を体験。
日本を3年満喫した後
2人でフランスへ行くことにする。

フランスのブルターニュへ移住


2019年の七夕に引越してきて1年が経ちました。
そんな感じで海外を転々としてブルターニュへ流れ着きました。

自然豊かで神秘的な場所ブルターニュ

そんな感じで私たちカップルは
ニューカレドニアで出会い
日本で暮らし籍を入れ
フランスに移住しました。
今数えたら私12回も引越ししてる!笑

普段は日本語7 : フランス語3(フラ語を忘れない為)で話してます。
日本にいた時は日本語10 : フランス語0でした。
他の国際カップルって何語で話してるんだろう?!


最後まで読んでいただきありがとうございます♡



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