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武甕槌大神を祀る鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を参拝

鹿島野や檜原杉原常磐なる
 君が栄は神のまにまに
  藤原定家『拾遺愚草』

八月は仕事多忙と体調不良と暑さもあって散策らしいことをせずに過ぎた。
九月は、仕事も体調も天候も少しは穏やかになれそうかなと考えていますが、まずはこのnoteスタート以前の思い出がたりでお茶を濁しましょう。


令和五年(2023)5月24日、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮かしま じんぐうを参拝した。

鹿島神宮へ

鹿島神宮は、社伝によると神武天皇元年(紀元前660年)創建と伝える。
延喜式神名帳に「常陸国鹿島郡 鹿島神宮 名神大 月次新嘗」と記されていて、古くから格式の高い神社であり、常陸国一之宮でもある。

この関東でも屈指の大社鹿島神宮へ参るのだが、桔梗之介のカミホトケ巡りは基本的に公共交通機関を利用するか、歩く。

鹿島神宮駅
鹿島神宮駅

都心から鹿島神宮へ公共交通機関を利用する場合、東京駅から高速バスが出ていて約2時間ほどで行ける。乗り継ぎもなく、バスの本数も多いので便利です。以前に鹿島神宮へ訪れたときは高速バスを利用しました。
そこで今回は鉄道を利用して鹿島神宮へ行くことにしました。

京成上野駅から京成電鉄で京成成田へ。JRに乗り換えて佐原駅まで。佐原駅では鹿島線に乗り継ぎ、鹿島神宮駅へ。

鉄道利用だと乗り継ぎに時間を要すうえに、成田から先は列車本数が少なくなるので、決して便が良いとはいいがたい。
ただ、急ぐ道中でもなく、乗り継ぎも気分転換になる。駅のホームでしばし列車を待つのも旅の醍醐味かと考える。

武甕槌大神を祀る鹿島神宮

鹿島神宮は鹿島神宮駅から歩いて10分くらいかな。神社は台地の上に位置していて、駅からは坂道をのぼることになる。

時刻は午前10時前。
平日午前中のためか神宮の表参道はやや閑散としている。日曜や祭礼のある日ならまた違う表情をみせるかもしれない。
人の多い場所が好みではないので、空いているのは結構なことだ。

鹿島神宮 二の鳥居
鹿島神宮 境内図

表参道の正面に二之鳥居。
一之鳥居はというと、東の一之鳥居は太平洋鹿島灘に面しており、西の一之鳥居は北浦に立っている。
いづれも神宮から少し離れるので今回は訪れず。北浦に立つ西の一之鳥居はJR鹿島線の車窓から見ることができる。

鹿島神宮 楼門
鹿島神宮 楼門

二の鳥居の先に朱塗りの楼門。楼門の先は広前が広がる。すぐ右手に拝殿本殿が立っている。楼門から直角に社殿が配置されているのは、ちょっと珍しいと思う。

鹿島神宮 拝殿 工事中
鹿島神宮 右に楼門 左に拝殿

参拝日は、拝殿が改修工事中。覆屋で隠れてしまっている。これはこれで貴重な画かなと思うことにする。
この拝殿の後方に本殿が建つ。本殿は脇から少し覗き見ることができた。美しい色彩と彫刻が施されている。

鹿島神宮 本殿
鹿島神宮 本殿 後方に杉の御神木

いまの拝殿、本殿は江戸時代初期の元和に二代将軍徳川秀忠の命により造営。重要文化財に指定されている。
そして本殿の後ろに一本の杉の大木がある。これは鹿島神宮の森の中でも大きいご神木。樹齢は約1300年、高さは40mあるそうだ。鹿島神宮の素晴らしさは、この豊かな森があることだろう。

鹿島神宮のご祭神は武甕槌大神タケミカヅチのオオカミ。アマテラスの命を受けて出雲のオオクニヌシに国譲りを迫った神である。
この「国譲れ隊」は、『日本書紀』では香取神宮のフツヌシが主将でタケミカヅチは副将あつかい。『古事記』ではタケミカヅチが主将でフツヌシの名はない。

御朱印

御朱印あり。受付で御朱印帳を渡して番号をもらう。この時は10人ちょっとの順番待ちだった。
桔梗之介は奥宮など境内をぐるっとまわって最後に御朱印をお願いしたが、混んでいるようなら先に御朱印をお願いしてから境内を回った方がいいかもしれません。

御朱印 鹿島神宮と奥宮

鹿島神宮の奥宮へ

本殿から東へ、森の中の奥参道を約300m進んでいくと、突き当り右手に奥宮があります。奥宮も本殿と同じく北を向いて建つ。

鹿島神宮 正面が奥宮への参道入口
鹿島神宮 奥参道
鹿島神宮 奥参道に鹿苑

奥宮のご祭神は、武甕槌大神荒魂。

奥宮をお参りしてこそ鹿島神宮に来たという実感がわきます。本殿ではちょっと楼門に近すぎる。俗な表現をすれば出入り口に近すぎる。

鹿島神宮 奥宮

また、鹿島神宮は広大な境内で豊かな森が広がっている。緑に覆われた参道を通り抜けた先に社殿があるほうが神社の姿としては望ましいと思っている。いやいやこっちの希望ですよね。たとえば、京都の下鴨神社とか、奈良の大神神社のような感じの神社だと、「来た感」が高まる。

鹿島神宮 奥宮

奥宮について、明治時代に刊行された『鹿島名勝誌』に「大神の荒魂を齋き祭れる宮なり、神前に物音を禁す」とある。
同じく明治時代に出版された『鹿島誌』には「昔より恐れ謹みて禰宜祝等は更なり参詣の諸人にも神前にては物音を禁じ、祭りの時の如きは拍手をも忍びに拍つを例とす」とある。

桔梗之介はあたりに響き渡るように勢いよくパーンパーンと柏手をうちます。うまく打てたときは、それだけでいいことありそうな気分になります。
しかしながら、それは鹿島の奥宮では望ましい行為ではなかったようです。
神様をびっくりさせてないでしょうか。もしそうだとしたら、この場をお借りして謝ります。ご容赦ください。

要石

奥宮で道は二手に分かれます。南へ進むと要石。北へまわると御手洗池。

まずは要石へ参ります。以前に鹿島神宮を参拝したときは台風の影響で森の木の倒木の危険性があるとかで、要石には行けませんでした。今回初参拝の要石。

鹿島神宮 要石
鹿島神宮 要石

地中からちょこんと頭を出ている要石。これは氷山の一角であり、どれほど深くまで埋まっているのかあるのか分からない。

かつて、水戸光圀公がどれくらい深くまで埋まっているのか確かめようとして、七日かけて掘らせてみたようですが、それでも深さをたどる事が出来なかったといいます。

現代なら掘らずともある程度は調査できそうな気もしますが、浪漫は、そっとしておきましょう。

御手洗池

道を引き返して御手洗池へ。奥宮から御手洗池へは下り坂になります。鹿島神宮が高台の上にあることが分かると思います。

鹿島神宮 御手洗池
鹿島神宮 御手洗池

御手洗池はとてもきれいな池です。いにしへ神社参拝はこうした池や川で身を清めてからお参りしました。現代の手水舎はこれを簡略化したものです。

御手洗池を眺めているだけで、潔斎したような心地がしてきます。都合のいい奴です。

鹿島神宮 所管社 大國社

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