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川上弘美「物語が、始まる」は何故グッとくるのか? 最終夜


 全7回に渡って川上弘美「物語が、始まる」の魅力を紹介します。
 本日最終回。

 ↓ 前回


最終夜 「生きながらえる」ということ


 「物語が、始まる」を考えるシリーズの最後の夜となりました。

 本作のラストを読むたびにわたしは心が揺さぶられるのですが、最後にその部分を鑑賞していきましょう。

 三郎の、ずっしりとした体感を鮮明に思い出し、少しの間くらくらとしたが、上を向くと昼の月が出ていて、その月を見ているうちに、自分が三郎を忘れはじめていることがわかってきた。
 これが、生きながらえるということなのかもしれない、と思いながら、もう一度三郎のことを思い出そうとしたが、すでに三郎は、物語の中のものになってしまっているのであった。

P73~74

 本作を読み返すたびに“私”の「これが、生きながらえるということなのかもしれない」という想いは一体どのような意味合いなのだろうかということを、ずっと考えてきました。
 わたしの解釈を書きます。
 「これが、生きながらえるということなのかもしれない」は、直前の「自分が三郎を忘れはじめていること」にかかっています。
 一般的に、誰かが亡くなった際、誰かがその人のことを心で想い続ける限り、本当の意味では亡くならないという言説があります。
 しかし、生き残った者たちに残された時間が長い場合、そんな大切な記憶さえも薄れていくということも起こり得るのではないでしょうか。
 人生には、さまざまな事態が降りかかってきます。死者との記憶にいつまでも拘泥していては、乗り切れない局面も多々あることでしょう。
 なんせ、生者は今この瞬間を生き抜いていかねばならないからです。
 もちろん、時折は死者のことを思い出します。でも、日ごろから常にずっと死者の存在を意識するわけではありません。
 生きてゆくということは、愛した人の大切な記憶すらも薄れてしまうくらいに、長い長い時間が経過すること。
 そして、その悲しみすらいつかは忘れてしまうということ。
 それが、生きながらえる、ということなのではないでしょうか。

 最後、三郎は「物語の中のもの」になってしまいました。
 言ってみれば、その状態が三郎にとっての「生きながらえる」ということです。
 物語の中のものになってしまったあとは、残された選択肢はたった一つです。
 自分を再生させる誰かを、公園の砂場から拾ってくれる読者を、ひたすら待ち続けるだけです。
 物語は、いつまでもあなたの到来を待ち受けています。
 そしてやがて、世界の此処彼処ここかしこで「物語が、始まる」のです。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 というわけで川上弘美「物語が、始まる」を自分なりに読み解いてまいりました。
 前段までが実質的な本編ですが、そこに入りきらなかった事柄をボーナストラック的なあとがきとしてつらつらと書いていきます。


 「何故グッとくるのか?」というタイトルの割には「ここがグッときたポイント!」みたいな書き方をしなかったのですが、第四夜以降で取り上げた箇所は全部「グッときたポイント」ということでどうかひとつたのんます。


 最後、三郎は「物語の中のもの」となり、読者の「ページを開く」という営みのなかで永遠の命を得ます。その意味で言うと、今年の8月にホロライブを卒業する湊あくあも、卒業後は「物語の中のもの」となって、この広い世界のどこかに存在するのかもしれません。


 それにしても、「三郎」という命名もなかなか意味深です。
 長男も次男もいないのに、いきなり“三郎”。
 前の世界では「一郎」や「二郎」だったりしたのでしょうか。


 第一作品集『物語が、始まる』は名作なので、今もおそらく売れ続けているのか、刊行から数十年が経っても未だに絶版になっていません。だから、書店で新刊を手に入れやすいです。
 新刊で本書を手に入れるのは(著者的にも出版社的にも)一番推奨される行為かと思いますが、物語の内容に寄り添うならば、古本で手に入れるのもなかなかオツなのではないでしょうか。
 新古書店(すみませんカッコつけました、要するにブックオフです)でも『物語が、始まる』が売られているのをよく見かけます。
 それらの古本は要するに、誰かが一度は手放したものです。それは、いつかの「捨てられた雛型」の姿に重なります。
 とりあえず店で『物語が、始まる』を見つけたら、本のカバーを外してみましょう。
 もしかしたら「どうぞ持っていってください、きけんはないです」と、かすれたマジックで書かれてあるかもしれませんから。


 それにしても久々に文学作品の感想をちゃんと書きました。これの執筆に社会人の貴重な夏休みが全部溶けてしまいました。ゆるさない。
 思い返せば、わたしは大学の卒論のテーマも「川上弘美」なのでした。
 きっと川上弘美作品には、怠惰なわたしを駆り立たせる何かがあるのでしょう。その“何か” を数十分の一でも再現することがもし出来ていたとしたら、今回の試みは成功です。
 本記事は「物語が、始まる」という作品に対して今までわたしが抱いていた想いの集大成といった趣がありますが、まだまだこれからも読み返しては本作の深みに更にはまっていきたいと思います。
 それでは、おやすみなさい。



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