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JW48 忍坂、血に染めて

【神武東征編】EP48 忍坂、血に染めて


八十梟帥(やそたける)の残党を討ち滅ぼせと言う狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)に対し、道臣命(みちのおみ・のみこと)が尋ねた。

道臣(みちのおみ)「じゃっどん、どうやって討ち滅ぼすんです?」

サノ「屋敷を忍坂邑(おしさか・のむら)に作り、饗宴(きょうえん)に誘って謀殺(ぼうさつ)するのじゃっ。」

忍坂邑

ここで目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が質問してきた。

大久米(おおくめ)「えっ?! そんなことして、敵がやって来るんすか?」

サノ「来る! 台本通りに来るはずじゃ!」

道臣(みちのおみ)「台本通りって・・・。とりあえず、饗宴用の屋敷を作れってことっちゃね?」

サノ「じゃが(そうだ)。周りを塗り固めた部屋が良い。逃げられては、元も子もないからな。ついでに『記紀』には登場せぬが、息子の味日(うましひ)も参加せよっ。」

唐突に呼ばれ、慌てながら味日命(うましひ・のみこと)が返答した。

味日(うましひ)「わ・・・分かったじ!」

こうして、急遽、饗宴用の大きな部屋が、忍坂山(おしさかやま)の麓に作られた。

忍坂山

塗り固めた壁に囲まれた部屋で、出入口が一か所しかない空間である。

道臣は、大久米たち久米部(くめべ)を集め、事前打ち合わせをおこなった。

道臣(みちのおみ)「まず、汝(いまし)らには、膳夫(かしわで)になってもらうっちゃ。」

味日(うましひ)「膳夫っちゅうんわ、給仕ってことやじ。」

道臣(みちのおみ)「八十梟帥(やそたける)の人数分、膳夫(かしわで)を付ける。剣を佩(は)いて、給仕するんやっ。」

久米部「御意!」×多数

道臣(みちのおみ)「そして、酒宴真っ盛りの時、おいが立ち上がって歌うっちゃ。汝(いまし)らは、その歌を合図に、一斉に八十梟帥を討ち取れっ。」

久米部「御意!」×多数

そして、予定通り、残党軍を宴に誘ったところ、サノの予言通りというか、台本通りというか・・・彼らは来たのであった。

八十梟帥を招待

残党軍は、謀略があることも知らず、油断して酔っぱらい、泥酔(でいすい)し、酩酊(めいてい)した。

道臣は、宴もたけなわと判断し、立ち上がって歌った。

道臣(みちのおみ)「ニューアルバムから一曲、歌わせてもらうっちゃ。聞いてくんない。」


忍坂(おさか)の 大室屋(おおむろや)に 人多(ひとさわ)に 入(い)り居(お)りとも 人多に 来(き)入り居りとも みつみつし 来目(くめ)の子等(こら)が 頭椎(くぶつつ)い 石椎(いしつつ)い持ち 撃ちてし止まむ みつみつし 来目の子等が 頭椎い 石椎い持ち 今撃たば善(よ)らし


大久米(おおくめ)「忍坂の大きい室屋に 人がたくさん入っているが 入っていても構わない 御稜威(みいつ)を背負った 来目の子らの 頭椎の剣、石椎の剣で 打ち負かしてしまおう 今だっ! 撃つべき時は・・・って意味っす!」

歌を合図に、久米部の強兵たちが動いた。

一斉に頭椎の剣を抜いて、賊兵を斬り殺したのである。

味日(うましひ)「頭椎の剣は『かぶつちのつるぎ』とも読むんやじ。柄頭(つかがしら)が、こぶし状にふくれてるのが特徴で、だいたい金属製っちゃ。銅に金箔を貼ったものとかが一般的やじ。石椎っちゅうのは、その部分が石製の剣ってことやじ。」

頭椎大刀
頭椎の剣

サノ「よくやったぞ! ところで、御稜威(みいつ)とは何じゃ?」

大久米(おおくめ)「さすがは我が君っ。読者のためっすね? 御稜威というのは、天皇の威光ってことっす。この場合、我が君の威光ってことっすね。」

サノ「わしの威光が、御稜威なのか・・・。よだきい(面倒くさい)言い方じゃな。」

大久米(おおくめ)「そんなこと言わないでくださいよ!」

こうして、残党軍は全滅したと「記紀」には記されているが・・・。

サノ「そうではないということか?」

ここで博学の天種子命(あまのたね・のみこと)が解説を始めた。

天種子(あまのたね)「そのようですなぁ。というのも、奈良県(ならけん)桜井市(さくらいし)忍阪(おっさか)に、神護石(じんごいし)というものが残っているそうにあらしゃいます。」

サノ「神護石?」

天種子(あまのたね)「伝承によると、この石に隠れ、石垣を巡らし、矢を持ち、楯とした・・・と語られているそうにあらしゃいます。」

サノ「矢の応酬があったということか?」

道臣(みちのおみ)「何名か、取り逃がしたのかも・・・。」

天種子(あまのたね)「ちなみに、地元では神護石が訛(なま)って『ちご石』と呼ばれているそうにあらしゃいます。」

サノ「どういう風に訛れば、そうなるのじゃ?!」

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ちご石
ちご石2

味日(うましひ)「それから、周辺地域は大室町(おおむろちょう)って呼ばれちょるみたいやじ。高台で見晴らしもいいんで、人を呼び集めるには、ちょうどいい立地条件だったんやないですかね?」

サノ「じゃっどん、令和年間の地図に、大室町なる地名が見えぬが・・・。」

味日(うましひ)「地図には載ってないんですが、そう呼ばれちょるんやじ。それから、忍坂山は、今の外鎌山(とかまやま)のことっちゃが。」

外鎌山

サノ「とにもかくにも、八十梟帥の討滅に成功したわけじゃな。」

大久米(おおくめ)「あとは兄磯城(えしき)の軍勢だけっすね。」

磐余の兄磯城

サノ「じゃが(そうだ)。されど、その前に、此度の戦勝祝いとして宴をおこなおうぞ。」

天種子(あまのたね)「国中(くんなか)に入る前に、精気を養うのですな。」

味日(うましひ)「国中(くんなか)?」

天種子(あまのたね)「奈良盆地のことにあらしゃいます。二千年後の呼び方や。」

国中

こうして、兄磯城との戦の前に、宴をおこなうこととなったのであった。 

つづく

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