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読書家の時間、虚構が現実を変えるとき。

読書家の時間(Reading Workshop)。学生時代にこの授業の存在を知り、初任者の2学期から実践を始めた。本から得られる情報以外はリソースがほとんどなく、先輩教員のK先生のRW以外はしっかり見たことがない。常に手探りで実践してきたRWだが、先日の授業でようやく手応えが感じられるようになってきた。

単元を通じて使う冊子の表紙

2024年の2~3月にかけて、1・2年生を対象に20時間の「読書家の時間」を行った。最終課題はレターエッセイ。その中で自分なりに手応えのあった「生徒が自立した読書家として育つための手立て」をいくつか紹介していきたい。

積極的に本を薦める

本を好きになるための最初のステップは、選書の仕方を学ぶこと。自分のレベルに合っていないにも関わらず、読むのが苦痛な本を延々と読んでいる生徒は意外に多い。

最初に"I PICK"にしたがって、自分にぴったりの本を探すよう話をする。すらすら読めて、自分の好みに合っていて、何かしらの目的をもって読める本がよい。目的は「娯楽として楽しむため」「得たい情報を得るため」などなんでも構わない。

I……I choose a book.(私は本を選ぶ。)
P……Purpose - Why do I want to read it?(何のためにそれを読みたいのでしょうか。)
I……Interest - Does it interest me?(興味・関心はありますか。)
C……Comprehend - Am I understanding what I am reading?(読んでいることを理解できますか。)
K……Know - I know most of the words. (ほとんどの言葉を知っています。)

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未熟な初任者時代は、ぴったりの本に出合えていない生徒に何もできなかった。今はかなり違っていて、本を選んでいる生徒に積極的な声かけをする。数冊の本を見繕って、「これは大きな甲殻類から逃げる人々の話、これは陸上の話で、視点に注目して読むと面白いし…」とテンポよく薦める。そして、少し経ったらその場から離れる。「先生に薦められたから読まなきゃ」というプレッシャーをなくすためだ。

ポップも用意
教師が読んだことのある本ゾーン

このとき、図書室にある本がかなり重要で、「僕が読んだことがあり、且つ生徒に薦められるような面白い本」が30冊はほしいところ。僕は図書館担当でもあったので(この学校で国語科は僕だけ)、そういう本を予め入れておいた。この準備が読書家の時間では肝となる。

反省としては、司書と協働できたらもっとよかった。僕の選書だけではどうしても内容やジャンルが偏るので、今年度はそのことに気をつけたい。あと、教師のブックトークも少なかった。それでも読めてしまう生徒が多かったからだけど、それは生徒に甘えていただけだ。

無為に時間を過ごす生徒は、ほとんどいなかった

読んだページ毎にシールを貼る

読んだページ数に応じてシールを貼っていく

大村はまの最後弟子と言われる、甲斐利恵子先生の実践「読書1万ページ」。これはあすこまさんの記事を読んで知ったのだけど、「1万」と目にしたときの「できるのか?」という感じ、しかし読書を重ねていくと「もしかしたらできるかも」と思わせる感じが丁度よい。

アトウェルは「RWの期間中、何冊の本を読めたか」ということを重要視するみたいだけど、文字数や言葉の難易によっても「1冊」の価値は変わってくるし、読書が苦手な生徒にとっては「1冊」単位のハードルは高いもの。ページ数なら、自分に合わなくて途中でやめた本でもカウントできるし、読んで時間を無駄にした感じもしない。

そういうわけで、最初は読んだ50ページ毎にシールを貼ってよいことにした。読書が苦手な子でもページが増えて積み重なっていく感覚を掴んでほしかったし、スモールステップでよいからどんどん読むように仕向けたかった。

500ページに到達したら、それ以降は500ページ毎に1枚ずつ貼ることができる。1時間に小説1冊を読み終えてしまう猛者がいて、その生徒用につくった特別製の500ページ単位の台紙も用意したのだけど、結果的にかなりの数の生徒に500ページ単位の台紙を追加で貼ることになった。

シールは国語科の予算で買った。僕は教員が自腹を切って懐を痛めるのは持続可能でないと思うので、スマートスクールやウチダスにある果物や魚、昆虫、惑星などのシールを使った。小学生向けの手立てかと思ったけれど、意外に好評だったな。ただ、僕の勤務してきた学校は郊外にあって純朴な生徒が多いから有効なわけで、都会の子たちはどうかな、とも思う。

他にも、「ラベル屋さん」というサービスを利用してオリジナルシールもつくってみた。ブラウザからも操作できるのでインストールの必要がなく、どの自治体でも使えるはず。生徒のリクエストから、星座のマークやゲームのキャラクターを印刷したものまで。著作権的にはよくないけど、授業で使っているし、生徒のモチベーションにもつながったと思うので悪しからず。

ちなみにこの手立ては表紙を印刷してから思いついたので、別の紙に印刷して僕がすべて貼った。結構な労力を割いてしまい、今度は表紙に印刷しておこう……と強く思うのだった。

リラックスできる環境づくり

人間は環境に左右される生き物だ。学習に集中できる環境を担保するということは教師の務めであり、重要なことである。そういうわけで、学習環境に目を向けつつK先生の真似をしてずっとやっているのはBGMを流すことだ。

自分のiPhoneをBluetoothスピーカーにつないで、この曲あたりをループ再生している。選曲のポイントはパーカッションがないインストゥルメンタル(歌詞のない曲)であること。会話や読書を邪魔しない範囲のものがよい。

なぜ音楽を流すかというと、カンファランスの話し声が他の生徒の集中力を妨げてしまうことがあるからだ。カンファランスとは、教師と生徒の本に関する短い会話のこと。人数が少ないので、私は順番に全員と話している。「いま何ページ?」とか「何か問題は起こってる?」とか。

カンファランスの記録シート

それから、授業を始める前に音楽を小さくし、読み始めるタイミングでボリュームを上げるなど、「今、何をする時間か」という隠れたメッセージを発信できることも大きい。音楽はプレイフルラーニングの文脈でもしばしば使われているように、もっと使いようがあるのではないかと感じている。

それと、図書委員会の予算でクッションも買った。大体カバーと本体が4つずつで5,000円くらい。これがあると、寝転がって読む生徒が増えたほか、椅子に座りながら肘置きに使う生徒もいた。

このクッション目当てに早く来る生徒も
思わず使いたくなる、触りたくなる素材を選んだ

こういう小物の存在は馬鹿にできなくて、子どもたちのテンションを上げることは読むモチベーションにそのまま繋がる。リラックスできる空間の設えは、ブックカフェやブックインからも盗めるポイントが沢山ある。だから僕は、普段からそういうところに足を運んで技を盗んでいる。アトウェルがWorkshop(工房)と名づけているのは、RW/WWにおける学習環境が重要な役割を担うからだ。

そして、それ以前に生徒へ伝えるメッセージは「自分が好きな場所を探して読む」ということ。立つか座るか、明るいか暗いか、広いか狭いか。人がどうこうではなく、身体感覚として心地よい場所や体勢を探すということだ。これはNVCの考え方にも通じるところ。

また、設えとは関係ないが、小声で話すことや余計な音を立てないことを徹底した。今までは「他の人の集中を妨げないように!」と伝えるだけだったんだけど、今回は「集中できる環境とは?」と投げかけて、A4用紙に書いて共有するミニレッスンを行った。

集中できる環境について、ボトムアップで考える

小声というのが意外とできない生徒もいるけど、過度でない場合はスルーしている。ただ、おしゃべりや椅子・机を叩く音が途中で度を越していたので、ミニレッスンで再度「自分の出す音に敏感になろう」と伝えた。

最近、教師が強権的に伝えることの重要性も身に染みて分かってきた。その場にいる全員の学びの質を教師は担保しなければならない。たとえ一時的に嫌われようとも。ただ、それは怒鳴り散らして脅迫することとは違う。冷静に、真っ直ぐ、教え諭す。それで子どもは分かってくれる。分かってくれるような信頼関係ができているか、というのも重要なのだが。

アウトプットするときのヒント

授業の最後は共有の時間。正直、生徒の様子を見てやったりやらなかったりだった。A5サイズの上質紙に、Canvaで作成した「読んだことについて書くときのヒント」をまとめた。「書くときの」とあるように、レターエッセイを書くときの傍らに置いておけるように作ったものだ。でも、読んだことに関するアウトプット全般に使えると思ったので、共有の時間でも使うことにした。

生徒はペアになり、片方がこの紙を使ってインタビュアーとして相手に質問を投げかける。最初は一問一答方式で、1分で役割交代。慣れてきたら「深める質問カード」も使って、追質問をしていく。

レターエッセイを書くとき、この訓練が生きてほしい

ちなみに、後半のミニレッスンは生徒1人のレターエッセイを取り上げて全員の前でインタビューした後、聴衆の生徒が発表した生徒に「前向きなメッセージ」「疑問・質問」をふせんで渡すようにしていた。フィードバックの方法については国語以外でもしつこく言ってきたからか、子細で具体的なものが多かったので、そこもミニレッスンで褒めておいた。

虚構が実を結ぶとき

本を1冊以上読み、レターエッセイを書き上げることが最後の課題。評価基準は、表現技法と作家の技をそれぞれ2種類以上使うこと。学期末というのもあって成績には反映されないけれど、今まで学んできたことの集大成として課した。

中高生はノンフィクションをもっと読むべきだと思う一方で、10代のうちに数多くの豊かな物語に触れ、人生を支える一節に出会ったり、純粋な感動に打ち震えたり、そういう経験をしてほしい。僕の実践の中心にあるのは、そんな願いである。

本や文章の多くは虚構に過ぎない。脚色もされる。『枕草子』だってそうだ。でも、そこに実在しないと分かっていても心を動かされるのが人間である。それが読書の中にある豊かさの本質だと思う。

最後に、とあるレターエッセイを紹介したい。1年生ながら読書の豊かさが詰まったエッセイを書いてくれた生徒がいる。彼女の話によれば、保護者は小さい頃に読み聞かせをしていたようで、今でも本をよく読む親の姿を見るそうだ。熱くなって一気に返事を書き上げてしまった。保護者にも共有したけど、どんな感想をもったかな。

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自分のフィードバックを読んでいると、この記事で書いた僕の「本(人文学)に対する雑感」とつながってくる。やはり僕は目に見えないものの力を信じたいのだな。そして、それを子どもたちに知ってほしいのだ。

どの生徒も書きぶりがこなれていて、レベルの高いエッセイが多かった。ここで紹介しきれないのがもったいないほどに。普段は騒がしくしている男子生徒も読書に没頭できたようで、レターエッセイを書いている最中のカンファランスでも「なんだか作家になった気分で書けました」と話していた。彼は1冊通して本を読んだことがなかったそうだが、瀬尾まいこの『あと少し、もう少し』を読破していた。

今年度の展望

今回の反省は、20時間では一部の生徒にとっての起爆剤にしかならないということ。具体的には、ようやくすべての生徒が1冊は読み終えた…というタイミングで授業が終わってしまったのが悔やまれる。

読める生徒は自分で本を買ったり、教室や家で本を読み始めたりしていた。しかし、「読書家として有望な生徒がRW外で本に触れ始める」というフェーズは集団が変化し始めた予兆に過ぎない。本が苦手な生徒がアクションを起こすようにならなければ意味がない。読書が得意な生徒は伸びて当たり前なのだ。

継続的な取組がRWの本質だし、そのフェーズを抜けてさらに授業を続けていけば、本が身近にあることや本について話すことが当たり前の文化・風土になる。学校だけでなく家庭、ひいては地域の図書館にも影響を及ぼすレベルでないと、僕は満足しないだろう。「人に、集団に、学校に、世界に、本が根づく」という状態が僕の理想だ。

教員2年目のとき、週3で教科書ベースの授業を行う傍ら、読書家の時間を週1で行っていた。2年目の当時はダブルスタンダード的になってしまい、教科書とRWの結節点が見出せなかった。それはつまり「2者間の評価をどうするのか」という問いに答えが出なかったということだ。でも今は、「教科書で学んだ知識・技能をレターエッセイで生かしながら書く」という入口と出口が見えてきた。

レターエッセイで作家の技が使えたらシールがもらえる

今年度は通年で週1のRWをやろうと思う。とにかく本の存在をリマインドしていく。結局、授業ひとつひとつの積み重ねでしかないが、長く継続するという視点を今年は意図してもっておきたい。

もっとこの空間で授業したかった……

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