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”自分らしく生きる”挑戦を始めた僕から君に伝えたいこと

こんにちは、菊池(@Soya_0416)です。
初noteのため、まずは簡単に自己紹介から。

2017年に新卒でリクルートキャリア(現リクルート)に入社。ベンチャーや大手企業への採用支援(エージェント、採用コンサル等)、転職者へのキャリアコンサルティングを行う。2021年に株式会社マクアケの採用人事として入社。中途採用の戦略立てと推進、採用広報を担当する。
本業の傍ら、ZaPASS(https://zapass.co/)というコーチングプラットフォームの認定プロフェッショナルコーチとして、20代のビジネスマンを中心に、経営者やフリーランスの方へコーチングを提供している。サウナや自然の中で心身共に"ととのう"ことが生きがい。

このnoteは、

「自分らしく生きたいのに、既存の"正しさ"らしきものから外れる事が怖くて、勇気が持てない」

「確かさが欲しくて、"自分らしさ"や"夢"さえも他人の尺度で測ってしまう」

「人生で本当に欲しいものを見つけて、自分の人生をより輝せたい

と願う人へ届き、その背中を押すきっかけになる事を祈って書いた。

かくいう僕自身も、学生時代から"自分の生きる意味"という壮大なテーマに関心を寄せ、向き合ってきた人間だ。

両親の離婚、東北大地震の被災、壮絶な受験勉強、社会人生活とコーチングとの出会いなど様々な場面で人生について考え、もがいてきた。葛藤や不安もあったが、「自分らしく生きる」と決めてからは不思議と肩の力が抜けて楽な気持ちでいる。

この感覚をずっと忘れないように、そしてこれからも"自分の心の声"に耳を傾けて、"自分の人生を生きる"決意も込めてこのnoteを残したい。


愛を感じる余裕がなかった幼少期

僕は4歳から母子家庭で育った。そして一人っ子ということもあり、母と祖父祖母からたくさん愛を注いでもらった。ただ、僕はその愛を素直に受け止められなかった
その背景には母と祖父祖母との関係性の悪さがあった。
たわいもないことで喧嘩を重ねる親子の様子を、どこか冷めた目で見ていた当時の僕は、

「なぜ、実の親子なのにこんなにいがみ合っているんだろう」

「素直に"ありがとう"や”ごめんなさい”を言えたら、もっと心は通うはずなのに」

と感じていた。素直に、悲しかった。

思い描いていた「親子の愛」を感じられないことへの絶望感、寂しさ、憤り。それらの感情が、自分に注がれた愛を感じることができなくなるほど、僕の心をコーティングしてしまった。

ただ、目に見える"成果"や"実績"などの事実を褒められる時は、特に違和感もなく、素直に喜ぶことができた。そして当時の僕はそれを"愛"と受け取っていた。

成果を出せる自分=価値ある自分=愛される自分

という価値観が知らないうちに形成されていたのだ。

成果を出して母から褒められることが嬉しくて、勉強も部活も必死に頑張ってきた。そして良い意味でも悪い意味でも「成果」に拘りを持った、そんな幼少期だったと思う。


3.11の津波がもたらしたもの

忘れもしない、2011年3月11日14時46分。
僕の地元、岩手県大船渡市に大地震と大きな津波がやってきた。

幸いにも僕の家や家族は無事だったが、町の中心地は津波で埋め尽くされ、壊滅状態に。当時、ワンセグ放送のリアルタイムで津波が町を一瞬で飲み込む様子を見ていて、現実か映画のワンシーンを見ているのか分からなくなるほど、衝撃的な映像だった。

震災によって家計の収入が減り、家庭の状況も悪化していった。

「自分がしっかりしなければいけない」

という思いがより強くなった。結果として受験勉強により一層打ち込み、成績が良い人としか交流を持たず、交友関係の断捨離を行なった。当時の僕は打算的で、かなり冷たい表情をしていたと思う。だって、感情を感じる余裕なんて1ミリもなかったから。今なら当時の僕に、「よく頑張ったね」と言ってあげたい。


存在価値の証明

高校時代はテストの点数や順位を。大学時代は「サークル・学生団体の代表」「○○のインターンに参加」などの目に見える指標を。社会人では営業の数字と「リクルートにいる自分」ということを存在価値として置き、その証明のために血眼で動いてきた。

体は勝手に動いたし、努力も苦ではなく、成長実感もたくさんあった。
ただ、どこか満たされない自分がいた。

「代表という肩書きが外れたら、自分にどんな価値があるんだろう」
「結果が出ない(価値のない)自分と友人は親しくしてくれるのか」
「どうやったら存在価値を証明できる状態になるのだろう」

そんな怖さ寂しさが常にまとわりついていた。

「存在価値の証明」をゴールに生きることの果てしなさ、自分が擦り減っていく感覚。常に何かに追われて、走り続けている止まり方が分からないし、止まったらダメな気がする。これらの漠然とした不安を抱えながら、永遠に続くマラソンを走り続けるような感覚をずっと持っていた。


"コーチング"と”自分らしさ”との出会い

そんな僕がコーチングと出会ったのは大学4年生の時。
「就活」に留まらず、「人生」のより良い選択を支援する関わり方に惹かれ、コーチングを実際に受けてみた。感想としては、「ただ受けて止めてもらえる安心感」「今まで考えた事のない理想の人生を考える事のワクワク感」を感じた事を覚えている。

前述のモヤモヤ感から、改めて人生に向き合うタイミングがきたと思い、社会人3年目にコーチングを学び始めた。
実際に多くの方に「人生」をテーマにコーチングを行い、その人の「本当の願い」に向き合う中で、僕の心境にも大きな変化があった。

「自分が人生で本当に欲しいものは何か」
「自分の理想の人生はどんな人生か」

などを自分に問いかけ、自分が心から願う事に耳を澄ませた。
今までの人生を振り返りながら、自分に一番しっくりくる言葉や感情を探し、丁寧に紡いだ。

すると、

「"価値"ではなく、"存在"で繋がれる関係性が欲しい」
「自分らしく、ありのまま生きたい」

という願いが湧いてきた。
コーチングを学ぶ時間は等身大の自分でいれたし、一緒に学ぶ仲間や講師の方の生き方に触れる中で、本来の自分が解放されるようになっていた。

今まで存在価値の証明を目標に奔走していた僕が、解き放たれる瞬間だった。「○○ができる菊池宗也」ではなく、「菊池宗也」としての存在で周りと繋がり、それがずっと続くことを願っていたんだ。この願いに気づくことができて、僕は本当に幸せだった。

「経験」や「所属」などの目に見える価値の繋がりではなく、人の"存在"自体で繋がる関係性が最も強いと信じている。ウェットで、今の僕には少し眩しく見えるが、これから確かなものにしていきたい。
そしてその関係性の中で、肩の力を抜いて自分らしく、へらへらして過ごせていれば幸せなんだと思う。

最近、マイコーチから言われた一言が印象に残っており、この言葉も残したい。

「"宗也君らしさ"、居るだけでもう出ているよ」

この言葉を聞いて、何だかとっても嬉しかった。
"自分らしさ"をずっと探していたけど、既に滲み出ているんだなと。敢えて言語化すると、「加工されていないピュアさや一生懸命さが周りを明るくさせる」事が僕の"らしさ"のようだ。
今後はそれを自分が表現して、このままで居続ける勇気を持つ事が大切だと思う。そして、そう生きる決意をここで固める


これからの挑戦

自分の中で大きな変化があったとはいえ、まだ他人の評価を気にして落ち込んだり、周囲に合わせて自分を殺してしまう事も多々ある。その状態が良い悪いではなく、それもまた自分の一部だと認めた上で、自分らしくあり続ける努力をしていきたい。今はそんな、肩の力が抜けたような感覚だ。

そのために常に自分の喜怒哀楽の感情に耳を傾け、「本当にそれをやりたいの?」「自分らしい決断はできている?」と自分に問いかけ、ただありのままの自分を追求していきたい

今後は個人向けのコーチング以外に、「自分らしく生きる挑戦をする人達を応援するコミュニティ作り」を計画中です。こちらの運営やコミュニティ自体に興味がある方、コーチングを受けてみたい方などはFacebook(https://www.facebook.com/soya.kikuchi.0416)までお気軽にメッセージください。どんな形であれ、ご一緒できると嬉しいです。

個人向けセッションの詳細もリンクを載せますので、興味がある方はぜひ覗いてみください。


最後に、僕は誰もが願いを持っていて、それを心から願う人だけが実現できると思っている。現状に少し違和感があったり、もっと自分らしい生き方をしたいと感じた場合は、そっと自分の胸に手を当て、「自分が本当に願っていることは何?」と問いかけてほしい。

その願いに気づいた瞬間から、あなただけの人生が既に始まっています。
僕と一緒に、”自分の願いに正直に、ありのまま自分らしく生きる”挑戦を始めてみませんか?


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