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ホリエモンの「保育士誰でもできる論争(2017年)」に対する私見 給料が低い理由編

2017年10月12日のホリエモンのこの投稿☟

これが発端

結構話題になりましたよね。

2017年というと僕はドイツ留学をしていて、森の幼稚園で実習をしている時です。自分の実習の方が大事だったので、そこまで深く読んでませんでしたが、6年経った今、自分なりに考えをまとめようかなと思いました。

①当時の思い

一応話題になっていたので、見た記憶がありますが、個人的にはそこまで印象に残らなかったですね。

この記事を書く為に、トップ画のツイートにコメントされていたモノを全部読みました。その中で、気になる部分があり、「あぁ、当時もこれには違和感があったな」と思っていたことを思い出しましたので、それについて書きます。

嫌だなと思ったのは、「命アピール」、「苦労アピール」するコメント

コメント見てて、気になったモノをスクショしました☟

命を預かることの重さ…
前半の文章は1枚目のモノと同じだな…驚
どうよ?ホリエモンにできるんかい?!…
毎日毎日…

個人的には、『「命を大切にしてる」ってどの職業も同じじゃね?』と思いました。命を守るのはどの職種でもというか人間として最低限守るべきことであり、わざわざ主張するまでもない当然のことかと。

ホリエモンが「誰にでも出来る仕事」と発言したことへの返信がコレなことから察するに、「命を大切にしてる」と発言した人達は、そのことをもってして「保育士には専門性があるから、誰にでもできる仕事ではない。」と反論したいのかなと。

その気持ちは分からんでもないが、己の専門性を主張する時に「命を大切にしている」を理由にするのは「どうも浅いんじゃないかな?」と思います。「えっ、専門性って他にないの?当たり前のこと言ってなにドヤってんの?」と聞いてるコッチが不安になってきます。

「苦労アピール」については、このツイートの方と同意見ですね☟

しんどさに応じて高くなったり低くなったりするものじゃない

②給料の低い理由を考察

個人的には、コメント欄で多数の意見があったように、給料が上がらない主な理由

「国(財源、世論、制度)の問題」

だと考えています。

・財源

財源の縮小
昔は公務員に準ずる給料…
高齢者に優しい国、日本…
仰る通り!
ムリだからこそ、国の支援が必要なのに、国はガン無視…
公定価格…

・世論

おかしいと思います!
女性の仕事ってことですよね…

・制度

公務員という誰でもできる仕事は、給料が低くないんだから、
ホリエモンの論理は間違いだということが分かりますね。
やりがい搾取されている…
声を上げて戦わないといけないのに、肝心な当事者たちは、
「日々の仕事に追われて忙し」く、「子ども達の為に自分が我慢すればいいんだ」と
考えてしまうからどうしようもない悪循環に陥る…
保育は福祉。しっかり支援してやるのが筋じゃないか!?

③まとめ:でも、このツイートは良かったと思う。


ホリエモンの「誰でもできるから」は「保育士の給料が低い理由」になっていませんでしたが、彼のツイートをきっかけに、「保育の専門性」や「日本における保育の現状」について考えた人は多かったのではないでしょうか?

その点を踏まえると、彼のツイートは良い問題提起になったので良かったなと個人的には思います。

よく言われるのは、「保育士の仕事には無駄が多い」ということですよね。

ドイツの森の幼稚園で実習してましたが、行事はクリスマス会と卒園式だけでしたね。クリスマス会は楽器できる親が来て、クリスマスの歌を歌うってだけ。卒園式はちょっと豪華でしたね。卒園児の保護者が全員集まりましたし、家庭で作った食べ物を持ち寄ってみんなで食べてました。連絡帳は無かったです。というか、保護者が子どもと一緒に登園した際に、保護者は先生と話してるんですよね。そこでコミュニケーション取ってるんです。子どもを迎えに来るときも同じ。保護者と先生が積極的に会話しているのが印象的でした。日本みたいに預けてハイさようならなんて無かったですよ。壁の装飾に関しては、森の幼稚園は森が勝手に変化してくれるので何もすることは無い!笑

子どもの成長記録とかはグループの主任が書いてましたが、第一次お迎えタイム(13時くらい)が終わったくらいの時間にバウバーゲンの中に籠ってましたね。「えっ、子ども達はどうするの?」っていうのは、実習生と他の先生が対応しているので大丈夫なんです。子ども達の人数は減ってるからそんなに難しくないです。実習生とかを雇わずに今いる先生だけで何とかしようとする閉鎖的な空間である日本の幼稚園とかだと、それが自分の首を自分で絞めてるなと思いますね。

個人的には、日本に何も期待していないです(だからドイツで森の幼稚園の先生になる)。今までのように、これからも、日本の保育は、国は、当事者達は、大規模的には、何も変わっていかないのかなと予測しています。

ただ、状況云々は日本とドイツで違うところは多々ありますが、「専門性」に関しては、ところ変わっても、共通の基盤になるものだと思うので一考する価値があると思います。なので、次回は、保育の専門性について自分なりに考察していきたいと思います。

個人的にはこの方のツイートに賛成してますね。☟

完全に同意できる…

ここで言う、「技術センス才能」のことを、自分は「魅力」だと考えていて、これまでいくつか記事を書いてきました。それを今度は、保育と絡めて、具体的に書いていきたいと思います。

<4月20日 追記>

・天ぷらの専門性から見えてくる子育ての専門性とは?ホリエモンの「保育士誰でもできる論争(2017年)」に対する私見

<以前の「魅力」についての記事はコチラ☟>

・ものを教えるやつに魅力がなければ駄目なのです。

・<芸>はうまい/まずい、面白い/面白くない、などではなくて、その演者の人間性、パーソナリティー、存在をいかに出すかなんだと気が付いた。

<蛇足だけど、こぼれ話はコチラ☟>

・保育の専門性を考察する前のこぼれ話(天ぷらの神様がいる「みかわ 是山居」にて…)

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