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小学校の朝の読書時間にいつも読んでた「中田語録」の個人的感想7選

小学校の時、毎日朝に「読書時間」が15分間設けられていた。そして、何を読んだか紙に記入していた。

僕がいつも読んでいたのは「中田語録」である。お母さんがたまたま持っていて、それを僕が見つけて「読みたい!」と言ったのがきっかけだったと思う。

小3からサッカーをやっていたので、サッカー選手についての本は興味があった。ただ、本を読むことによってサッカーが上手くなったというよりも、中田英寿流の考え方が、自分の脳内に刷り込まれた感じがする。

年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス

中3までサッカーをやっていたが、その経験の中で中田語録に一番共感したのは、「年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス」という考え方である。

今でも覚えてるのは、ある先輩が「お前、挨拶しなかっただろ!」と怒ってきた事である。話を聞くと、僕が友達としゃべりながら廊下を歩いている時に、たまたまその先輩と出くわしたらしいのだが、僕は挨拶せずに通り過ぎやがったらしい。

もうね、本当に阿保だなと思った。この先輩は「お前は挨拶してない」と主張してるが、こっちから言わせれば、「お前こそ俺に会ってるのに挨拶してないじゃん!」ってことである。先輩が後輩に挨拶しちゃいけないなんて決まりがあるのか?自分でその価値観作って、自分で自分の行動を狭めているただの阿保だと思った。そのくせ、自分が挨拶してないことは棚に上げて、他人様に対して挨拶しろと要求する。完全な阿保ですよね?笑

こっちは友達と話してて気づかなかったんだから、仕方ないだろ。逆に、お前はこっちに気付いてるんだから、気づいた方が挨拶すればいい話じゃん。それをネチネチ文句垂れて、凝り固まった価値観にがんじがらめになってるのが滑稽だなと思った。

まぁ、個人的には、先輩でも後輩の自分に自ら挨拶するような先輩に出会ったこともあり、やはりそういう「先輩・後輩」という変な同調的価値観によって自分が支配されるのではなく、人間対人間として向き合って、コミュニケーションの一つとして、自らどんな人に対しても挨拶をかけていきたいなという思いを今も持っている。

ゼロからのスタートを切る

20歳頃から海外に挑戦し続けた中田英寿の生き様に、個人的には大きな影響をもらったと思っている。「点と点が繋がって線になる」みたいな感じで、この「中田語録」を読んで、海外へ行くことの土台を作れたことで、今の自分があるのかなと思う。その後は、予備校で留学の話を楽しくする英語の先生に感化されて留学したいなと思い、大学入学後にドイツの森の幼稚園にたまたたま巡り会って1年間の実習をさせて頂いた。そして、これからはAusbildungやって先生の免許を取って、森の幼稚園で働く!まさに『線』として繋げるイメージは個人的に出来ている。

ペルージャへの移籍会見でその決意を聞かれた中田英寿が答えたのは「ゼロからのスタートを切る」である。有難いことに、私も8月からドイツへ行くのだが、その気持ちを表すとしたら、ヒデの言葉を使いたい。

6年前のドイツでの森の幼稚園の実習の思い出を、亡霊みたいに引きずっている今の自分をすっかり消せることを嬉しく思う。自分が年老いた時に、「あの頃のドイツの実習は楽しかったのぅ」なんて言ってしまう野郎には絶対になりたくないと思っていたから。一言で言えば、そんな奴ダサいもん。固定記事にトビタテの記事を載せているのは、noteのプロフィール欄が狭くてトビタテのことが書けないので、自己紹介がてら書いてあるだけで、BFD始めたらとっとと変更したいほど、ただただ恥ずかしいものである。

ただ、その実習の経験があるからこそ、「このBFDだって自分なら絶対できる!」と思えているのは事実ではある。

実習が終わりかけた頃に尊敬していたレンナー先生から、「キーくんがもっといてくれたらなあ…」という嬉しい言葉をかけて頂いたことがある。「他の先生、子ども達、保護者の方も同じ気持ちだよ。」と続けてくれた。当時の自分は日本の”森のようちえん”について希望的な観測を持っていた為に、「僕は日本で自分の森の幼稚園を作りたいから、日本でやっていこうと思う。」と答えてしまったが、どこの馬の骨かもわからない外国人の僕に対して、レンナー先生がそう仰ってくれたことは嬉しかった。

BFDをやらせて頂くデュッセルドルフの森の幼稚園も、最初の頃は自分に対して「どうなんだろうか?」と疑心暗鬼になっている部分はあると思う。個人的には、レンナー先生が仰ってくれた言葉を糧に頑張り、僕のことを全く知らない「子ども達、先生達、保護者の方達」からもう一度、良い評価を得られるように自分が持っているものを全て出し切っていきたいと思うし、自分ならそれが出来ると信じている。

最初から負けることを考えてるようじゃ、その時点でワールドカップを戦う資格がない

最初から全力を出さなければ良い結果は得られないだろうなと自分は思っている。

陸上の長距離をやっていた時に、自己ベストを出せたレースは、最初からツッコんで走ったレースだった。長期留学する前の心持ちは「不安がないことが不安」だった。実習始めた日に1対20の鬼ごっこで、子ども達から出された”試験”に何とか合格できた

今の自分は前回1年間実習させて頂いた自分と比べて、ドイツ語能力は格段に上がったし、社会経験も積んだし、トビタテとかに頼らず自分で話を進めて契約にこぎつけたし、様々な面で成長できたと感じてます。

この自分であれば、Waldzwerge森の幼稚園で行えた実習よりも、もっと最高な実習が出来るのではないかという自分への期待しかありません。

最初から全力で挑んで、最高の結果を掴み取りたいと思います。

世界の中で自分がどの位置にいるのか、確かめたい

ドイツは森の幼稚園の本場です。サッカーで例えるなら、ブラジルみたいなもんです。そこに自分の身一つで挑んでいき、自分が森の幼稚園の先生としてどの程度のモンなのか知りたいという思いは強いです。

自分なりの教育観はこれまでnoteに書き連ねてきましたが、果たしてこの教育観が変わるほどの衝撃的な経験が出来るのか。僕的にはいろんな本を読んだり、色んな人と接してきた中で得ることが出来た自信のある教育観ですので、ちょっとやそっとの出来事では変わらないと考えています。故に、自分の教育観を変わらずに持ち続けることは自分にとっては嬉しいことでもあります。しかし、その自信のある教育観を変えてしまうような重大な出来事に出会えることも、また、自分にとっては嬉しいことです。

ドイツで過ごす1分1秒を大切にし、全ての時間から学びを見つけて、自分の血肉にしていきたいと思います。

基本があれば、1を100にすることだってできる

サッカーにとって大切なことは何か、と尋ねられた際のヒデの答え。

では、教育、特に幼児教育にとっての基本とは何か。

個人的には倉橋惣三の言葉を引用したい。

教育は人情の発露である。人情だけでは教育は出来ない。研究がいる。設備がいる。方法がいる。しかしこれらは皆人情の土台に築かれるものである。これらのものがいかに完備しても人情の欠けた所に教育はない。

幼稚園雑草(上)p16

人間対人間の関係は、上に下に横にあるいは斜めに、すこぶる多種多様である。しかも、その共通の根底は親しみである。・・・根のない所に花は枯れる。親しみのない所に人間は枯れる。自分も冷たく、人も冷たく、世も冷たく、一切が冷たく枯れる。・・・実際、人を鑑る賢さは、人に対する親しみの心の次に一番大切なことである。・・・人に親しむ心は、人に親しむの経験によってのみ養われる。・・・一体教育者が心得ていなければならぬ秘訣というものはいろいろある。しかも、その中で一番肝心なのは、子供に自分を親しませる秘訣である。しかも、秘訣というには余りにその人に着いていることである。むしろ教育者の資質といった方が適当であろう。また、方法といっても、強いてする世辞や愛嬌で出来ることではない。むしろその人自身が、先ず親しむ心を持っていて、それから出るあたたかさと、柔らかさと、そうして何よりもその真実さが子供を引き付けるより他はない。

幼稚園雑草(上)p41~43

幼稚園の本体はそういうものをいうのではなく、子供を教育しようというその心が幼稚園の本体であります。その心はつまりいいかえればその心の持ち主即ち幼稚園の先生に外ならない。いい換えれば幼稚園の中心は申すまでもなく先生である。・・・幼稚園の先生としては、いかにして子供の活動に満足を与えてやろうか、それを誘い出してやろうか、それを正しく導いてやろうかということに帰してしまうのであります。・・・幼稚園の本来が何だということは、決して理屈や学問からこしらえ上げられたものでなく、子供を愛する自然の人情に基づくものだということが分かって来る。幼稚園の先生はつまりこの人情に満ち溢れている人であって、この人情に基づいた働きを子供のために毎日している方々である。先生といえば何かを教えてくれる人という風に狭く考えられるけれども、幼稚園の先生は教えるということよりは、もっともっと広い意味または深い意味での先生である。また先生といえば何となく事あらたまった特別な人のように聞こえることもあるが、幼稚園の先生はそれよりももっと自然な意味においての子供の叔母さんであり、姉さんである。また、この先生は満ち溢れるがごとき愛心をもってどうかして子供に満足を与えてやりたいと思われるばかりでなく、その特別なる研究や経験によって、もっとも上手に子供を遊ばせていく術を知っている。但し、その術というのは軽業師や手品師というようなものでは勿論なくて、その先生の情愛から出る自然のうるおいまた暖かさがちょうど露や日光が種子を喜ばせ伸ばしていくように、子供を喜ばせまたその活動を引き出してゆくのである。

幼稚園雑草(上)p150~151

基本である「人情」と「親しみ(親しむ心)」があれば、やっていけると信じています。そして、子ども達と接する前に必ず「やさしさで溢れるように」を聴くことのできる自分は、決して、それらの基本を絶やすことは無いだろうと自信が持てます。

「俺にはお手本はいらない」&「それがセオリーだから」

中田は、サッカーは自分で考えるものという信念を持っている。自分の頭に湧き出るイメージは、自分でしか実現できない。だから、テレビの画面に映し出される他の選手のプレーには関心がない。

「自分で考えて、工夫してボールを蹴らないと巧くなるわけないんだから。どんなに上手な選手のビデオを観ようと、コーチから繰り返し説明されようと、自分の頭と体で理解しなきゃ、プレーになって現れない」

中田の理想のサッカーは、いかに合理的にプレーできるか、という発想から導き出される。

「無駄がなく、リスクもなく、ゴールできたらそれが一番いい。できるだけシンプルに、できるだけ簡単に。そうやって考えて行くと、パスの種類や速さや距離、ドリブルのコースなんかも見えてくる」

中田語録 p74

p68でサッカーというスポーツを表現して、「サッカーは超複雑系」と答えていたヒデ。

p109では、

中田の頭の中には、「こんなサッカーがしたい」という理想がある。その理想は、サッカーの理論と磨き上げてきた自分のプレーを掛け合わせ、築かれたものだ。

「俺、数学とか物理が好きなんです。公式とか法則を当てはめてたった一つの答えにたどり着く。応用を繰り返してさらに合理的に最終結論を導き出す。あの感じが好きですね。サッカーって、数学的に考えるとやりやすい。局面、局面をセオリーで導き出すというふうに」

中田語録 p109

と言い、p113では、

「サッカーの”公式”に従ってボールを追う。勘だけで蹴っても組織的なプレーは出来ないから。俺の頭の中には、常にセオリーがある」

中田語録 p113

と、超複雑系への取り組み方を表現している。

個人的には「教育にセオリーなんてあるのかね・・・?」って感じがしてる。もちろん発達段階による特性とかはあるだろうけど、それでさえ、個人差が激しいんだからね。笑

サッカーだったら、「インステップキックの方がインサイドキックよりも遠くにボールを飛ばせる」みたいなのは万人に共通する真理的な部分はあるけど…

そうなると、教育は「”超”超複雑系」であるから、個人的にはお手本にすがりたいって感じがしている。H先生しかり、レンナー先生しかり、大学時代の恩師しかり、自分が見てきた先生を手本にして、子ども達と接していきたい。

ただ、「”超”超複雑系」の良いところは、子ども達はいつからでも変わることが出来るという事にある。悪い子が一人の先生と出会って良くなることは多い(逆もしかり)。

ということは、子ども達の顔色を窺ってあれこれ小手先を変えながら子ども達に接するよりも、自分というものを100%出して子ども達と向き合い、そこから子ども達が勝手に”何か”を学んでくれたら良いと考えている。

その何かが、「暑苦しくてウゼぇ」でも良いし、「先生みたいに海外で働きたい」でも良い。何でもいい。

自分はベストを尽くして子ども達と交流したんだから、悔いは無く、満足だし、子ども達は自分との交流をいつまでも持ってくれたり、あるいはすぐに捨てたりして、自分の人生を歩んでいき、それは子ども達が決めることで、先生には全く関係がない。

「”超”超複雑系」故に、「人事を尽くして天命を待つ」ことしか、僕にはできないと思っている。

もう、日本へは戻らない

日本が恋しくなることはないか、と尋ねられたヒデの答えである。

僕もそのつもりだ。BFDやって、Ausbildungやって、森の幼稚園の先生になって、ドイツで働いて、ドイツに骨を埋めるつもり。

もう日本には30年近くいたんだから、もういいわ。これからの少なくとも30年は異国の地で新たな経験を積みたい。

個人的には、自分が日本へ帰るよりも、日本にいる知り合いがドイツに来て欲しいなという思いの方が強い。ドイツで自分の部屋を持つわけだから、その部屋に泊まってもらってホテル代を浮かせてもらって、その分ドイツを楽しんでもらいたいなと思う。

自分がトビタテで留学させてもらったから、ちゃんと仕事をして生計を立てて余裕が出来たら、トビタテのサポートをしたいし、教育系で留学を希望している若い人たちに、自分が働く森の幼稚園の視察ツアーとかを企画できたらいいなと思ってます。

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