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③倉橋惣三が考える、「子どもにとって嬉しいこと」とは?(幼稚園雑草より抜粋)

A. 私を欲している子ども達に、私自身を与えること。

子供にとってうれしいことは、我等がいかに立派な人間であるかよりも、我等をいかに十分に彼等に与えてくれるかである。子供にとってもっとも幸福なことも、教育にとってもっとも肝心なことも、恐らくこれに他あるまい。我等は何をやるかでなくて、我等自身を与えることである。それだけが我等に出来る。

幼稚園雑草(上)p17

―――自分でなければならない。―――・・・何事でもこういう心持があってこそ、自分のしていることに力が入る。それでこそ、相手に充分に徹底し得る。・・・どうしたら、どうしたらとばかり考えていて、自分が一人ひとりの子供たちの為にどの位必要のものだということは、一度だって思いもしない。子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。私からではない。私をだ。私からお噺を聞きたいばかりじゃない。お噺を私から聞きたがっているのだ。私と遊びたいのだ。

幼稚園雑草(上)p138~139

少々の私見

①ハンモック

「子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。」は、めちゃくちゃ分かります。ドイツで実習してた時は、そういう場面にいくつも会いましたね。

例えば、ハンモック揺らし。こちらで既に紹介したように、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園は4つのハンモックを普段用意していて、いつでも自由に子ども達が使うことが出来ます。

僕は実習を通じて子ども達から、

「キーくんは世界一ハンモックを揺らすのが上手い!」

とお褒めの言葉を頂いておりました。

実習中は、子どもと遊んでない時は殆ど「キーくん、ハンモック揺らして~」って子ども達に頼まれて、休憩がてら、他の子どもの観察がてらに揺らしてました。

何千回揺らしたでしょうか。1年間の実習が終わる時に自分の手を見たら、なんと「ハンモックまめ」ができていたことに驚きました。中指、薬指、小指の付け根が固くなって膨らんでたんです。現在は6年経ちましたが、今でもその痕跡はくっきりと残ってますね。笑

僕が他の子と遊んでる時に「キーくん、ハンモック揺らして」って言われて「今遊んでるから無理なんよ~」って言ったら、「じゃあ、待つ!」って言われたり、そのやりとりを聞いていた他の先生が代わりに揺らそうとすると「キーくんじゃなきゃ嫌だ!」って言ってたりしましたね。笑

まさに、「子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。」ですよ。

で、なんで子ども達にハンモック揺らしが世界一と言われたのかというと、次の二つのことを意識していたからではないかと思います。

①位置エネルギーと運動エネルギー
②どうやったら退屈しないか

①に関しては、中学の理科の時に習ったことがあると思います。

コレです。

僕はハンモックを揺らしている時はいつもこのイメージを持っていました。つまり、「地面すれすれの位置に来た時に、ハンモックに乗っている子どもは一番スピードを感じる」という事です。

それが分かっていれば、ちょっとした手間をかけることで子ども達はもっとスピードを感じることが出来ます。例えば、地面すれすれの少し前に手首のスナップを利かせて加速を付けたり、スピードが最大になったところで「ビューン!」とかの声掛けをしたりすることを僕はやってましたね。手首のスナップをクイッと利かせる時に、中指、薬指、小指の付け根で押していたからマメが出来たんだなと考えてます。笑

②の「どうやったら退屈しないか」ですが、例えば自分は数を数えることをしてました。そして、年長さんの子に対しては、たまにわざと間違えるんですよね。そうすると子どもが「今の違う!」ってツッコミしてくれます。年少の子には正しく数を数えることで、数字の勉強になれば良いなと思ってました。

あとは、ドイツ語ではなく日本語で数を数える。これも、子ども達は興味を持ってくれましたね。子ども達の中で「イチ、ニ、サン」が流行ったのは良い思い出です。日本語の数ってめちゃくちゃ速く数えることが出来ますよね。「イチニサンシゴロクシチハチキュウジュウジュウイチジュウニジュウサン・・・」みたいに。ドイツ語も20までは速く数えられるんですけど、21からは、「一の位」を読んでから「ウント(und)(英語で言うところのand)」でつないで「十の位」を読むという不思議な読み方になるから時間がかかるんです。21なら「アイン(1)ウント(und)ツヴァンツィヒ(20)」、22なら「ツヴァイウントツヴァンツィヒ」みたいな感じです。で、僕は「日本語で100までめっちゃ速く数えられるよ!」って言って披露したら、子ども達にめっちゃくちゃウケて、それ以来、「キーくん、百まで日本語で数えて!」って何回もリクエストされるようになりました。笑

数字以外にも積極的に話しかけてましたね。子ども達とじっくり会話できる時間になるので、何とか有効活用したいなと思って、色んな質問を投げかけました。他には、木の裏に隠れてハンモックが止まった時に子どもが周りを見て「キーくんがいない!」って叫んだら出てきてあげるとか、葉っぱを集めといて振りかけてみたりとか、「俺が乗りたいから、逆に揺らして!」って言って子どもと立場を交代させたりとか(ハンモックは大人1人乗っても大丈夫な頑丈なつくりなのです。結構お腹出てたり、長身だったりした他のドイツ人の先生が乗っても大丈夫だったのには驚きました。100人乗っても大丈夫なイナバの物置みたいな感じです…笑)、位置エネルギーが最大のところで急に抱えて止めてみたり(これはあんまし評判が良くなかった・・・笑)など、色んな事をしましたね。

他の先生方のハンモックを揺らす様子を見てると、ただただ揺らしてるだけの方が多かったので、他の先生と違いが出て、子ども達にとって自分が魅力的になったのかなと思います。

②誕生日プレゼント

僕に一番懐いてくれたのがTちゃんなんですけど、そのきっかけとなったのがTちゃんに誕生日プレゼントを渡したからかなと思ってます。

実習始めた当初からちょくちょく遊ぶ仲だったんですけど、2カ月くらいたった頃に、朝登園してきていきなり僕の所に来て「明日私の誕生日なの!」って言ってきたんですよ。で、「へ~、そうなんだね。」って言って、その後に朝の会を終えて子ども達の自由遊びの時間になったらすぐに「キーくん、ハンモック揺らして!」って言われて、「分かったー」って答えて、一緒にハンモックの所まで行って、Tちゃんがハンモックによじ登りながら、「明日私の誕生日なの!」って言ったんですよ!笑

で、ハンモックに揺られながら「明日は私の誕生日~」みたいなオリジナルソングを歌い出して・・・(笑)。で、その日は、僕と遊ぶ度に「明日は私の誕生日なの!」ってしつこく言ってくるんで、なんか「俺、なんかしてあげた方がいいのかな?」って思っちゃったんですよね。で、実習が終わったら家に帰ってプレゼントを作りましたよ。

誕生日おめでとう!って書いてます。
折り紙で装飾した。

で、なんか依怙贔屓みたいになるのが嫌で、渡すのは正直めちゃくちゃ悩んだのですが、Tちゃんの誕生日の日に、尊敬する主任のレンナー先生に事情を説明して、渡してもいいか聞いたら「いいんじゃない」とあっさり言われたので、Tちゃんが帰る時に他の子がいない瞬間を見計らって渡しました。

③読み聞かせ

外国人の私ですが、子ども達から「この本読んで!」って言われたことがありましたよ!「わざわざ外人に頼むのか~」って思いましたが、これがまさに幼稚園雑草に書いてあった「私からお噺を聞きたいばかりじゃない。お噺を私から聞きたがっているのだ。」じゃね?と思って、一生懸命読み聞かせしましたよ!

バウバーゲン(コンテナの小屋)の中でももちろん読めるが、
外にも読み聞かせのスペースがある!

こういう時の読み聞かせって結構好きなんですよね。日本だと、先生が前に立って、子ども達は並んで座っていて話を聞くみたいな感じが多いと思うんですが、こっちは何と言うかアットホームみたいな感じで良いんですよ。

素敵じゃないですか!?
これは他の先生の時の写真…(笑)
バウバーゲンの中で
外でも読みました

当時は全然ドイツ語話せなかったし、今もそうなんですが、発音が全くドイツ人ぽくないんですよね。「グーテンターク」や「ダンケ」みたいに日本人ぽい感じが抜けきらないです。なので、自分が今読んでるところを指で指して、少しでも分かりやすく伝えようとしてます。子ども達から発音矯正を受けたり、読み方を教えてもらったりしましたね。笑

今は昔と比べたら多少はドイツ語が出来るようになったので、これからどんな風に読み聞かせ出来るのか個人的に楽しみです。

④最初の”試験”

振り返ると、子ども達から最初に試験を出されていたなと思う。僕がどれだけ子ども達に「自身を与える」かどうかを見抜く試験を。

実習初日はまだ子ども達との関係性は当然できてないし、しかも自分がドイツ人ではないので、結構子ども達は遠目から見ているような感じだった。だけど午後くらいに興味を持った子が「鬼ごっこしよう!」って言ってタッチしてきたんですよ。で、その子が逃げたんで、「俺が鬼なんか」と思って、追いかけたんですね。で、そしたら、その様子を遠目から見ていた子ども達が次々参加してきて、あっという間に15(くらいだった気がする…)対1の鬼ごっこの開始ですよ。

もうそれはキツイってもんじゃなくて、理不尽の連続で終わりが見えないんです。笑
タッチしても「バリアしてるから無効」って勝手なマイルール言われるし、ある子どもを追いかけてたら他の子どもが「こっちも追いかけてよ!」って言ってくるから全員が楽しむように配慮してあげないといけないし、「逃げる人の人数多すぎだろ、鬼一人じゃキツイよ、鬼の数増やそうよ」なんて提案、当時のドイツ語力じゃ出来ないから、一人で鬼をやり続けるしかないし・・・笑
何度「もうやめよう」と思ったことか。

でも、鬼ごっこをすることによって、子ども達は「コイツは、どれだけ、僕たちと向き合って遊んでくれるのか」を試してたんだろうと思いますし、実際、鬼として子どもを追いかけている自分の頭の中にはソレがあったので、「今子ども達に試されてるな。ここであっけなく終わったら、これからの1年間の実習が上手くいかなくなるだろうな。だったら、15人だろうが、20人だろうが、構うもんか!何人相手でも楽しませてやる!そして、この試験に合格して、子ども達とちゃんと関係を築いてやる!」って思いながら全力でやり切りましたね。幸い、午後のごはんタイムの時間が来て他の先生が「遊びの時間終了」って言ってくれたおかげで何とか鬼ごっこは終えられました。長距離が得意で良かったなと思いました。相当疲れましたけどね。

その鬼ごっこの後は自然に子ども達が寄って来てくれるようになり、「なんとか子ども達からの試験に合格できたな」と心の中で安堵しました。

⑤「キーくん、見て!」の連続

子ども達に何度「キーくん、見て!」と言われたことか。

自分の描いた絵、木に登った姿、発見した何か面白いもの、工作物、家から持ってきたお気に入りのモノなどなど、子ども達は何でも見てもらいたがる。

砂場で作ったお城
超力作

で、子ども達が「見て!」って言うのは、好きな人にしか言わないんですよね。そのことをなんとなしに感づいたので、「キーくん、見て!」と言われたら、どんなに忙しくても一回作業をストップして見ますし、その際は何か一つリアクションを大げさにすることを心がけてましたね。

やっぱり、無視されたら嫌な気持になると思いますし。で、このリアクションの参考にしたのが自分のお父さんの姿ですね。

2歳か3歳の頃にお父さんと二人で家の近くを散歩してた時のビデオがありまして、それを見てると、僕とお父さんが用水路に行って、僕が「見て~」って言いながら用水路の側に立ってわざと足を用水路側に入れようとすると、お父さんが「あぁ~、やめて~落ちるよ~」ってリアクションしてくれたんですね。で、その様子を見た小さい頃の自分が面白がって、また同じことを繰り返して、お父さんもまたリアクションしてくれたんですよね。

その経験があったんで、大人になった自分はしっかりと子どもの「見て!」に反応して、リアクションして楽しませようと思ったのでした。

まとめ:子ども達がその人を先生と認めた時に初めて、その人は先生になれる


「子供にとってうれしいことは、我等がいかに立派な人間であるかよりも、我等をいかに十分に彼等に与えてくれるかである。」
という冒頭の言葉がありましたが、まさにその通りだと思います。

子ども達から見れば、先生の資格、学歴、教育哲学なんてどうでもいいですよね。というか、子ども達はそんなことで先生と判断しませんもんね。

「先生」という資格は、幼稚園で働く為に必要な資格であり、その資格を持っているからといって、子ども達の先生になれるかといったら別問題かと。やっぱり先生とは子ども達が「この人は先生だ」と認めてくれた時に初めて先生になれるのではないかと。

卒業論文執筆の資料として、子ども達にアンケートを取った時に、Tちゃんが書いてくれたコメント☟

<和訳>
2:森の幼稚園の先生のことをどう思う?
どんな先生が好き?それはなぜ?

森の幼稚園の先生はみんな好き!
キーくんが好き、なぜならいつも私と楽しく遊んでくれるから。
マーティン(Tちゃんが所属する月グループの主任の先生)が好き、なぜならいつも面白いから。

子ども達からしてみれば、実習生もグループ主任も同じですよね。どちらも大人として子ども達の前に存在しており、子ども達がどう思うのかはその人次第です。そこに資格とか学歴とか、どんなにその人が立派かを示すものがあっても何も意味ないと。

子ども達にとっては、「立派だけど遊んでくれない人」よりも「立派な要素はない(=普通的な?笑)けど遊んでくれる人」の方が断然良いわけです。

まぁ、これからドイツで資格を取る予定ですが、それはドイツの幼稚園で働く為に取る資格であり、大事なのはどれだけ子ども達に自分自身を与えられるかであることを肝に銘じておきたいと思います。

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