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北野日奈子さん、ありがとう。

2022年3月24日。乃木坂46の2期生、北野日奈子さんの卒業コンサートが開催され、彼女のアイドルとしての最後のライブとなりました。
ここでは主に北野さんの代名詞である「日常」という楽曲の話を軸に自分の考えたことをつらつらと書き連ねようと思います。
※追記するかもしれません

アイドルの目標は「カタルシス」

いきなり堅そうな話ですがお付き合いください。
小説、戯曲、音楽、絵画、芸能などの芸術は何のためにあるのでしょう。
お金や自己満足も大事ですが、非常に平易な言葉を使えば「人の心を動かす」ことでしょう。アイドルも例外ではありません。
悲劇を鑑賞することで感情が溢れて精神が「浄化」されるという演劇学の用語が哲学や心理学でも使われるようになったのが「カタルシス」です。
悲しい、と思う前に自然と涙が流れてしまったり、楽しい・元気が沸いた、という感情に落ち着く以前に心がポカポカする状況を思い浮かべてください。出来の良い作品に相応の感性を以て巡り合った時のみ訪れる、いわば人間としての最高の境地といえます。
ところで最近「エモい」という表現が市民権を得ているらしいですが廉価版「カタルシス」だと私は考えています。このような言葉が生まれ、軽々しく連発されるようになったのは人間の感情がそれだけ多彩になったと同時に大量消費されかねない世の中になりつつある現れであり、勝手ながら危機感を抱いております。

「日常」という楽曲が限界を突破した瞬間

「日常」は2018年の発表以来アンダーライブを象徴する楽曲となりました。この曲は逆境に立ち向かい闘い続けなければならない北野さんやアンダーメンバーの思いを、常に新しいものを生み出さなければならない作り手(秋元康氏)が形にしました。これにパフォーマンスやステージ演出も相まって、乃木坂のライブの中でも随一の熱量を感じられる楽曲です。
ところがこれは全て芸能、乃木坂46、ライブ、「日常」という楽曲の枠組み、虚構の中で起こっていること。消費者である私たちからすれば夢の中です。そして私たちが(芸術全般に言えることですが)想像し、夢に没入して初めて成り立つ世界です。
そしてメンバーにとってもクリエイターにとってもその夢の世界こそが「日常」。夢から出ることは許されません。「縛られるな!」と誰よりも高らかに歌っているメンバーたちが皮肉なことに誰よりも「夢」に縛り付けられているのかもしれないですね。アイドルになった以上、夢の住人になった以上は使命なのですが。
「日常」が最後に披露されたステージに現れたのはまさしくアイドルの世界を卒業し、本当に「次の駅で降りよう」としている北野さんでした。過去と未来の結節点で悶える人物を描いてきた彼女は、アイドルの世界、作品の世界、夢の世界を突き破り、明確に未来に向けて走り出しました。
楽曲の新たな一面を主人公自ら解放した、と言っても過言ではありません。

"He was part of my dream, of course-then I was part of his dream, too!"

ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』の最終章の一節です。アリスは夢から覚め鏡の国から帰還した時、全部自分の夢だったのか、それともそもそも自分自身が(登場人物の一人の)夢の一部だったのか考えます。
もちろんファンタジーという枠組みの中で読者を考えさせるという点において重要な一節なのですが、寝る時の夢ではなく将来の夢という読み替えをすると「あなたは私の、私はあなたの夢の一部」という温かいメッセージが出てきます。私自身、座右の銘として大切にしている言葉です。
これは先ほどの「日常」の世界観、そしてアイドルとファンの関係性にも通じると思いました。どちらが夢の世界でどちらが現実なのか。
考察は深まるばかりです。

エピローグ

元メンバーで北野さんの先輩である中元日芽香さんがライブの2日後更新したブログで北野さんを労っています。私がここで自分の言葉で纏めてしまうのも何か違うと思うので、是非本文をご覧ください。

このようなことを文章にできる中元さん、そして書いてもらえる北野さん。二人とも素敵なお方だと想像できます。
そしてライブで充分溜まってきた感情が中元さんのあの文章を読んで着地点を見つけた気がしました。

これぞカタルシス、そう思えた瞬間でした。

ありがとう北野日奈子さん。
ありがとう乃木坂46に関わってきた全ての方々。
この先皆さんの未来が輝かしいものでありますように。


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