見出し画像

宣伝会議賞で賞を取る方法。もしくは一人の放送作家のプロセスの話

第57回宣伝会議賞で協賛企業賞を受賞した。2回目の挑戦にしては上出来だ。日頃からsnsの140文字に慣れなくてnoteで長文ばかり書いているけど、一行の言葉で賞をもらえたのは嬉しかったな。僕は世の中で一番投資するべきものは言葉だと思っている。本を読む、文章を書く、そうやって言葉に投資をすることが一番人生を豊かにさせてくれると確信している。なぜなら僕たちの感情や意志や行動を作っていくのは言葉であるからだ。

このnoteでは僕が宣伝会議賞に取り組む上で行った作戦を公開したい。別にあてずっぽうで闘っていたわけじゃないということだ。最後の方に書くので読んでいって欲しい。

コロナのせいで受賞式はなくなっちゃったからいけないけど、パーティーは開催されるらしいからその時はちゃんとした格好していきたい。僕を選んでくれた企業の人にも直接お礼がしたい。ちなみに僕が受賞した企業のお題は水道事業の会社(ウォーターエージェンシー)。僕が受賞したコピーはこれ。

全てを水の都にしたい

宣伝会議賞では「受賞したコピーを覚えていない」と受賞者がよく言うが僕ははっきりと覚えていた。1500応募したけどね。それは水に関わる言葉を探していたときに、唐突に「水の都」という言葉が降ってきたからだ。神田のルノアールだった。男上司と女部下がありえない親密感でイチャイチャしていテーブルの横で、僕は苦いコーヒーを飲んでいた。そのときの天気は雨で、少しばかり肌寒かったことすら覚えている。注文したアイスコーヒーにガムシロもミルクも入れなかった。ルノアールの赤絨毯を踏むとやる気が出てきたし、マックのパソコンをカタカタと叩きながら頭をひねらしていたあのときの光景を容易に思い浮かべることができる。

なんで僕はこの闘いに参戦したのか。

おそらく放送作家で宣伝会議賞に本気で応募してた人は僕ぐらいだろう。だから勝手にテレビマンたちを代表して闘ってた。まずは何で僕がこの宣伝会議賞に応募することになったかについて話そう。実はそこに重要なテーマがあるからだ。

多くの放送作家がそうであるように、僕もテレビ以外の場で活躍をする場を求めていた。元来、放送作家というのは阿久さんや秋元康さんなどを筆頭に他の分野でも存分に活躍できるほどの力を持っている。それはテレビというのが格闘技でいえば総合格闘家のような万能型の作家を必要としていたからとも言える。企画力があり、台本が書け、マスの興味を理解し、分析をし、面白いことをちゃんと言葉で説明できて、アイデアを形にしていく。僕は今でも最強のクリエイターは放送作家だと思っているし、そんな彼らだったからテレビは段違いに面白かったと断言できる。僕の知り合いの放送作家だってみんな異常に面白くて天才ばかりだ。これは一切誇張していない事実なのである。

総合格闘家の桜庭さんが「プロレスラーは本当は強いんです」と言ったように、僕は彼の言葉を借りて「放送作家は本当は強いんです」と言いたい。テレビが急激に元気を無くしてしまった今、誰が何と言おうと僕はそれを声高らかに叫ぶよ。

多くの放送作家がある意味かつてよりも自由に活動をしはじめた。放送作家の価値は以前にもまして拡張されることとなった。その危機感の中で僕も息をしていた。僕は元々ドラマや舞台に興味があるので、最初から公募に応募し続けていた。それから就活時代に広告代理店を志望していたために広告には興味があった。放送作家でCMの制作に携わる人はいるが、大々的に広告業界に進出していく人はいなかった。僕にそれができるかは分からなかったけど、何か実績を残してチャンスを掴みたかった。だから宣伝会議賞に応募することにした。一応、コピーライターの登竜門なのである。

しかし毎年多くの応募があり、賞を取ることは至難の技である。

どうやったら僕は勝てるかな

まずはそこから考えた。

僕が最初に考えたこと

テレビはセンセーショナルな言葉で煽るときもあれば繊細な言葉で状況を説明する時もある。という意味で放送作家は言葉に関してズブの素人というわけでもない。ある意味、コピーライター的な要素を含んだ職業とも言える。特に僕が日夜書いている企画書は「キャッチ」を必要とし読む人の心を動かす「コピーライティング」を必要としている。この能力については自信があった。

しかしだからといってコピーにはコピーのお作法があるだろうから、僕はまずそこから勉強する必要があった。宣伝会議が主催しているコピーライター養成講座に通うことも検討したが、費用がかかることや毎週律儀に参加する自信がなかったため断念した。近くの図書館でコピーライティングに関する本を何冊も借りて独学で勉強することになる。後から知ったが、それらの本は多くのコピーライターたちが初心者に読むことを勧めている本だった。図書館はかくも偉大なのである。また、ネットでは宣伝会議賞に関していくつかノウハウが公開されており、それも大いに役立った。一番役に立った情報は一つ。

つまりそれは、量をこなせ、ということだった。

宣伝会議賞で量をこなすための闘い方

最低でも1000書かなければスタートラインにすら立つことができないと書かれていて身震いがした。1000の言葉を書いていくのか、気が遠くなる話だなと思った。でも僕はこのときに思った。1000書いたとして賞を取ることができなかったらきっと大きな絶望感を感じるだろうし、そうなるのは嫌だなと。だから、2000書こうと思った。そうしたら一つぐらい引っかかるかもしれないと思ったのである。しかし結果的にあんなに気合を入れていたのに1500しか書くことができなかったので、コピーを書くというのは結構大変であることを知った。だがこの数値的目標を作ることは大いに役に立った。嫌でも書かなければいけない状況を作れたのだ。

僕に課したルールは5つ
・毎日一本でもいいからコピーを書く 
・書いたコピーの本数を妹に報告する
・全ての課題に挑戦する。苦手意識を持たない
・本を読むなどして常に良いとされるコピーに触れる
・コピーを作ろう、ではなくて切り口を考えていく

・毎日一本でもいいからコピーを書く 
とにかくコピー脳を作らないといけないから、毎日何かしら考えた方が良いと思った。それに途切れ途切れになると段々とやらなくなってしまうことを知っていたので絶不調のときや疲れているときでも必ず課題を見てコピーを書いた。

・書いたコピーの本数を妹に報告する
こういう公募は先が見えないので孤独になりがちだ。なので、僕は最初妹と一緒に宣伝会議賞をやろう!と提案したのだが、いつも通りきっぱりと断られたので、夜に今日書いたコピーの本数だけを報告することにした。そうすることで、妹に報告せねば!という義務感が生まれるので書くようになる。公募の挑戦を身近な人に宣言するのはオススメだ。

・全ての課題に挑戦する。苦手意識を持たない
これはとても大切なことだ。僕はテレビの企画を考える上でも、極力苦手なジャンルを作らずにオールジャンルで企画を練るようにしている。それは僕の人生のテーマでもある「1%でも可能性があるのであれば、その可能性を突き詰めていく」にも起因している。

特に宣伝会議賞は知らない商品や会社を扱っている場合「苦手意識」を持ちがちだ。はっきり言って今回僕が賞をいただいた「ウォーターエージェンシーさん」も以前は知らない会社だった。それに水道事業の会社なので、第一印象としては「難しい課題だな」と思った。

それでも根気よく考え続けたことが今回の受賞に結びついている。難しい課題だな、と思ったということは他の参加者も思っているに違いない。ということは勝てる可能性があるということだ。あまり苦手意識を持たずに全ての課題に応募するというのは大切な気構えであるように思う。

結局そうすることで新しい発想が増えてコピーの本数が上がっていく。別の課題で応用できる場合もあるので、苦手な課題を持つことは極めて損であり機会損失をしている。

・本を読むなどして常に良いとされるコピーに触れる
テレビの企画の良し悪しは何となくわかるようになってきたけど、コピーの良し悪しなんてよく分からない。

分からないから、とりあえず良いとされているコピーを読むしかない。宣伝会議賞に取り組んでいるときは自分が素晴らしいと思うコピーを見つける時間を作り、そのコピーが何故素晴らしのか?を言語化していた。そうすれば自分がコピーを作るときに再現できるからである。この作業は習うよりも自分の脳味噌を使ってやった方が速い。本を買うなり借りたりして「良いコピー」を頭の中に打ち込んだ方がいい。

・コピーを作ろう、ではなくて切り口を考えていく
放送作家が番組の企画を考えるときに重要視しているのは切り口である。同じ旅番組をやるにするにしても一つの切り口があるだけで全く別の番組に見えたりする。僕たちは常に様々な角度から一つのことを見ていて、一番面白いと思えたり、新しいと思える切り口を下がっている。

コピーにもその側面がある。つまりそれは新しい商品のニーズを発見したり、その商品が使われている楽しい絵を想像したり。そうやって様々なアプローチで課題と向き合えば数を産むことができる。コピーを書こうと構えてしまうと途端に言葉が出てこなくなる。そこに至るまでのアプローチはたくさんある。山を登るときにゴールは一つでも登り方はたくさんあるのと同じように。僕はどちらかといえばこの「切り口」の闘いをしていたと思う。

言葉と向き合っていく

基本的にはルノアールの喫茶店で考えていた。普段とは違う頭を使うので、頭の体操になって面白かった。素晴らしい言葉を考えよう、よりもありのままの自分の言葉を使っていこう。そうやって言葉と向き合うことは僕にとって大事な時間であったように思う。

結果的に僕は協賛企業賞を取った。一次選考の結果を見に秋葉原にいった時も宣伝会議の雑誌をずっと眺めていた。僕のインタビューが載っている4月号は父さんが3冊も買ってきたので家の中でゆっくりと眺めることができた。

言葉に自信が出てきたのは大きかった。企画書や台本や資料を作るときに「僕の言葉は正しいのかどうか」不安だったけど、その不安はちょっぴり解消された。これで広告の仕事に携われるとは思っていない。けれども、0から1にできた思う。ここから動いていて何かしら広告分野にも進出していけたらなと思う。それで繋がらなくても別に構わない。言葉に投資をした事実は変わらない。

次の宣伝会議賞に出るかどうかは分からない。3次に2本残ってファイナリストに残れなかったのは悔しいからやるかもしれない。今度こそ2000本出してみたいとも思う。結局、やってそうな気もする。

菊池くん、絵が浮かぶ企画じゃないとダメだよ

って僕の企画に対してアドバイスをしてくれた演出がいた。コピーもそうだ。

絵が浮かぶ一行を書かないといけない

それが言葉の醍醐味だよね。














この記事が参加している募集

私のイチオシ

記事を読んでくださりありがとうございました! 良かったらフォローしてください! よろしくお願いします。