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部屋のあかり

部屋の机に、二つのライトがある。ひとつは机に取り付けたLED式のものだ。とても明るいので、高校生のころ、勉強をするときに使っていた。もうひとつはプラスチックのランプシェードがついた、古い橙色の電気スタンドだ。いまはもっぱら、後者を使っている。

この電気スタンドは、もとは父親のものだったようだ。シェードには車用品メーカーである『wynn’s』のロゴステッカーが貼られている。父は今の僕くらいの年齢のときにレーシングカートに乗っていたから、きっと、その名残だ。
机に接している基部のボタンを押し込むと、『Hitachi』と刻印された、やわらかいオレンジ色の電球が灯る。机は木材を模したような素材でできているため、光を受けると、猫の背中のような色味を帯びる。眠る前の少しの時間、この灯りを付けておくと、ものごとが上手く運んでいくような気分になる。
それで、やけに唐突に「自分もこういうあかりみたいになりたいな」と思うことがある。それが、ひとつの比喩だということは何となく分かる。たとえば、そう思うことで、「誰かを照らす存在になりたい」という含意が想定される。でも僕は、少し異なった形で、「こういうあかりが灯っている場所を、ひとに提供したい」という気持ちが強い。

そういえば、早稲田大学の早稲田キャンパスと中央図書館を隔てる「グランド坂」の途中、あるビルの二階に、ひとつの古本屋さんがある。ビルの階段の脇に、その本屋さんの看板とランプがある。11月とか12月の冷たい雨の日に、そのランプが、濡れた地面をオーガンジー生地のような色に照らしていた。それを見た時も、同じようなことを考えた。「自分もこういうあかりみたいになりたいな」と。

僕は最近、速度について考えることが増えた。例えば、高速で移動する物体にとって、ひとつの明かりなど、用をなさない。むしろ、アウトバーンの電灯のように、等間隔に、無数に並んでいることが重要だ。
僕はこれまで、何かが速ければ速いほど、それが優れていると思っていた。だから、自分の速度が落ちると、ものの数秒で不安に支配された。けれども、このごろ感じるのは、みずからの速度をいろいろと変化させられるような人間にならなくてはいけないということだ。慣れた速度を落としても、そこで恐怖に呑まれないような訓練がしたい。なるべく早くいつもの速度に戻ろうとするのではなく、新しい速度に身体を慣らしていく訓練を。みずからの領分をやわらかく照らす、ひとつのあかりのように。

このさき、うまく生きていけるのだろうか。「あかりを提供したい」と思うのは、実は、あかりを提供しているうちは、自分もあかりの恩恵を受けることができるからなのかもしれない。
それでも、下手でも、とにかく、どうにか生きていかないといけない。


【部屋のあかり】
・2024. 3. 8から3.11までの記録
目次

 5. 部屋のあかり
 6. おわりに 港町の門

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