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教えてチャイさん!ディストピアに見えるこの世の中をどうやったらユートピアにできますか?

日々さまざまなニュースが流れ込んで来る中、みなさんは今の日本の状態をどんなふうに感じているでしょうか?

国連の持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)によって毎年発表される「世界幸福度ランキング」で、我が国日本は何位だかご存知ですか?最新の2023年のレポートにおいて、日本はなんと47位です。
戦争も徴兵もない日本で、なぜこんなにも幸福度は低いのでしょう?6年連続第1位のフィンランドはユートピアで、日本はディストピアなのでしょうか…??

今回は、ふたたびチャイさんをお招きしてお話をお聞きしました。
前回ご登場いただいたのは約1年前。「贈与と交換」「朱夏」「親友」などさまざまなキーワードがとても印象的な、濃い対談でした。

https://note.com/kikoukai/n/n77ff6a51e6cd

そして今回は「ディストピアに見えるこの世の中をどうやったらユートピアにできますか?」というテーマでチャイさんの哲学をさらに引き出したいと思います。
聞き手は、本メディア運営母体である社会福祉法人 基弘会のミスターSKです。


チャイネクスト(荒井顕一)

LCA国際小学校副校長
公認心理師
Well being dialogue card ファシリテーター
ダイアリー結婚相談所副代表

大学在学中に19歳でトルコに留学し、トルコの大学受験資格を有するトルコ語のディプロマを取得して帰国。 大学卒業後、塾講師となるが父の死をきっかけに教員免許を取得することを決意し、公立小学校教諭へ転身。8年間の勤務を経てフリーランスに。全国で様々なセミナーや地方創生、オンライン家庭教師や海外での家庭教師などさまざまに活躍。現在は私学の学校教育の現場に関わっている。 2012年より友人たちとPodcastの配信を開始。なかでも、「行け!世界遺産と雑学の旅★」は、世界遺産や雑学などのテーマでPodcast総合ランキング2位(社会/文化カテゴリー1位)を獲得したことがある。「どんな人にも無限の可能性がある、人はいつからでも変われる」をモットーに人を励ますことをライフワークとして人と人を結ぶ活動をしており、最近ではダイアリー結婚相談所を創業。 哲学、宗教、芸術など幅広い分野に興味をもち、“理解の境界線”をキーワードにいかに自分の理解を超えた世界と触れ合うかをテーマに様々な取り組みをしている。 https://www.chainext.com/


日本が47位なわけがない

チャイさん:
実は、今回のテーマの「この世の中をディストピアからユートピアに変えられますか」にすごく違和感を感じて、日本のどこがディストピアなのかなって思ってたんです。

ミスターSK:
幸福度47位というのが、多くの方の目にはディストピアに見えてるんですよ。

チャイさん:
それはやっぱりより高いものを求めたり必要のないものをいつの間にか追及させられてるからかなぁ。

この「競争」は資本主義と相性がいいので、やっぱり私有財産と自由競争が柱になるわけじゃないですか。それらはすごく「自分らしくいること」と相性が悪い。私有財産って自分と他人を分けることですよね。僕は社会主義がいいとは言わないけど、境界線ってもっと曖昧な方が素敵だと思うんですよ。

自分と他が別々であるというのは実は近代以降の考え方なんです。それは今の文明の常識みたいに思ってるけど、本当はすごく不自然な考え方なんじゃないか?
僕は宗教が大好きなんですけど、例えば、仏教の教えは「我」というものの否定から始まってるんです。宗教では自然と人はずっと共に生きてきて、そこには切っても切れない関係があって、どっちが上か下かの主従関係もなく調和しながら生きてきたと。
人と人もそうで、つながりあってずーっと生きてきた。
つまり、結局自分と他人がつながってるということが、「縁起」と言うんですよね。縁って(よって)起こる縁起。

ミスターSK:
「縁起が良い」の縁起ですね。

チャイさん:
そう!自分は一人では生きてない。いま目の前のコップの水も、それを入れてくれた人がいるし、その水を汲んできてくれた人がいるし、このコップも誰かが作って、ということが全部あるわけじゃないですか。自分だって親が育ててくれて、その前におじいちゃんおばあちゃんがいて。

自分の感情だって、うれしいって一人では思えないんですよね。何か出来事があったり誰かといっしょにいたり相手が笑ってくれたりするから、その反応から影響を受けて嬉しいと思う。自分が何か達成するものがあって、それも誰かが用意してくれたステージがあって、それを達成するから嬉しい。この感情ですら他の誰かや物や環境との相関の中で起こってくる。
だから全てのものは相関関係の中にあって、「個」として存在しながらも決して孤立してい
ない。「個」である自分は、全ての縁起によって生かされているわけで、自分の力だけで生きてるわけじゃないですよね。それを知ることで「我執(我に固執すること)」から抜ける、「我」をなくしていこうというのが仏教の思想なんです。

だから、そもそも分けられないものを分けるという不自然なことが、みんなが苦しくなっちゃう理由だと思うんですよね。

授業とセミナーで喋りすぎ、当日は声が出なくなっていたチャイさん。急遽マイクを使用することになりましたが、それでもトークの熱さは変わりません!

ミスターSK:
今の言葉で救われますね。というのも、僕は社長の仕事は稼ぐことと使うことだと思っているんですが、やはり使うのではなくて貯めることが正義だという風潮もあって。

チャイさん:
僕はそれは「循環」だと思うんです。すごく良いことだと。

ミスターSK:
「儲かってるんでしょ」って、どっちかっていうとネガティブなニュアンスですよね。それでは自信がなくなっていくと思うんですよ。
でも、ちゃんと稼いでちゃんと使っていけばお金が循環して建設会社が儲かって、職人さんも収入があって、材料屋さんも収入があって、それでスーパーで買い物して…というのが循環なので。ストックすることだけが正義じゃないなと感じてたんですよね。

チャイさん:
ですよね。どう考えたって合理的にそうですよ。でもそう思われない不思議がどこから来るのかなと今思っていて…。やっぱり「個」が分断してるという前提だから、ミスターSKさんのお金がミスターSKさんだけのものに見えちゃうのかな。

ミスターSK:
それが幸福度47位の正体なのかもしれないですね。

チャイさん:
そうですね。だってもっとみんな幸せを感じていいはずですよ。僕だって別にお金がある方じゃないけど、家族がいて子どもがいて仕事があって好きな友達がいて、こうしてたまに大阪に来させてもらうだけで十分幸せですよ。
お金は足りなければまた稼げばいいし、すぐに死ぬことはないし。

幸せのハードルは下げられれば下げられるだけいいですよ。

そういうことって、すごく周りの人から学ぶことが多いですけど、教えてもらうというか感化されるものかもしれないです。
自分の幸せのハードルが下がって、自分が素敵なことに感動できるようになったり、話したりしていくと周りもそういうふうに影響されるようになる。
これもさっきの仏教の思想につながるんですけど、自分と目の前の人とは繋がってるので、自分がそうであれば当然影響しあいますよね。

ミスターSK:
なるほど。

ウェルビーイングってなんですか?

チャイさん:
今ウェルビーイング(well-being)ってすごく話題のワードだと思うんですけど、その定義ってなんとなく曖昧で難しいので、反対語は何かを考えてみます。その1つが「ウェルドゥーイング(well-doing)」。「よくやる」という”結果”というか。よくやった、「ウェルダン」って英語で言いますよね。効率よく大きな業績を成し遂げたということ。

あとは昭和的な「ウェルハヴィング(well-having)」。物が豊かで、社会的地位やお金などいろんなものを得ていくということが幸せに直結していた時代に、すごくわかりやすい幸せの形が「ウェルハヴィング」だった。

これらの反対語にウェルビーイングが意志としてあるんじゃないかなと思っていて。

僕が今教育の現場ですごく思うのは、「一流大学を出て一流企業に入って結婚して子どもがいて」みたいなこれまでの幸せのモデルって、必ずしも万人にとって幸せではないんじゃないかということ。

僕は自分の教育の目的の一つとして「自分にとって何が幸福なのか?」を自分で定義できる子を育てたいと思ってるんです。幸せの形があまりにも多様になっている中で、自分にとって幸せな人生とはなにかということを自分自身が知っているということが、何にもまして重要なことだと思うんですよ。
そこが多分ウェルビーイングと重なるところで、ウェルビーイングというのは「良く在る」ということなので自分らしく在る、自分のことがわかっていて自分らしい自分の幸せを知っていて、自分の生き方がわかっている、というようなことなのかなと思ってます。

ミスターSK:
まあでもほとんどの方がわからないですよね…。

チャイさん:
でも、わからないわけないんですよ、本当は。
「ラク」とも「惰性」とも違う「心地よさ」みたいなものって、子どもでもわかってるでしょ?やってみたいこととか、自分はこうしたいということがあるというか。だから、大人は社会人になる中で、いろんな折り合いや他者との調整の中でわからなくなっちゃってるんですよね「自分らしさ」というものが。

ミスターSK:
結局、すごく恵まれてて外敵もなくて建物もあふれてるこの国が幸福度ランキングで47位なわけがないと私も思うんですけど。
ということは、幸福”感”がないんですよねきっと。ウェルビーイングの幸せの意味とか在り方が理解できないという状況は。

チャイさん:
そうそうそう!
だから結局、何かと比べるという形の幸福観なら永遠に満たされないじゃないですか。でも、学校でも社会でもずーっと競争じゃないですか。教育の現場でも成績や偏差値などが今でも悪い影響力をもっていると感じます。
僕らはどうしても子どもたちの進路を切り開かなきゃいけないという現実問題を抱えてるので、例えば受験なんかはウェルドゥーイングで切り抜けなきゃいけないというジレンマがあるんですけど。

ミスターSK:
やっぱり私たちも300人のスタッフを抱えてこの事業をやっているんですけど、どういう社員教育が望ましいのかと。もっとスタッフが幸せを感じながら勤められる会社ってどんな会社なんだろうとか思うんですが。

チャイさん:
僕がウェルビーイングを学んだ慶応義塾大学の前野隆司先生という方がいるんですけど、日本の幸福学の第一人者と言われていて「幸福経営」を提唱しているんです。
その理論は、社員が幸福な会社は生産性が31%アップして創造性は3倍になるという学術的な裏付けがあるから、会社は社員の幸福を追求した方が儲かるんだということ。
だから意識が高い企業はウェルビーイング経営≒幸福経営みたいなことをやりはじめています。

前野先生の理論でいうと軸になるのは4つのウェルビーイングの因子。つまりウェルビーイングでいる人がもっている要素です。

1つ目は「やってみよう」。いろんなものをやってみようとしている人、成し遂げた人、もっと言うと目標を持っているだけでも人は幸せ。
2つ目は「ありがとう」。何かにつけてありがとうと言っている人、何かの繋がりを感じている人は幸せ。
3つ目は「ありのまま」。自分らしくいる人、自分のペースで生きている人、人と比べずありのままの自分でいる人は幸せ。
最後は「なんとかなる」。何か大変なことがあっても楽観的でいられる、何とかなると信じている人は幸せ。

私たちがウェルビーイングについて考える時、この4要素がヒントになると思います。

高齢者が幸せな社会とは?

ミスターSK:
ウェルビーイングと重ねて、私たち介護事業をやっている者としては、個人個人の価値観はちょっと置いておいて、やっぱり高齢者が幸せな社会というのが本当に幸せな社会なのかなと思ってまして。だからここに来るお年寄りがハッピーな日常生活を送れるようにというのは私たちの職業のテーマだと思ってるんです。
そう考えるとお年寄りが幸せな社会ってどんな社会なのか?まあ十把一絡げで言うのは良くないのかもしれないですけど、幸せな日々ってどんなことをすればいいのかな。
もっと言うとお年寄りが幸せな社会福祉構造のためにはどんなことをすればいいのかとか、どういう役割を我々が果たせばそういう社会に近づけるのかなと日々考えてるんですよ。
チャイさんはどう思いますか?

チャイさん:
僕は今日施設を見させてもらって十分すぎるほどいろんな実践をされてるんだなと感じました。
社会との接点をオープンにしているところが一番素敵だなと思ったんですよ。カフェがあるのもそうだし、いろんな人が来れる場所がいくつもあるというのも素敵なことですし。
介護施設って、僕らの専門分野でいうと障がい児教育なんかにちょっと近いんですよ。特別支援学級に追いやられちゃうとか…。

ミスターSK:
ああ、そうかもしれないですね。

チャイさん:
はい。結局、多様性を失う社会というのは施設を作ってそこに排除していくんです。
でも、社会として多様な人種を備えてる方が変化には強いんですよ。今、知能が高い人が、例えばAIが出てきた段階で、ずーっと社会を作る中心人物であり続ける保証はないわけで。いろんな人がいる方が種としても社会としても強いわけですよ。
だから、今みたいに時代が思いっきり過渡期に入る時に多様な人間を集団が持っていないと一瞬で滅びちゃう可能性がある。

そこで、僕らはいろんなことを持っている人たちを「才能」として見るし、そういう人達から学べることがあるんですよね。
子どもから学べることってめちゃくちゃたくさんあるんですよ。もっと自分らしくいていいんだとか、授業中に子どもが歩き始めちゃったら、それは子どもが悪いんじゃなくて授業がつまらないんだとか、そんなことを学び合えるんです。

そして、さっきのウェルビーイングの4要素を子どもは全部持ってる。

じゃあ高齢者の方はというと、もしかしたら高齢者からもその要素をたくさん学べる気がするんです。例えば、お年寄りが「ありのまま」でいたり、いろんな力が衰えても「やってみよう」とエクササイズをやっていたり。また、人間って80歳を越えると、幸福度がどんどん上がっていく「老年的超越」という状態になるという研究もあるんですよ。「ありがとうありがとう」ってニコニコしてるおばあちゃんとかそういう心境なのかなとか思うんです。
そして「なんとかなる」については、うちのおばあちゃんの話なんですけど、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、どんどん動けなくなってしまう病気だったんです。そのおばあちゃんが最後に筆談で言ってた言葉と姿が印象的で今でも心に焼きついています。僕は当時仕事が上手くいかなくて病んじゃって。おばあちゃんに会いに行った時にその状態のおばあちゃんが「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」って言ってくれるわけです。そういうのって今でも心に残ってる。

だから、ウェルビーイングの4要素って子どもとお年寄りがすごく強く持ってるのかもしれない。そういったところから学ぶという姿勢を僕らさえ持っていれば、お年寄りといっしょにいる時間がすごく大事な価値ある時間になるかもしれないですよね。

もちろん言うほど簡単じゃないことはあると思うんです。
子育てもそうですよね。赤ちゃんを育てるのって超大変じゃないですか。でも今みたいなことを知っておけば、子育てや介護に対するイメージが変わるんじゃないかな。
だから学びのありかたとしての可能性はあるんじゃないかなと思うんですよね。

ご高齢の方が持ってるあのペースというのは真似できるものじゃないです。あの味わうようにゆったりやるおじいちゃんおばあちゃんの雰囲気って、僕はある種の「価値」として見直すことができるかもなって、さっき施設のみなさんの笑顔を見させてもらって感じました。

これからの資本主義

ミスターSK:
この先、資本主義ってどうなっていくと思われます?
やっぱり、今はまだお金に支配されてると思うんですよ。でもコロナ禍以降、相当な形で資本主義も民主主義もバランスが崩れていってるとも思うんですが。

チャイさん:
すごく分かります。だから僕も「贈与」というのがすごくキーワードになるんじゃないかと思ってましたし、今の時代に売れるはずのないマルクス主義についての本が信じられないくらい売れていますよね。

マルクス主義や脱成長みたいなことを大々的に掲げて、そこにスポットライトを当てようとする動きは、明らかに資本主義の限界をみんながはっきり感じているフェーズに入ってきているということだと思うんです。
でもどうすればいいのか、先は分からないという状態だと思うんですね。

だから僕もどうなるかは分からないけど、「資本主義のように見えるんだけど贈与的な生き方」はもうできるフェーズなんじゃないかな。
どんな時も時代って上からエイヤじゃなくてジワリジワリといろんな所で変化が起こってくるじゃないですか。だから、できる人がはじめてるかもしれないし僕らもはじめられることがあるかもしれないから、僕らの心地の良い経済の在り方やお金との付き合い方、言うなれば「幸福の定義」をしていっていいと思うんですよね。

ミスターSK:
なるほど。経済の形が変わっていくことはあるでしょうね。

チャイさん:
SDGsのなかの「貧困をなくそう」について授業することがあるんですけど、アフリカのガーナやセネガルの村で現地の青年海外協力隊の人が撮ったいろんな動画をもらって子どもたちに見せるんです。
村には本当に何もないんですよ。学校だって全学年1クラスで、毎年同じ授業なんですよ。でも子どもたちはめちゃくちゃ楽しそう。キラキラの笑顔で走り回って好きなように遊んで、お手伝いもしないといけないから順番に荷物運びとかやってる。

最初はGDPの話からはじまって、絶対的貧困の話なんかをしていって、いかにも「この国ヤバイ!」みたいな感じになるんだけど、子どもたちのキラキラの笑顔を最後に見せて「みんなどう思った?」と聞くと「アフリカ行ってみたい」とか「楽しそう」とか言うんですよ。

僕が一番言いたかったのはそこで、お金の有り無しと幸福度は関係ないということ

ただ、お金がないと選択肢が少なくなる。ガーナの子どもたちが「弁護士になりたい、大学に行きたい」と言って行けるかというと、ほぼ絶対に行けない。
じゃあ日本にいる君は?君は考えれば行けるよねと。

この不公平・不公正というのが問題なんです。
「ガーナに生まれた子と、日本にいる君と、世界を変えられる可能性があるのはどっちかというと君だよね、だから僕らの方が圧倒的に可能性がある。それが日本で教育を受けるということなんだよ」と。
だからかわいそうだから支援するとか、お金がなきゃいけないとかそういう話じゃない。幸福度とまったく関係ない。ただいろんな「選択肢がある世界」と「選択肢がない世界」があるという事実を知り、それに対して自分はどうするのかという判断があるだけ。

それすらも狭い話になるかもしれないけど、僕らが教えるのはそういう社会の不公正とか構造的な暴力、そういうことに問題意識を向けてほしいという思いで、そういう話をするんです。

とはいえ、お金が不要かといえばそうじゃない。お金か幸福かの二者択一の思想ではなく、両方の視点があるということなんじゃないでしょうか。

ミスターSK:
そうですね。

チャイさん:
もう1つ紹介したい話があって、パプアニューギニアのトーライ族が使う貝のお金のことなんです。「タブ」というんですが、それが何年か前に正式に法定通貨として認められたんですね。

そのタブって、現地の人たちは普通に何にでも使えるんです。税金とかも払える。でもタブは冠婚葬祭の時にすっごく使われるんです。逆に言うと冠婚葬祭の時はタブじゃなきゃ示しがつかない。お金はお金だしちゃんとレートもあるんだけど、そのお金には別の特別な価値があるんです。だから結婚式なんかの時にタブをガサッと持って行って、みんなに見えるように数え上げていくんですって。そうすると「わーすごい!」ってなるし、そうじゃなきゃダメなんだそう。
お葬式の時はタブをみんなに配る。親戚じゃなくても来た人全員に配るんだそうです。
だから、普段も使えるんだけどそういう時に特に機能する、特別な意味をもったお金なんです。

この感覚って、我々が今持っているお金の感覚とちょっと違う感じがしますよね。僕らは500円玉だったらどの500円玉でもいっしょだけど、結婚式の時にしか使わないような、ピン札がちょっと近いのかな?でも多分もっと色がついてるんですよね。お金に交換以上の意味があるというか。

ミスターSK:
私も、いまの子どもたちって「お駄賃」ってもらうのかな?と思っていまして。デジタルやキャッシュレスに慣れてる子たちが、たとえば肩たたきしてお母さんから「ありがとう、はい100円」って100円玉もらうのと、ただ数字がピピッと動くのとはだいぶ違いますよね。

チャイさん:
全然違いますよね。
人間には五感がありますから、やはり「物質」って人間と相性がいいというか、それはやはり必要なんじゃないかと思います。物質には感情が動く。

ミスターSK:
やっぱりお母ちゃんの財布からもらう100円はだいぶ貴重ですよ。人感(ひとかん)というかね。資本だけじゃなく、そういうのはやはり大事なことですね。

(対談ここまで)

最後はチャイさんにいただいたおそろいのTシャツに着替えてパチリ

いかがでしたか?前回にも増して、大ボリュームな中身になってしまいましたが、みなさんはチャイさんのさまざまな言葉からどんなことをお感じになったでしょうか?
ご自身のあり方、生き方を考えるきっかけにしていただけましたらば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

インタビュー・編集 ikekayo


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