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【障がいを選んで生まれてきたワタシ】 #31

”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。

私には
”知ってもらいたい家族がいる”

私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。

その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
(過去の投稿はこちらで読めます)

今回のテーマ:
「ママを選んだ」

1.「羊水がない」

お腹に中にいる6ヶ月くらいから
「小さいね」って言われていた。
進む月齢が その小ささを顕著にする。

診断はIUGR(子宮内胎児発育不全)

「生まれてくる赤ちゃんに
何か病気があるかもしれない」

そう告げられた。

8ヶ月頃から管理入院が始まる。
病室で1人、苦悶の日々が続く。

『私が何かいけないことを
したのかもしれない、
ごめんね、ごめんね…』

悲観な気持ちは
不安な現実を急速に引き寄せる。

9ヶ月の定期エコー
主治医の表情が陰る。
「お腹にモニターつけて!!」
何か異常があることを
ママはすぐに察した。

「羊水がない…」

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2.死んじゃうの?どうしたの?赤ちゃんは?


心が追いつかないまま
予定日より1ヶ月前に
緊急帝王切開。

ママの意識が明白なまま
お腹にメスが入る。

不安は手術中もずっと続く。

どれ位時間が経過しただろうか。
待ちに待ち望んだ
産声がママの耳にハッキリ聞こえた。

1758g  43センチ
恐れや胸騒ぎは
一瞬に過ぎ去り
嬉しさが込み上がる。
『やっと会える!』
歓喜のあまり手術台の上で号泣した。

が、しかし、
その後は顔を見せられることなく
すぐに挿管(人工的に気道を確保するために
口からチューブを挿入)され
人工呼吸器に繋がれる。

『死んじゃうの?』『どうしたの?』
『赤ちゃんは?』『顔見せて!抱っこさせて!』
色んな思いが胸中を駆け巡る。

ママは看護師だ。
今、目の前で起きていることを
理解するのに時間はかからなかった。
そのままママは
深い眠りに入るよう、薬を投与された。

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3.目が覚めた後の現実

先に夫が呼ばれ、
医師からの説明を聞かされる。
「病気がある」と。
変えることの出来ない現実だ。

泣いた、一晩中泣いた。
『私のせいだ』と自分を責め続けて。

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4.私の目の前で呼吸が止まる

翌日のNICUへ
泣きはらした目で
会いに行った。

呼吸をするのがやっとの
小さな赤ちゃんに
”さな”ちゃんと呼んで聞かせた。

その後すぐ
手術に対応できるよう
別の病院に搬送になった。

搬送先の病院では
泣くと呼吸が止まることが
ママの目の前で多く起こる。

『神様、どうか私から
さなを奪わないで、
連れて行かないで。』
娘を抱きながら泣いた。

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5.声を奪うだけじゃなく、一生食べる事も難しいかもしれない

Drから「気管切開」を提案される。
呼吸を助けるための最終手段だ。
ママは首を縦に振れなかった。

「声が出せなくなる、
口から食べるのが
難しくなるかもしれない」

「どれだけ、この子に
痛い思い、辛い思いを
繰り返し与えるのだろう」

呼吸ができずにいるサナちゃんの側で
手術に踏み切れないママがいた。

Dr は苦悩するママを呼んで
病棟のある場所に連れて行った。

そこには気管切開をして
元気に走り回る男の子の姿があった。

夫が後押しするように言った。
「今、呼吸困難で苦しんでいるさなにとって、
一番必要なのは気管切開の手術じゃないのか。」

ついに、ママの決心がつく。
すぐに手術の準備が始まった。

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6.楽になるはずだった

術後の翌日、
呼吸が出来ない苦しさから
やっと解放されたサナちゃんに
会いに行った。
『がんばったね、さな』
と伝える為に。

が、そこには
呼吸が楽になっているはずの
サナちゃんではなく、
肺炎が原因で
高熱にうなされている
サナちゃんがいた。

『何のために、声を失ってまで
手術をしたのか?どれだけこの先、
この子に辛い思いをさせるのか…』

気管切開術後は、
チューブが抜けるのを防止する為、
抱っこは出来ない。

ベッドサイドで何も出来ず、
ただただ、
泣いていたママ。

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7.「ママ泣かないで、さなは大丈夫だから」

その時だった。

『高熱で意識もなかったさなが
私を見て、ニコっと笑ったのです』

” ママ、泣かないで、
さなは大丈夫だから。"

そう、
言われているように感じた。

ママは本当の意味で、
この時、この子を受け入れた 。

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8.今

「一生食べるのは難しい」
と言われていたはずの気管切開の手術。

閉鎖ができるかどうかの判断は
まだ先のはずだったのにも関わらず、
奇跡的に4歳でチューブを外す。

サナちゃんの奇跡が
気管切開の抜去に悩む
お母さん達の背中を後押しし、
勇気づけた。

今は1日2食、
ママの手作りのご飯を
笑顔で口に含む。
つい先日、初めて、
念願だったお弁当を
持たせる事もできた。

『さなちゃん、
これやってもい〜い?』と聞くと
「うんっ!!」と
大きく笑顔で首を振りながら
声を出すこともできる様になった。

病名はまだついていない。
遺伝子レベルでも未解決のままだ。

サナちゃんが障がいを選んで
ママの所に生まれたのは
意味がある。

泣き虫だったママが
どんな事も乗り越え、
笑顔に変える、
心の強いママにする為に…

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9.ママからさなへ


「とーちゃんとママを選んで
生まれてきて幸せだよ」
と、言ってくれているように
私たち両親を大きな愛で
包んでくれる さな。

『私がこの子を幸せにしてあげる!』
ではなく、私が幸せであることが
この子の幸せなんだなと毎日思っています。


さなへ

ママのこと、
いつも愛いっぱいの笑顔で
包んでくれてありがとう。

ママはさなが
ただいてくれるだけで
それだけで幸せです。

生まれてきてくれて
ありがとう。


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撮影 福添 麻美

作業療法士(OT)は 実は子ども達のサポートも しているリハビリ職。 これらの記事が読んで頂いた方の 子育て・療育のヒントになればと思っています。 子ども達は今この瞬間が 生きてきた人生で一番成長している時。 記事を通してみなさんと 関わる事が出来たら嬉しいです✨