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【仮死状態からの蘇生】 #28

”子どもと遊ぶ”が仕事の
小児の作業療法士ミキティです。

私には
”知ってもらいたい家族がいる”

私が関わる障がいを持つ
お子さんとその家族。
その家族のストーリーから
いつも沢山の学びがあります。

その一部を皆さんに
知ってもらいたくて綴っています。
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今回のテーマ:
「生きる」

1.激痛と冷や汗


予定日は3ヶ月後のはずだった。
全く想定していなかったこと、
それは突然やってきた。

勤務中の腹痛。

妊娠中は便秘になりがちだ。
排便かと思いトイレへ駆け込む。

だが、そうじゃなかった。
腹痛が激痛になり、嫌な感じの冷や汗。
意識が朦朧とする。

なんとか意識を取り戻し、事務所まで戻る。
腹痛と冷や汗は全く止まる気配は無い。

会社から主人に連絡を頼み、
迎えに来てもらった。

そして主人と一緒に夕方5時半頃に
地元の病院へ到着した。


2.子宮破裂

すぐに診察。
エコーでは赤ちゃんの異常は見つからなかった。

腹痛が続くため、大事をとって
1日入院することになった。

夜になっても激痛には波がある。
痛みに耐えかねてナースコールを押すが、
夜勤の医師は分娩に入っていて来れない。

3回目のナースコールでようやく医師が来てくれた。
その時、赤ちゃんのいるお腹は
26週とは思えない大きさに腫れ上がっていた。

その時には子宮が破裂していたのだ。
エコーを聞いても心音は聞こえない。

他の病院に搬送検討が始まるが、
母体が危険、そう判断し緊急帝王切開へ。

医師から帝王切開する前にこう言われた。

「赤ちゃんはダメかもしれません…」

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3.不安を乗り越える

術後、
帝王切開で取り出された小さな女の子は
すぐに別の受け入れ先に
救急搬送され、手術・治療が始まる。

ご主人は赤ちゃんに付き添い、
ここにいない。

”赤ちゃんはどうなったんだろう…”
ママは状況がわからず、
落ち着いて眠れない。

お腹を触る。

さっきまでいた
赤ちゃんがお腹にいない。

”手をのばして
抱きしめてあげたい”のに
今、目の前にはその子はいない。

小さい我が子を
思えば思うほど
涙が頬をつたい、
心は苦しくなる。

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4.スマホの中の小さな我が子


6時間後、
主人が戻ってきた。

スマホで撮影した初めて見る
我が子の写真と共に。

そこには
仮死状態から蘇生し、
保育器の中で
”必死に生きよう”と小さな体で
頑張っている
小さな女の子がいた。

涙が溢れて止まらない。

この時の涙は
不安や悲しみの涙ではなく
「ありがとう」
の感謝の涙に変わっていた。

「何があっても一緒に頑張れる」
そう感じた。


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5.無事に育つのだろうか?

心臓弁を閉鎖。
水頭症でリザーバーを右に設置。
そのうち、左脳にも髄液の
滞留がわかり、追加で設置。
当時は脳の中に血豆もあった。

それでも、
小さな小さな体は
次々と迫る
不安を歓喜に
塗り替えたのだ。

小さな女の子
”サナエちゃん”

彼女は「生きる」という
そんな奇跡を起こすのだ。

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6.OTの私にできることは何だ?


私はよくリハで
タッチケアをする。

サナエちゃんの頭の
シャントに触れるたび
思い出すことがある。

それはこんなことだ。

私は作業療法士になる前となった後、
インドのマザーテレサの施設に
ボランティアとして2度、行っている。

そこには捨てられた子や
障がい児が集められた部屋がある。

その子ども達を
時間の許す限り、遊び、
タッチケアをした。
浅黒い肌に白い歯と
くりっとした愛らしい目が
嬉しそうに反応する。


その中にはサナエちゃんと
同じように水頭症の子ども達が
たくさんいた。

シャント手術ができない
子ども達は他の子どもよりも
頭がかなり大きい。
脳を守るための髄液の
排出がうまくいかず
どんどん溜まっていくからだ。

行き場のない髄液は
こどもの頭を
パンパンに大きくし、
その上にタンコブように
重なりまたさらに大きくなる。

1人の子どもは、その髄液が
眼球までも押し出すくらい
ドンドン溜まっていた。
(後日、その子は
すぐ天国へ行ったと聞かされた)


「がんばれ!がんばれ!!」
「君たちは愛されてるよ」
と、触れながら必死に
話しかけ触れている私がいた。

大きな目が
伝わるはずのない日本語を
じっと聞いてくれる感じがした。

作業療法士になると
決意したのは最初の訪問の38歳。
ここがきっかけだった。

あれから10年以上経つ。

人生の中で何かを始めるのに
遅いも早いも無いのだ。

だから私は
子ども達とたくさん遊ぶ。

それが子ども達に
生きていると実感してもらい、
発達の土台を作ると
信じているからだ。

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7.おじいちゃんとおばあちゃん


サナエちゃんの
パパとママは共働きだ。

保育園に通い始めてから
熱を出したり、
体調が悪い時は
すぐに助けてくれる
おじいちゃんとおばあちゃんは
とてもありがたい存在である。

リハの時もそうだ。
2人とも全力で協力してくれる。

「これ、興味あると思って
取っておきました、先生、
つかってください」

と、サナエちゃんが好きな
お菓子の袋をきれいに畳んで
保存して、手渡してくれる
優しいおばあちゃん。

歩行練習の為に
手すりをつけてくれる
大工仕事が得意なおじいちゃん。

階段を登る遊びがはじまると
そこに付き合ってくれる為
すぐに二階の踊り場へ行き
風車をもって、
「サナエ、こっちだよ〜」
と、待っていてくれる。


2人がいないと
こんなにびっくりするほど
サナエちゃんは
発達しなかったのではないだろうか。

2人は
ただの頼もしい助っ人ではない
サナエちゃんの
”もっと挑戦したい”を
上手に引き出すことを
教えてくれる
私の先生でもあるのだ。

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8.ママからサナエへ

小さく生まれたけど、負けず嫌いで
日々元気に成長している姿に
驚き、またとても嬉しいです。

これから先、
大変な事もあるかもしれないけど…。

でも、さなえなら
やる気は120%なので
何でも乗り越えていけると
信じています。

抱っこして、お互いに
ぎゅーっとしている時が
ママ幸せだよ。

生まれてきてくれて
本当にありがとう。

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撮影 福添 麻美


作業療法士(OT)は 実は子ども達のサポートも しているリハビリ職。 これらの記事が読んで頂いた方の 子育て・療育のヒントになればと思っています。 子ども達は今この瞬間が 生きてきた人生で一番成長している時。 記事を通してみなさんと 関わる事が出来たら嬉しいです✨