ブラジルの国民食、フェジョアーダで思い出す人、場所
「ブラジルを代表する料理は何?」と訊かれれば、私は迷わず「シュラスコ(焼き肉)とフェジョアーダ(黒豆の煮込み)」と答えることだろう。シュラスコはともかく、フェジョアーダと聞いて、すぐにブラジルのこの豆料理のことを思い浮かべることが出来る方が、果たしてどのくらいいらっしゃるだろう。
ブラジルでシンプルな豆の煮込みをフェジョンという。これは黒豆の場合もあるし、フェジョンカリオッカという、薄い色の豆が使われたりもする。ブラジル人のとってのフェジョンは、日本食のまさに納豆のような存在ではないだろうか。ブラジルの日系人が言うところの「油ご飯」(ブラジル米を、ニンニク、塩、油で味付けして鍋で炊き上げる)にかけて、昼に夜に欠かさず食べる。
ところがフェジョアーダというとちょっと趣が変わってくる。フェジョアーダは(私の理解によれば)、アフリカ人の奴隷たちが、主人たちが食べはしない、豚や牛の耳や尻尾その他の部位を利用して、黒豆と煮たスタミナ料理が始まりだ。あっさりとしたフェジョンとは違い、塩分や脂分がキツく、いくら胃袋が強靭なブラジル人でも流石に毎日は食べられない。しかし、過酷な労働を強いられた当時の奴隷の方達にとっては、間違いなく生命を守るスタミナ食だったことは容易に想像がつく。
こちらの習慣としては、フェジョアーダは水曜日と土曜日の昼食に食べられる。家庭で作る場合は豚の耳やら何やらは入れずに、もっとシンプルにする。豚や牛の肉は使うが、鶏肉が入ることはない。レストランの定食もこの日ばかりはフェジョアーダになるところが多い。ビュッフェにもフェジョアーダの鍋が並ぶ。(これはちょっと高級なフェジョアーダ専門店のサイト↓)
土曜日の昼食には、家族や友人達を招いて自宅で、あるいはレストランでフェジョアーダを食す。親しい人たちとの会話を楽しみ、時間をかけてゆったりと食事をする。心は満たされて、お腹も満腹。その日の夕飯はもう要らない、となることも多い。胃もたれを防ぐためか、夕飯には適さないメニューとも言われている。
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私が初めてフェジョアーダを口にしたのは、こちらに移住する前の日本でだった。メーカーの中南米営業部門に勤めていたのだが、1988〜90年の2年間、サンパウロの現地法人に勤める、後の夫となる人が逆出向者として東京本社で修行を積むことになった。その時彼が住んでいた高井戸の外国人用の独身寮の共用キッチンで、初めてフェジョアーダを目にし、口にしたのだった。
当時、職場や関連部門には、中南米からの出張者、技術研修生、夫のような逆出向者が必ず何人かいたものだ。夫はそんな方たちを、寮でのフェジョアーダパーティーにお招きしていた。参加者は私のような営業の若手たち、事業部のSEの女性(子供の頃にご家族の帯同でサンパウロに住んだ経験があり、ブラジルが大好きな人だった)、その時々に日本にいらしていた中南米からの客人たちという感じ。
フェジョアーダは誰がしかに頼んで持って来てもらった、ブラジル産の缶詰めものを開けて温めるだけ。それに白米を炊いて、せいぜい生野菜を切ってサラダを付けるようなシンプルな食事だった。特別なご馳走という感じでもなかったが、ブラジルのカクテル、カイピリーニャをお供に、ラテンのノリで皆でワイワイ、ガヤガヤ楽しく騒いだものだった。
高井戸の寮に招いた南米からの技術研修生で、忘れられない人がいる。パラグアイ人のサラッチョさん(ファーストネームはフアン・マヌエルと言ったが、私たちはファミリーネームで呼んでいた。)。私の担当国から初めてお迎えした研修生だった。
彼はフライトの関係で、他の研修生よりかなり早めに来日して、週末を一人で過ごさなければならなかった。アテンドをどうしようかと思案している時、ちょうど(後の)夫がフェジョアーダパーティーを開くと聞いて、ありがたくジョインさせてもらうことになった。宿舎となっている研修センターに、緊張しながらサラッチョさんを迎えに行った。直属の女性上司の方の
「きょうちゃん、パラグアイ人の男性には気をつけて」
とのお言葉が若かりし私をさらに不安にさせていた。気をつけてって何をどう気をつけて良いものやら、考えあぐねていたのだ。頭の中は良からぬ妄想でいっぱいだった(はず)。
初めてお会いしたサラッチョさんは、190センチはあろうかと思われた大柄な方で、当時の年齢は30歳くらい?口髭を豊かに貯えて、まだ23、4だった私にはとても大人に見えた。寡黙でちょっと神経質そうで威圧感が半端ないイメージ。
幸い「気をつけて」という言葉は彼には当てはまらなかったが、寮に向かう道すがら、とても話題に気を遣ったことを覚えている。何を振っても反応が芳しくない。今思えば、長旅の疲れや時差ぼけもあったのかもしれない。私の話術が未熟だったせいも勿論あっただろう。
でも、いざパーティーが始まったらサラッチョさんは人が変わったように滑舌だった。夫とはエンジニア同士ということで話も合ったらしい。ポルトガル語、スペイン語で大いに話が盛り上がっていて(南米人同士は、英語で話すことは決してない。自国語でなんとなく話が通じてしまうため。)、私もホッと胸を撫で下ろした。
同じ大陸の出身者、そしてその土地の食事が彼の閉ざされた心を開いてくれたのだろうか。フェジョアーダをとても美味しそうに召し上がっていたのも印象的だった。結局、サラッチョさんは大層気持ちよく酔っ払って、最後は職場の同僚の男性がタクシーで宿舎である研修センターまで送り届けてくれた。
その後数年して、私は結婚でサンパウロに移住することになった。会社を退職するにあたって、お付き合いのあった中南米の各代理店の担当の方にお別れの挨拶を済ませた。パラグアイのサラッチョさんの上司にも。でも、サラッチョさんとは直接言葉を交わす機会は残念ながらないままに慌ただしく日本を発った。
ある時、日本の母から奇妙な電話をもらった。
「パラグアイの人からうちに電話があったのだけど、あなた宛だと思ったから『ブラジル!』とだけ伝えたら電話が切れた」
と。一瞬、研修時の緊急連絡先に、と自宅の電話番号を伝えてあったサラッチョさん?かとも思ったが、パラグアイからなぜ?真相が分からないまま数週間が過ぎた。
果たして、サラッチョさんからサンパウロの自宅に電話が入った。研修で再来日する機会があり、東京から私の自宅に電話を入れたが、母に「ブラジル!」と謎かけをされて?埒が明かず私の元職場に連絡してみたと。こちらの電話番号を教えてもらい、今トランジットのサンパウロの国際空港から電話をしているが、後数時間でパラグアイのアスンシオンに向けて出発すると。私の結婚相手はあの時の......とそんなことも話した気がする。短い間ではあったが、胸がいっぱいになるトークだった。
サラッチョさんとはその後何度か手紙のやりとりをした。さらに友情が深まった頃、美人の奥様と、可愛らしい二人の男の子たちの写真が同封されたエアメールが届いた。そうかと思えば、ご自慢の奥様と離婚された、と知って気を揉んだこともあった。遠く離れてはいるけれど、幸せでいて欲しい、と勝手ながら願うような友達の一人に彼はなっていたのだ。
数年が経ち再び受け取った手紙には、また家族写真が添えられていた。顎髭まで貯えて貫禄たっぷりなサラッチョさんと、少し大きくなった二人の男の子たち。そしてあの美人の奥様と、なんと新たに家族のメンバーに加わった、男の赤ちゃんも写っていた。その後ご家族がどうなっているか、連絡が途絶えて久しいため分からない。フェジョアーダパーティーから思い出した、パラグアイ人のサラッチョさんとそのご家族。今もどこかでお幸せでありますように。この南米大陸には、私にとって大切な友達があちこちに点在している。
夫に確認したところ、会社は高井戸のその建物の借り上げを辞めてしまって久しいそうだ。沢山の外国人研修生を受け入れた独身寮。夫にとってはまさに日本の生活拠点で、ここから電車に乗り毎朝都心へと通勤した懐かしい場所の一つであることは間違いない。
朝食が美味しかったそうで、メニューは①コンチネンタル②和食③ムスリムの方達のためのハラール食があったそうだ。基本的には独身の外国人を対象とした寮だったが、息子を訪ねて里帰りした義母が宿泊したこともあった。当時社員だった、女子マラソン選手のあの方も寮生の一人で友達であったと聞いて驚いた。
でも、私にとっては、同じ鍋のフェジョアーダを食しながら、通りすがりの中南米人たちと交流を深めた忘れ難き場所。今や日常食となったフェジョアーダとの出会いの場所でもあるのだから。あの時、こんな未来が待っているとはまだ想像もしていなかった。。
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夫流のフェジョアーダの作り方
パンデミック期間を経て、夫がフェジョアーダ作りにハマっている。オリジナルレシピで、ここに辿り着くまでに紆余曲折色々あったようだ。ご参考までに以下ご紹介したい。(昔のような、全くの缶詰め頼りではなくそれなりに進歩している。)
【作り方】
1.黒豆は洗い、調理前に3時間ほど水に浸しておく。(夫流。)圧力鍋で調理するので、多分浸さなくても大丈夫かと私は思っている。
2.スモークソーセージ(リングイッサデフマーダ)を輪切りにして、微塵切りのニンニク、玉ねぎ、ベーコンとよく炒める。
3.黒豆と2を圧力鍋に入れて水を注ぎ、圧をかけ調理を開始する。シューシューという音がし始めて35分で豆は柔らかく煮上がるそう。煮上がったら注意深く圧を抜く。くれぐれも圧が抜け切れないうちに蓋を開けないように。
4.別鍋に缶詰めのフェジョアーダをあけ、圧力鍋の中身と一緒に火にかける。温まって、いい具合にとろみがついたら出来上がり。簡単!
5.黒豆を煮ている間に、同時進行で付け合わせを用意する。さっぱりとしたビナグレットソースは玉ねぎ、トマト、ベルペッパーズ、イタリアンパセリを微塵切りにして、ライムのドレッシング和えるだけ。出来上がりは冷蔵庫で冷やしておく。サラダや肉、チキンのグリルにかけても美味。
6.次にフェジョアーダの上にかけるファロッファの調理に取り掛かる。ベーコン、玉ねぎ、ニンニクを炒め、ファロッファを投入。そこにスライサーで切った茹で卵を加えて卵を細かくするように炒め合わせたら出来上がり。こちらも簡単。
7.最後にケールの炒め物を。ケールを千切りにし、同量の千切りキャベツ、ニンニク、ベーコンと炒め合わせるだけ。こちらもフェジョアーダの付け合わせに欠かすことはできない。普通はケールだけで作るが、キャベツを合わせるとケールの苦味が和らぐようで、息子もよく食べてくれる。私のオリジナル。ブラジル人には邪道!と言われてしまいそう。流石の夫も斬新さに驚いていた。
8.思い思いに盛り付けて出来上がり。
今回の料理は、私はひたすら野菜切りを担当し、夫は炒め物、煮込み鍋の見張りを受け持った。ヘッダーの写真は翌日の昼食のフェジョアーダ。カレーと同じで一日置くとさらに美味しい。余りご飯は夫が焼き飯にしてくれた。
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超長文を読んでいただいてありがとうございます♡我が家流のブラジルのフェジョアーダレシピをご紹介しましたが、note仲間の梅小路ハチさんが、日本で手に入る材料でオリジナルレシピを公開されていてとても興味深かったです。フェジョアーダに纏わるエピソード共々とてもおススメです。
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