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考え過ぎない日々の有り難さ


足が向かなくなった公園への道


 あの日からもうひと月以上が経ったと云うのに、最近は近所の公園でウォーキングをする機会がめっきり減ってしまいました。公園の行き帰りで、いつも隣に居てくれていたひとのことをやはり思わずにはいられないからです。

それでも先々週はひとりウォーキングの後、友人の励ましでひとりベーカリーもクリア
食べきれず半分はお持ち帰り



 公園に行く頻度は減りましたが、地下鉄の2、3駅くらいならなるべく歩くようにしています。いつも通り周りには気をつけて、余計なことは考えずに出来る限り早足で。特に歯科医院、例の県人会(最近またご縁がありました)までの往復の一万歩弱は、まさに私にはちょうどいい感じの運動量です。

 第一回目の歯科治療は涙で断念。(痛みのためではありません。)友達でもある歯科医と色々話して元気づけていただいて、仕切り直しの予約を取り付けて、その日はさよならしました。

帰りは夫がボランティアをしていた日系の病院でひと息
夫が亡くなる前日に立ち寄った最後の場所
血液検査の結果を見ることもなく彼は旅立ちました


伯父の四十九日の法要へ

 先週の土曜日の朝は、夫より10日早く旅立った伯父(義母の実姉の伴侶)の四十九日の法要で、東洋人街の曹洞宗のお寺に行って来ました。この時は子供たちも一緒で地下鉄を利用しました。

 伯父夫妻には四人の娘さんたちがいて、10年ほど前に亡くなった伯母同様、姉妹が協力して伯父の介護を担っていました。娘たちに見守られての穏やかな旅立ち。享年91歳だったそう。葬儀は家族葬だったと、夫のミサの時にその旨伝えられました。今頃はあの勇ましい?土佐弁プラスコロニア語(ポルトガル語混じりの日本語)で、伯母と賑やかにお喋りをしていることでしょう。ひょっとして甥っ子である夫もそこに加わっていたりして⁉︎お互いに知らないままの旅立ちだったので、再会に驚いているかもしれません。

 キリスト教式のミサは実にシンプルですが、仏式の法要の後は、お寺内のサロンに移動、簡単な食事をとりながらご家族と故人を偲ぶお話をしたり、普段なかなか会えない遠方の親戚とお互いの近況をアップデートしたりするのが一般的です。今回はブラジル流の軽食や太巻き、稲荷寿司などが並ぶ和洋折衷の食事を伯父の家族が用意してくれていました。最後には大きなシュークリームのデザート付きで、思いがけずしっかりとした昼食となりました。


キャットカフェ初体験

 法要の後、娘はBFくんと約束があるとのことだったので、別行動。息子、義弟、私の3人は、息子オススメのキャットカフェに歩いて行ってみることにしました。私は2時から例の県人会で絵手紙の授業を受けることにしていたため(日本祭りに誘ってくださった婦人科医からお声がかかりました)あまり長居はできないのですが、お寺からさほど離れていないという話だったので。

 お寺から歩いて15分ほどだったでしょうか。キャットカフェに到着しました。まずは2階で渇いた喉を潤し、指定時間の一時半を待ち、下に降りて行きました。がっちりとした二重の扉が閉まった狭いスペースに若い猫たちが12匹いるという説明でしたが、午後の早い時間帯だったからでしょうか、姿を見せてくれていたのはそのうちの半数ほどでした。ヘッダー写真の2匹はきょうだい猫だそうです。舐め合ったり時に甘噛みしたり。2匹だけの世界に浸っていて微笑ましかったです。何処から連れて来られたのか分かりませんが、不安なのですよね。

取り敢えず玩具で誘ってみる
三毛なのであなたは女の子ね

  これは息子がお世話係の女性から聞いた話ですが、猫が瞬き、もしくはウィンクをしてくるのは相手に対する信頼の表れとのこと。息子にウインクをしていた子が一匹いたそうです。私は気づかなかったなぁ。息子は日頃から地域猫たちと仲良しなので、猫たちにもそれが分かるのかもしれません。

息子とアル・カポネ


 上のグレーの子(名前はなぜかアル・カポネ)は人懐っこく、私の膝の上にも乗ってグルーミングなどして寛いでいました。でも私には次の約束がありましたので、最後は係の女性に抱き上げていただきました。(お客さんは極力自分から猫を抱くことはしないで、とのお話だったので。)その後は石川県人会館に向けて猛ダッシュ!


再び絵手紙挑戦


 2時の授業には余裕で間に合ってホッ。日本祭りのワークショップの時の先生、生徒さん、私の婦人科医も集まって今回は2時間の授業です。

 まずは基礎からみっちりと。精神統一にもよいです。

先生から頂いた、GAKKEN「絵手紙をかこう」より
出来映えは相変わらずです(左側が今回の私の作品)



 授業が終わって片付けをしていた時、生徒さんのおひとりと邦字紙に掲載された私のエッセイの話になりました。先日の日本祭りが初対面、記事の中で登場していただいた方でした。(在伯60年の大先輩)「私も新聞を購読しているし読みましたよ」と。まさかこんな形で記事が拡散されるとは夢にも思わず、記事の内容につきご了承も得ていなかった旨お詫びしました。「名前も出ていないし、気にしてないわよぅ」と明るく笑われて。絵手紙の先生にも記事のコピーが今回お渡しされていて「読みますね」と。本当に恥ずかしく恐縮してしまいました。


 そのお二人は授業が終わるとご自身の運転で颯爽とお帰りになられました。お二人とも80歳前後と思われますので、まだまだ若輩者の私はそのお姿を見送りながら背筋がシャンと伸びる思いがしました。


日系カフェでのオーナーさんとの出会い

 絵手紙の授業では、婦人科医の娘さんもご一緒でした。彼女が小さな頃から知り合いで、誰かのお誕生会では彼女と一緒にお絵描きをした仲なのですが、さすがに覚えていないでしょう。(もう25、6年前のことと思います。)授業の後、母娘お二人に「近くのカフェに行きませんか」とお誘いいただき行ってみることにしました。最初に行ったお店はいっぱいで残念。少し歩いたところに小さいながら良いお店があるとのことでそちらに向かいます。

 なるほど、お客さまが数人入ったらいっぱいになってしまいそうなこじんまりとしたお店。でもセンスの良い美術品、カウンターの上の茶器。そしてさりげなく流れているBGMのジャズ。全てがセンス抜群。ショーケースの抹茶ケーキ、チョコレートケーキやシフォンケーキも魅力的でしたし、手毬寿司、コロッケなどのお惣菜もとっても美味しそうでした。

 婦人科医の娘さんが興味を持ったのは壁に掛けられた絵画。チェコのプラハ出身のアルフォンス・ミュシャの作品だそうで、プラハを旅した彼女にはすぐにピンと来たようです。(後のオーナーさんとの話で、彼女もまたその国にご縁がある方と知ることになります。)

 しばらく三人で談笑していたらとっても感じの良い女性のオーナーさんのご登場。秋田出身の日本の方でした。日本時代からブラジルに関わるお仕事をされていて、念願のブラジル移住を果たされたものの、パンデミックでは辛酸を嘗められ、今も挽回の最中とか。頑張られている同胞の方達のお話には勇気づけられました。私はこの国で一体何をして来て、何をしているのだろう。

 たまたまテーブルに来られた時に涙して醜態をさらしてしまったので、夫のことをお話ししました。泣きたいときは泣きなさいと。私より少し年上で私と同名でもあるお姉さんにたくさん励ましていただき、お別れのハグ、そして再会を約束してお店を後にしました。もちろん婦人科医母娘にも今回も良くしていただいて、感謝しても感謝しきれません。


日本祭りの慰労会で石川県人会へ

 翌日の日曜日は会館で昼食会でした。あの日々の仕事に携わった会員、ボランティアに声がかかったというもので、私もご招待にあずかりました。(前日に駆け込んだ会館に再び〜。)まずはお手洗いにと足を踏み入れたところ、会長さん(女性の方、二世)にバッタリ。ご挨拶をしたところ、やはり記事を読みました、と。再度恐縮してしまいました。昼食会の席でも皆さんにご紹介いただき、「石川県人会の活動の様子を広く知ってもらうことになった」と仰っていただきました。

 会長さんと二人で話していた時に、記事中の「やっと終わった!と思えば次々に出てくる餡子や餅米に流石にうんざり。」という(本音がダダ漏れの)言葉に共感、というようなことを仰られて、顔から火が出る思いをしました。本当に申し訳なかったです。(まさかそこもしっかり読まれていたとは。)

 私の婦人科医とは日本留学生時代から40数年に渡っての友人なのだそう。責任のあるお仕事をされているのにおっとりとされ、少女のような可愛らしい性格の方。すっかり大ファンになってしまいました。この先の県人会の行事を色々教えてくださって、またぜひ手伝いに、とお誘いくださいました。記事を読まれて大体の事情はご存じだからこそと思います。きっと寂しくないように、とのお気遣いなのですよね。

 大変な日々を過ごしていることには変わりはありませんが、周りの方々にメンタル面のケア、今後の暮らしについてご相談に乗っていただいたり、アドバイスをいただいたりしながらなんとか前を向いて歩いています。出来るだけ家の外に出て、何かに集中、余計なことを考えない時間というのも大事なようです。

 本日の息子の夢に夫が出て来たそうです。元気そうだったと聞いてホッと胸を撫で下ろしました。

石川県人会で皆さんといただいた豪華なお弁当
石川県からの梅酒付き

 今年は去年より海老が小さめとのお話しでしたが、大変美味しゅうございました。大してお役にも立てなかったけれど、こんな私にも声をかけてくれた、元県人会職員の友人にも感謝♡



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