ブラジルのお盆とボサノバと〜亡き義父に想いを馳せる〜
サンパウロの10月はこれでもか!というほどに曇りや雨降りの日々が続いていました。天気に関して言えば、冬の終わりや春の始めの方がカラッと晴れる日が断然多かったですし、それだけで気分ももう少し上向きだった気がします。(乾期のせいで連日水不足の報道があり、それはそれで心配ではありましたが。)
ブラジル国花である、黄色いイッペーやブーゲンビリアなど、色鮮やかな花の盛りも春先に終わってしまい、街全体が暗く沈んで見えます。サンパウロの春って、いつもこんな感じだったかな?
カトリックの国ブラジルは11/2を死者の日(日本で言うところのお盆)として、お墓参りをする習慣があることは去年お伝えしました。その時の記事を読み返してみると、去年のお墓参りの時もこんな気候だったことが記されていました。雨が降り気温は17℃と。
備忘録のためにも、何かを書き残すって大切ですね。誰かに知ってもらいたいという気持ちも勿論あるけれど、まずは自分が忘れないように書いておきたい。ここのところ心に余裕がなく、書きたい欲がものすごく低下していたのですが、来年の自分のためにも今日の出来事を書いておこうかなと思い立ちました。
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今年の「死者の日」は火曜日に当たり、日曜日との谷間の月曜日(諸聖人の日)も自動的にお休みとなり4連休に突入しているブラジル。世界中ハロウィンで沸いているこの時期ですが、家をデコレーションする習慣も定着していない、静かな、いつもと何ら変わりのない日曜日です。
とは言え、せっかく家族四人が揃う連休なので、お墓参りにだけは行っておこう。今朝ばかりは、朝寝坊の若者二人を早くに叩き起こしました。朝のコーヒーを飲みながら聴いたBGMは世界的サックス奏者である渡辺貞夫さん♪その理由はまた後ほど述べるとして。。
お墓参りのルートは去年と同じく、サンパウロ市内の霊園3箇所巡りです。①オットの父方の伯母夫婦の眠るお墓(自宅から車で約30分)→②母方の伯母のお墓(さらに車で30分)→③義父や祖父母、独身のまま若くして亡くなった伯母、そしてF1レーサーだったアイルトンセナの眠るお墓のある霊園(②から車で15分)の順に巡りました。普段家の近所をウロウロするに過ぎない私にとっては、ちょっとしたドライブです。
①霊園内のお花屋さんの品揃えが一番充実しているこちらで3箇所分の鉢植えを購入。ついでに自宅用に、オレンジの花色の多肉、カランコエも選びました。カランコエは数ある鉢植えの花の中でも世話が簡単。その上、花がとっても可愛らしく、眺めいるだけで幸せな気持ちになるのです。
ちょうど9月に初購入したピンクのカランコエの花殻を摘んだばかりだったので、部屋が殺風景になっていました。この日のお墓参りはまさにグッドタイミング!普段通っている朝市の花屋さんでは、これだけの種類の花にはお目にかかれません。
墓前に供えるワンセットだけを手に、残りの鉢植えは車のトランクに積み込んで駐車場からお墓に向かいました。周りの風景をカメラに収めようとしたその時でした。「電源を入れ直してください」と、ついさっきまで作動していたカメラが一向にいうことを聞いてくれません。こんなアラームは初めて。四苦八苦して、結局電池を取り出してリセット。やっと撮影することが出来ました。何ともSpookyでゾクっとしました。場所柄、カメラに何か影響があったのでしょうか。
②こちらの霊園では、アガパンサスの花(ポルトガル語では“アフリカの百合”とも呼ぶそうです)がきれいに咲いていました。
最後の写真の中央左よりに、亡くなった方の棺を埋葬する様子が写っています。(ちょうど緑色のテントの下あたりに。)こちらでは火葬より土葬での埋葬が一般的です。
次の目的地へ向かうため霊園を出ると、すぐに目に飛び込んで来たのは、こちらで「ファベーラ」と呼ばれるスラム街です。
自宅近所の住宅街の雰囲気とは大分違い、一気に車内に緊張が走りました。そのエリアでは、外壁が塗装されておらず、煉瓦が剥き出しのままの家々が隙間なくぎっしりと並んでいます。一般的な住居にあるような塀なども見当たりませんし、屋根も雨露をしのぐように機能しているのかさえ疑わしいような粗末な造りです。
通りを注意深く見ていたら、住人が違法に電線を引いているありえない光景に出くわしました。暮らしのためには命の危険を冒してまで、電気を盗む。止まることないインフレが人々の暮らしを圧迫しています。(それは我が家も同様です。)でも、このような現場に遭遇しても、車を止めることは危険な場所です。
見て見ぬふりをしつつ、スラム街を抜けて次の目的地へ。。
③最後に訪れたのは、我が家にとってメインのお墓、モルンビー墓地(Cemitério Morumbi)です。何はともあれ、お墓のプレートやその周りをきれいにして花を手向け、静かに手を合わせます。
義父たちのご近所さん、アイルトンセナのお墓は、この写真の中央付近の木の下あたりにあります。↑
お盆のこの時期、霊園に併設されたCapela(礼拝堂)では日に何回かミサが行われているようでした。
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最後に訪れたモルンビー墓地に眠る義父は、私が結婚で移住する前年に癌で亡くなっていたので、面識がありません。享年68歳。会社員としての仕事も現役のまま亡くなりました。体があまり丈夫ではなくて、結婚後も何度も入退院を繰り返していたとのことでした。そのせいか、今で言うところの「健康オタク」で、体に良いと聞けば虫でもゲテモノでも何でも試してみる好奇心の持ち主で、そのせいで義母を辟易とさせていたようです。
最初の勤め先で10歳以上歳の離れた義母と出会い結婚、その後日本の産業機械メーカーに転職しました。会社の規定により、あるポジションに就くためにはブラジル国籍を有していなければならず、ブラジル人に帰化したと聞いています。
私の知る限り、日本国籍を放棄した日本からの移民は義父ただ一人。妻と3人の子供たち、そして同居していた両親との生活を守るため一大決心をしたのだろうと想像しています。日本人であることを辞めてブラジル人になる。。これはすなわち、その先の人生で日本に暮らすことは二度とないということを意味するのです。
義父はブラジルに移住してすぐにこちらの学校にも通ったので、言葉はとても達者だったそう。下に行くほど日本語が怪しくなる我が子たちに、日本語では理解不能な案件について、ポルトガル語で説明する役目も担っていたそうです。
日本の流行歌をこよなく愛し、日本からアーティストの来伯公演が有れば、妻を伴って聴きに行ったそうです。特に演歌がお気に入り。いつだったか、義母が断捨離をした時に出てきた義父のCDを、オットが何枚か譲り受けて来たことがありました。やはり演歌が多かったのですが、その中にポツンと一枚混じっていたのがこのCDでした。
日本が世界に誇るジャズプレイヤー、渡辺貞夫さんのアルバムです。義父がジャズやボサノバ好きだという話は聞いていなかったので意外に思いながら、CDを聴いてみました。
「イパネマの娘」、「Só danço Samba 」などアントニオカルロスジョビンのボサノバを中心に、「黒いオルフェ」「Fly me to the moon 」など、誰も聴いたことのある有名な曲も入っているバランスの良い選曲。私のようなジャズ、ボサノバ初心者にもハードルが低く、心地よく聴けるアルバムでした。
ライナーノーツが無かったのでネットで検索したところ、60年代のボサノバブームに、ナベサダさんを中心に日本人だけで編成されたセクステットによる演奏を収録したアルバムとのことでした。後にCD化されたアルバムを義父が購入したことになるのですが、どのようなきっかけでこのアルバムを手にしたのか、訊いてみたい衝動に駆られました!
そういえばナベサダさんは私の父と同郷だそうで(栃木県)、学校の後輩に当たると自慢していたことを思い出しました。父の方が幾つか年上で、直接的な知り合いではないようですが、義父のCDのこともあり二人が繋がったようで嬉しかったです。もしも私たちの結婚式で二人が出会っていたら、案外話があって意気投合したのかも?と想像するだけで幸せな気持ちになったお盆週間でした。
【本日のサイドミュージック】
アルバムと同じ音源ではないのですが、ナベサダさんと小野リサさんのセッションでSó danço samba 。ブラキチ(ブラジル大好き人間)であるお二人による楽しいコラボ。短いのでぜひお聴きくださいね🎶