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人道支援者のメンタル・ウェルビーイングって

「心の健康状態」などと訳せる言葉でしょうか。英語のままだと、なんだか大袈裟にも聞こえるかもしれませんが・・・。

最近、リンクトインにこんな記事を書きました。ニュー・ヒューマニタリアンというニュースメディアのポッドキャストに感化され、人道援助のフィールドワークをしていた時代に経験したことに照らし合わせて書いてみました。

上のどれも英語なので日本語でかいつまんでお話しすると、こういうことなのです。

私は開発・人道援助の「現場」に合計で十五年くらい勤務したのですが、中には後で思い出してもかなりつらい気持ちになるような経験をしました。今はこうして語れるようになっていますが、ある時期、まさにトラウマになっていたなあと感じることもありました。

何が辛かったのだろうと、あれから何度も何度も、それこそずーっと考え続けてきました。私が出していた答えは、周囲の価値観と私自身の価値観の不一致。

例えば、「正直であること」、「誠実であること」が「良いことだ」といった価値観。こういった価値観というのは私たちのアイデンティティーの核になっているのですよね。そういった価値観の受け入れ方がだいぶ違うという環境で暮らし、生活をすると、自分のアイデンティティーの礎が、崩れ落ちはしないまでも、ぐらぐらと不安定になっていたのでしょう。私はこれこそが辛さの原因そのものだった、とずっと思ってきたし、人にもそう話してきました。

また、人に話す時には「僻地勤務につきものの物理的な大変さよりもこの精神的な大変さのほうがきつかった」と言ってきていました。たまにしか電気がこない(よって、うるさい発電機を設置していた)、水道も流れていない家に住んでいて、一日おきくらいに、外で炭火でお湯を沸かして体を洗っていた、水は時々郊外の川の水を汲んで配水して回るトラックを呼んでドラム缶のような入れ物にためていた・・・。物理な大変さはこんな感じのことです。

もちろん、こっちが辛くてあっちはそうでもない、ということではなく、こいした物理的な大変さと精神的なつらさが絡み合っていたはず。

一方で、上に挙げたポッドキャストを聞いて「そうだ!」と感じた、というよりも「あ、確かにそうだった!」と改めて合点がいったのは、任地の数少ない同僚たちとのチーム関係がどんな風に運営されていたか、フィールド事務所と首都の事務所との関係、ひいては遠い本部との関係がどうだったか、どんな人事制度の元に勤務していたのか、そういった組織の運営上の課題がどれほど自分の精神状態に影響を及ぼしていたのか、ということでした。

思えば、夜、一人で暗い部屋の中で悶々とその日にあった上司や同僚とのいざこざを考える。フィールドで、上に書いたような価値観の違いによるショックを受けたけれども、それについて話す相手もいない。こう言う時は当然、夜よく眠れない。もう辞めてしまおうか、「これ以上ここにはいられません」と言って抜け出そうか、という考えが一瞬閃いたけれども、JPOとして勤務後にようやくゲットした正規ポスト、「こんなことでへこたれたら、もう次のポストはない。この国連機関での仕事は夢だったんだから、何がなんでも我慢しなくては。」と常に思っていました。

組織からのサポートはなし。遠い本部にカウンセラーがいることは知っていましたが、その時の自分の状態と、カウセラーの必要性を繋げてみるような見方はできなかったし、JPO時代の任地にカウンセラーが送られてきたことがあったので、その時の、「なんだ、全然サポートにならないんだな」という個人的な感想もありました。

巡り合わせでコーチのトレーニングを受けコーチになった三年前、まず思ったことは、「あの、辛い現場で自分が必要だったのはコーチだったんだ」ということ。エンパワリングな質問を通して私自身の当時の立ち位置と、どうしてあの夢の仕事に就きたかったのか、今はどうして辛いのか、これからどうしていきたいのか、そういうことを思い出させてくれるコーチこそが必要なサポートだったんだ、という強い気持ち。これが、今に至るまでコーチとしての私を突き動かしている気持ちです。

メンタルヘルスデーを機会に、改めてそんな経緯を思い出していました。そして、国連機関、人道・開発援助組織、非政府組織がフィールド職員のメンタルヘルスのためにもっともっとコーチングを導入したらいいのになあと思っています。

人事研修制度の一環としてコーチングを組織的に導入している例はまだまだ少ないのではないでしょうか。私もプロボノで関わっているヒューマニタリアン・コーチング・ネットワークやコーチング・ドットコム・ファウンデーションのように、無料のコーチングを人道・開発援助組織へ提供しているプラットフォームもいくつかあります。それ自体、大変大きな一歩だと思いますが、継続したサポートにはやはりボランティアコーチによる一時的なサポート以上の組織だった枠組みの導入が必要だと思います。

上に書いた私にとっての「辛い時期」はスマホや常時繋がるインターネット「以前」の時代。もちろんソーシャルメディアもありませんでした。現在は現場職員にとっての辛さの種類も度合いもかなり違うものになっていることでしょう。

それでも、一人で悶々と思い悩んでいたりすることはありませんか?だとしたら、ぜひ、コーチングを試してみてください。



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